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神さまとワタクシ②

そんな訳で、東京から北海道へUターン就職をしたワタクシだが、まだ神さまを意識することはなかった。
20歳代の終わり頃、沖縄に友達が出来て、何度か旅をした。レンタカーで本島をぐるりと巡りふつうに美しい海や料理、泡盛を堪能した。
ただ、本島南端の摩文仁の丘にたどり着いたとき、驚愕の事実を知る。
沖縄戦…第二次世界大戦で本来の日本領で起きた唯一の戦い。
摩文仁の丘には戦没者が刻まれた慰霊碑が出身地都道府県別にドミノのように並んでいる。
もっとも多いのが地元沖縄の住民でおよそ20万人。戦争の犠牲者は一般市民だ。
沖縄県出身者の次に多いのは、北海道だ。
知らなかった。衝撃的に知らなかった。
北海道には、天皇をお護りする、第七師団という強い軍があって、かつて国家存亡の危機に瀕した日露戦争の際、戦局打開のため、大陸に参戦した。所謂、二百三高地を奪取し、日本の辛勝に少なからず貢献した軍隊であった。
第二次世界大戦においても、難局な満州、中国大陸に投入されていたが、本土決戦が間近となり、米国が沖縄に上陸戦を仕掛けることが濃厚となったことから、彼らは暑い暑い沖縄の地に転戦して来たのだ。
沖縄に行って、見聞きしたことではあるが、日本陸軍軍人はすこぶる評判が悪い。住民を守らず、利己主義に走る軍人が多かったためだ。
一方で、最後は玉砕する太田中将率いる海軍陸戦隊や北海道出身の兵士に対しては温かい。それは端的に沖縄の民を護ったからだ。
沖縄南部の田園の中にポツンと慰霊碑が置かれている。『南北の碑』と書かれている。
コレは地元住民の戦没者と北海道出身兵士の戦没者の慰霊碑であると分かった。
戦後の混乱の中、縁もゆかりもない兵士の遺骨を自分達の犠牲者と共に納める、それほどに我が先輩達は沖縄の民に心を砕き、身を挺したのであろう。
ワタクシ、北海道出身兵士と地元沖縄県民たちに暫し想いを馳せた。
次の瞬間、北海道へUターンし、第七師団があった旭川市へ向かい、地酒『清酒男山』を買い込み、再び沖縄へ帰るのであった。
まだ、神さまは登場しない。
…続く

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