母のこと

 昭和40年代だったでしょうか、お洒落してドライブインに食事に行くことがちょっとしたステイタスのようになっていた時がありました。
 母は必ず自分はカレーライスでいいと言いました。当時の主婦としては当たり前の家計への気遣いだったのでしょう。でも、必ず最後の一口分を「もういい」と言って皿に残すのです。父はそれを見て、「猫みたいだ」と嫌がりました。私は猫は一口残す性質があるのか疑問に思いましたが、特に尋ねることはありませんでした。
 母は別にドライブインの味が口に合わなかったわけではなかったと思います。というより、料理が下手でした。母が作ってくれた弁当が恥ずかしくて、毎回蓋で隠しながら食べていました。唯一好きだったのは魚の煮付けでした。
 そんな母が弁当に竜田揚げを入れてくれるようになりました。その少し前から、母は惣菜を作る工場にパートで行くようになっていました。きっとそこでいくつかレシピを覚えたのでしょう。私はやっと蓋を開けて弁当が食べられるようになりました。
 母がとんでもない料理を作っていたのは、恐らく教えてもらえる環境がなくて、完璧な自己流でやっていたからだろうと今なら納得できます。幼児の頃に両親を亡くせば、無理からぬことだったと思います。
 かく言う私は、家事全般、特に裁縫と料理が下手なのは母親譲りだと言い訳してきました。盛り付けについても、「もうこれでいい」と一工夫を怠ってきました。あらためて努力し直そうかしら。

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