絶望という名の処方箋

つくづく人間はあらゆる物事に期待値を高めて、現実との落差に怒り苦しみトラブルを生んでいる。

良い人だと思ったのに、、

こんなはずじゃ無かった、、

自分がこんなに出来ない人間だと思わなかった、、


人間が知り得る情報など、ある対象において僅かにも満たないだろうに何故か過剰な期待をしてしまうのが人間の性とも言える。

知らない物に期待を抱いてしまう。

勿論僕も例外ではなく、そのような性質は備えているので、そこを強く認識して徹底的に自分が抱く期待を抑え込むように心得ている。

冷静に考えて欲しい。

この世界に期待出来るようなものはどこまで存在するんだろうか?

人間→非常に身勝手で肉体的にも精神的にも脆く条件がそろえば他者を簡単に裏切ったり、儚く消えてしまう存在。

政府、会社→所詮人間が作り出している機関であり、あらゆる忖度や身勝手な理屈で動いていて頼りがいの無い存在。

これらの存在が構成して動かしているこの社会に期待出来る事なんか何一つ無いと考える方が妥当だ。

僕の感想と言われればそれまでだが、現実に貴方の周りにいる人間に期待値を高く持てばほぼほぼその期待通りには応えてくれないはずだし、その様な経験をしている人は多いだろう。
そのぐらい人間は期待出来ない存在なのだ。

会社に対しても政府に対しても期待を持っても、期待通りになる事はそこまで多くはないだろう。

故にこの社会に期待するという事は、現実を正しく認識していない事とほぼ同義であり、誤認した状態であれば当然傷付く事は多発する。

逆に言えば正しく世の中を認識するという事はこの社会のありとあらゆる事に絶望するという事であると考える。

期待値の高い人というのは往々にして人を傷付ける方向に走る。

高すぎる期待値を他者に向け、当然その高すぎる期待値には他者は応えられない。

故に勝手に裏切られたと認識して傷付き怒りを覚え他者を攻撃するのである。

パワハラ上司等が典型例だ。

僕自身も20代前半は高過ぎる期待を他者に向けてイライラしてトラブルばかり起こしていた。

この世界のあらゆる課題に向き合わず、娯楽や恋愛に夢中になってる馬鹿ばかりだとイラついて仕方なかったのだが、そもそも1人の人間が出来る事等たかが知れてるし、皆日々自分の事で手一杯という側面を度外視していた。

人間は基本変わらないという事実を拒絶していた。

人に対する期待値を100から0にした結果驚く程生きやすくなったしイライラも減った。

この世界はそういうものだ、と認識しておく事が自分の内面を整える最大の処方箋である事も理解した。

期待値を下げた事で「お前は丸くなったし精神的に成長したよな」と言われる事が明らかに増え、「大人になる」とはあらゆるものに絶望する所から始まるのだと今は思う。

絶望している人間は人に大して怒りを生みずらい。

あらゆる期待値を下げて人に優しく、自分にも優しくなって欲しい。

人格者の多くは世の中に絶望している気がする。

人格破綻者の木下の所感でした。



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