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遠ざかって

共通のフォロワーがいる訳でもない、どこから拾ってきたのかわからないツイートがブクマに残ってたので、そんな感じでそこはかとなく書き始めてみました。最近使ってないな~と思って。構成は考えてないのでだらだら書くよ。普段の3連ツイートとかよりも読みづらいかも。

noteでずっと同じことを喋ってるんですけど、やっぱり16ヶ月前のXデーから心が離れられていなくて、しかしながら時間は進んでいって容赦なくあの頃から遠ざかっていく。2方向に引っ張られて引きちぎれそうです。引っ張りだこ( ◜з◝ )ピ

いや16ヶ月前て。

そういえば4月16日、3年前のこの日にとある指輪の原型が完成したんですって。複製品はサイズ調整可能とのことだったけど、今そのサービス受けるの無理っぽくてちょっと下向きになります。


なかなか会えない人と死んだ人は同じ、みたいなこと言われるけどやっぱり"体がない"ってでかいと思ってまして。先日全然関係ないところ(何と?)で「もうコンテンツが追加されない人を好きになるのつらくないですか?」という言葉を耳にしてしまった。まあね、解散したバンドとかね。私はsyrup16gと倉橋ヨエコさんをそんな感じで知ったんだけど、syrup16gは再始動したし、ヨエコさんは別名義でよろしく元気にしてらっしゃるらしい。

よろしく元気にしてらっしゃるらしい、と思い込むのも無理があるなあと思う。

かたちのないこころだけであったなら
もっと自在にあなたと交われるものを
だがことばよりくちづけで伝えたいと
そう思うときのこころのときめきは
からだなしでは得ることができない
いつか滅ぶこのからだなしでは

谷川俊太郎「からだ」

ひょっとしたらもう以前にnoteに書いたかもしれないけど、たぶん1年くらい前は「どこにもいないということはどこにでもいるということだ」的な理論を展開してたんですよね。でもやっぱり違うよ~となっている。いや、別に日常的にスキンシップする間柄ではなくてもさ。
これは私の側にも体がないと(生きていないと)そう思えないことなのかもしれない。そうでないことを証明するにはいっぺん死んでみるしかないんだけど、生き返れねえからなあ。ままならん。

受け入れられない、とはまた違う気がするんだよな。いやマジで時計の針は戻ってほしいけど、事実を信じられない訳ではないんだ。その事実があってほしくなかったと考えるのは「受け入れられない」とはまた別じゃね?と思う。正確に言語化できるようになりたい。自分の感情をできるだけ解像度高めに把握するのってたぶん言語能力とも関連ありそうだから。何のために把握するってそりゃ「なんかわかんないけど涙が」みたいな状況から早く平常運転に戻るためにさ。平常運転に戻る必要性は、まあ書かんでええか。


縦になるのが苦手なので、横向きに生きたい。

「そんな前向きになれないよ」
「じゃあ横向きでいいよ」
「無理だよ」
「どうして?」

映画『赤色彗星倶楽部』


好きな映画のラストシーンなんだけど、たぶんこれ今見たらだいぶ違って見えるんだろうなあ。最後に観たのは2020年の1月だったみたいだし。でも円盤ないんだよな、自主制作だから。
自主制作映画ばかり観ていた頃があったな。2018年秋ぐらいから2020年頭ぐらいまで。あの病気(なんか具体的な名前を書くと記事の上に不正確な情報ですとか出るのがうざいのでこう書く)が流行ったから足が遠のいたという訳でもなく、単に2018年に出会った映画がたまたま良すぎてその後観たやつはウーンとなるのが多かったってだけだと思っている。そういえばあの日も自主制作映画を観に新宿に来ていて、でも映画はそんなに響かなかった。時間潰しに入った珈琲西武のアップルパイ風ホットサンドがおいしかったということの方が映画よりも印象的だったな。いやあ、たくさんの石の中から玉と運命的な出会いができてよかったですね。

そんなんばっかだよ。

ガチャガチャの景品みたいな安くて小さいものに埋もれて生活をしている。今すごいよねカプセルトイ業界。新商品が出ては消えていく。消える前に見つけて確保しないといけない。だから情報はチェックしてる。何月発売のアレを買おう、となると自動的に人生が延長戦に突入する。私が集めているものたちは私にとっては玉だけど、他の人からしたら断捨離対象の邪魔な石ころで、ただ、それは自分も玉だと思うよと言ってくれる人を大事にしたいなと思う。何につけてもね。たぶん私の親族はこんなもの全部捨ててしまうだろうから。


生きた証を残したいかと思うとそうでもないなと昔から思っている。だから偉業に挑戦するとか子どもを産むとか興味ないし、不特定多数にちやほやされたい欲求もない。好きな人の世界に私がいてほしいなとは思う。いないことにしないで。

ヘッダーはアニメ『平家物語』の主題歌の一部でして、そのへん考えてたのでこの画像にしたって訳。最終回なあ。件のアニメは最終回とその前の回のサブタイトルが「檀ノ浦」「諸行無常」で、見る人間からするともう結末は分かってて、それでもどうにもできない悲劇をどう描いてくれるのか?と期待していました。
ところで私は時間を遡る夢をたびたび見ます。結末が分かっていても、分かっているからこそ変えたいとあがく。でも、目が覚める以前に、夢の中でさえどうにかなったことはありません。夢の中でしっかりお別れしたこともないな。どうせなら打ち切りじゃなくてちゃんと最終回をやってくれよ。


好きだけど最終回はそんなにでゆっくり生きていてほしかった

宇野なずき

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