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いっちゃんのこと

愛猫いっちゃんが、7月14日満月の日、虹の橋を渡った。
扁平上皮がんがわかってから、約ひと月半。
病気の進行がはやく、毎日めまぐるしく変化する体調のなか、安心して楽に過ごせるようにと試行錯誤しながら、周囲の方々のご協力を得て、一緒に過ごせた時間は、やはりしあわせだったと思う。

もう長くはないとわかってからは悲しみに暮れてしまい、心配させてしまったかもしれないけれど、彼女は気丈に、最期まですべてのタイミングをはかって、段取りを采配して、それはみごとでエレガントだった。

旅立つ数日前にはいっちゃんのテリトリーの寝室に行きたがり、一生懸命這いずっていったり、好きだった場所を見てまわっているような様子を見せて、こちらを見て、いっちゃんらしい表情も見せてくれた。

6月はじめにがんがわかって、ごはんがたべられなくなってからも、いつものようにおひざにのりたがったり、起こしにきてくれたり。
容態が落ち着いている日は、少し穏やかに家族で過ごせたり。
少しずつ、心の準備をさせてくれていた。

きっと、階段を軽やかに一歩一歩昇って、最後の日、高くて見晴らしのいい場所へ到達したんだろう。
ここからは見えないけれど、きっと上からは見えているかな。
私もその階段を少しずつ、昇っていけるだろうか。

保護猫として山梨、横浜の地を経てやってきた彼女は、若くても16歳ほどだったはずだけれど、華奢で若々しく、いつまでも小さな女の子のように見えるかと思えば、成熟した大人の女性のようでもあった。
ほんとうはいくつだったのかな。

いっちゃんと過ごせたこの5年と少しの間、きらきらと輝く宝石のような日々だった。
これからの人生、その宝石をペンダントにして身につけていけたら、なんとか生きていけるだろうか。

こう考えたらどうだろうかと妄想する。
私が一緒に暮らせたのは5年と少し。出会うまでにお互いいろいろあって巡り会えた必然だったけれど、そこがスタートとするなら、ねこ時間で5年は、人間の約20年ほど。
わが家の娘としてかわいく育ったいっちゃんは、大学進学のために親元をはなれてひとり暮らしをすることになった。
最後の日々は、旅立ちの前、家族で過ごした春休みのようなひとときだったのかも。
それならば、さみしいけれど、娘の旅立ちをお祝いして、またいつでも帰ってもこれるように、お家をととのえてあげないと。

優しく賢く美しいわが娘、いっちゃん。付き添って過ごした最後の日々、本当は私が娘だったんだと思い知らされた。
一緒にいて、たくさんの大事なことを教えてくれ、いつでもお手本を見せてくれていた師でもあった。
いつも、ずっと私を見ていてくれたいっちゃん。たくさんおうちで、ふたりで過ごしたね。
出会えたたくさんの人に愛された、かわいいいっちゃん。
また、かならず会おうね。
私を受け入れて、愛してくれて、家族にしてくれてありがとう。

愛と感謝をこめて

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