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小噺 せちなること


序文

前回、前々回の記事(not枕胞子)にて東京で知り合った友人の訃報についてあれこれと話しましたが、今回は「私が急に死んだら」「京都で知り合った友人が亡くなったら」「地元の友人が亡くなったら」についてここ数日考えたことをつらつらと書いてゆきます。個人的なメモの意味合いが強い。


来歴のおさらい

誕生~公立中学卒業:愛知県某所、ほぼ静岡みたいな田舎(学校の周りはキャベツ畑と牛舎)で過ごす

高校:同市内の中でも市街地にある公立高校(一応市内トップ校だが、県下では……)に進学

大学:修士課程含め6年間京都で一人暮らし

大学卒業後:就職の都合で東京に移住(一人暮らし・パートナー無)、2018年末より会社を休み、同年度末退職 両親別居


私が急に死んだら


まず死に気づく人間が周りにいなさそう。

仕事をしていないので、連続無断欠勤からの電凸→会社へ届け出ている自宅の電話番号へ緊急連絡→母(合鍵持ってる唯一の人間)が新幹線で駆けつけ確認、みたいなフローが存在していない。
Twitter(このnoteアカウントと連携しているアカウント)の更新が止まったことを察知した人間がいたとしても、実家への連絡先を知っていると思われる人間は皆無。
一応高校の友人が一部相互フォローとなっている鍵アカがあるにはあるが、その友人たちはヘビーユーザーではないし、私自身その鍵アカも毎日更新している訳ではない。

ちなみに数年前まで、母に帰宅連絡なるものを要請されていた。が、正直会社帰りのヘトヘトの精神に非常に明るい返信が来ることに対して余計消耗すること、残業のあった日に心配のスタンプ爆撃がくることなどで非常にストレスがあったため、現在は特に定時報告じみたことはしていない(特に2019年度からは職に就いていないため「帰宅」のイベントが発生しない+精神を病んでいるところに毎朝LINEが来るのがしんどくて、どうしてもやめてほしいと嘆願した)。


黒い染みエンド濃厚である。


さて、黒い染みか否かにかかわらず、葬儀が執り行われるにあたり、パターンがいくつか分かれる。

①両親ともに存命の場合
②母のみ存命の場合
③父のみ存命の場合
④両親ともに死亡済の場合

兄弟姉妹はいないのでおそらくこの4パターンか。

母と父を分けたのは、父が現在の私の住所を知らず、合鍵も持たず、また私の交遊関係も全くと言っていいほど把握していない(特に幼年期に長いこと単身赴任だったため、特に家で話すこともない中学以降の交遊関係は勿論把握していないだろうし、さほど縁深い訳でもない近所の数名ぐらいしか知らないと思われる)からである。これは母が父から私を遠ざけがちだったことも一因ではあるが。

①②はまあだいたい母が動くという意味ではさほど差がないと思われる。過去の年賀状や楽団の名簿、私が受け取った結婚式の招待状などを参考に各所連絡を母が執り行うのはほぼ前提で、喪主を父が務めるか母が務めるか程度の違いだろう。
③の場合、前述のとおり父は私の交遊関係をあまり知らないため、家族葬になる可能性が非常に高いと思われる。後日近所に連絡がいく……かは分からない。というのも、父は現在私の生家ではなく自分の生家で暮らしているからである。そもそも、母が先に亡くなった場合、生家が残っているかどうかも怪しい。不確定要素を考えるとキリがないのでこのあたりで畳む。
④の場合。④の場合……?両親ともに鬼籍に入っているような時期であるならばおそらく祖父母は既に亡くなっているだろうから、比較的年の近いいとこたち(4人中3人が昭和生まれだが……)が存命であればそちらに連絡が行くのだろうか?というか私、いとこの連絡先誰も知らん。最悪行政が永代供養か何かをしてくれるんじゃないかな。孤独死の老人みたいに。


①②にて訃報が届く範囲、葬儀のお知らせが届く範疇について考えてみる。

小中学校の同級生たちは、年賀状から実家の住所が分かるので一番確実性が高い。とはいえ、大学進学を期に諸事情によりほぼ全員と連絡を絶っているため、弔問したいと思う人間がどの程度いるのかは分からないし、母親が思っているほど仲は良くないけど惰性で年賀状を出していたような間柄の者もいるため、チョイスがやや不安。せめて中学の部活の同期ぐらいに絞ってくれ、どうせ9人しかいないし、誰を呼んだ呼ばないで揉めると嫌だから、線引きとしてはこのへんが妥当だろう。まあ、訃報自体は限定的に連絡したとしてもすぐに広まるような田舎なので、誰に伝えるかはどうでもいい。

高校の同期。こちらはほぼ部活の人間しか母親は知らないと思う。というか部活以外の人間とあまり親しくして来なかったし、結婚式に呼んでくれたのも部活のやつら以外にいない。結婚式の招待状と年賀状を頼りに、この層はいい感じに呼んでくれると期待している。

大学。というか京都。研究室の人たちとは年賀状をやりとりしていたが、母からしたら誰が先輩で誰が同期で誰が技術職員さんなのか分からないだろう。しかも就職で引っ越してるパターンが非常に多い。かつての年賀状の差出人が京都の下宿で実家ではない場合は更に難しい。連絡は行かない可能性が高い。
楽団の名簿は実家の住所や電話番号が記されているので、同学年同パートぐらいは連絡してほしい。ただこちらも就職で地元に帰っていたり、海外に暮らしていたりする人間が多数いるので、訃報は飛ぶけど葬儀には呼ばないパターンかな。パートは違ってもひとりだけ来てほしい人がいるんだけど、これ、遺言状に書いとかないとあかんな。

東京。これはもう旧職場含め人間関係を全く知られていないので、事後連絡は確定、というか事後連絡すら不確実。Twitterのログインパスワード残しとかないといかんのかな……ログインされたくねえなあ……


京都で知り合った友人が亡くなったら

友人、各地に点在しているので、連絡の到達速度、駆けつけられるかどうか、などはバラつきが多そう。

京都大学、正直かなり出身地が多様なんじゃないかなと思っている。旧帝大なので全国から志望者が集まるうえに、京阪神の交通アクセスの良さによって他府県から自宅通学する学生も多い。東京(の)大学もまあ全国から集まるとはいえ、東京の名門私立校高がメチャクチャ強いしそもそも東京都民の人数がメチャクチャ多いので、京大と比べたら層の偏りがあるのではないのではと勝手に思っている。データありません。ごめん。


閑話休題。

訃報の到達速度について考える。

結婚している場合、研究室や専攻内、楽団内でのカップルならだいぶ早く来ると思われる。バイト先や就職先で知り合った相手との結婚、見合い婚の場合は少なくとも葬儀後、じゃないかな。研究室同期に限れば、結婚式に招待されているので連絡が早いかもしれない。冠婚葬祭の繋がりを今改めて実感している。

単身者の場合、発見がいつなのか、両親や兄弟姉妹はいるのか、といったパラメータが多いので考えるのをやめた。

これは私自身にも言えることなのだが、単身者、急病に弱すぎる。以前救急搬送されたとき、発車する前に「近くに住んでいる家族」を問われたのを思い出す。いないんだからどうしようもないだろ。こちとら激痛で救急車呼んでる病人なんだからはよ出発してくれ、と思いつつ「とりあえず愛知在住の母にこちらからLINEします……」っつって発車してもらって、仰向けになりながら「救急車なう」のLINEを送った。不便にもほどがある。正直、迷子札的なものの導入も考えなくはない。
大学からの友人が何人か都内にいるにはいるけど、定期的に転勤やら何やらがあるので、一生安心という訳でもないし。

あ、こういう事情を考えて結婚をする人間もいるのか。無意識にロマンティックラブイデオロギーに縛られていたかもしれない。
でもそのための結婚なあ……うーん……もしものとき、に対応するだけなら近くに住む親友ぐらいの立ち位置でいいと思ってたんだけど……(いや、今そういう存在もおらんが)
法的に保証された契約関係と割り切れるほど人の心がない訳ではないので……でも共同生活適性が低すぎるし、恋愛をやるとなると気分の上下が激しくなってしまうので、すすんで単身をやっている……ウアー

おれは考えるのをやめた。


地元の友人が亡くなったら

私の母親が健在ならたぶんかなり早く連絡が来る。私が帰省するかどうかは人による。中学以前の友人だと1人か2人だな。
母親が亡くなっていたとしたら、訃報を知るのはだいぶ後になるはず。

以上。



結論:迷子札は置いといてとりあえずエンディングノートぐらいは作っておけ


あとがき

死んだ後の自分の肉体について、以前はど~~~~でもええわ~~~~~~と鼻をほじっていたものの、ここになってやっと「いや、どうでもよくないと思う人もいるだろうな」の視点ができました。どうでもよくない人、いるかな……いてほしいな……チラッチラッ
ただまあ告別式が終わってからは火葬じゃなくていいなとは思っている。医学部への献体もあり。お肉を消し炭にするのもったいないから、ぶつ切りにして動物園や水族館のおともだちにあげるなり山や海に撒くなりしてくれた方が嬉しいかも。
注目してるのはキノコ葬。別に名前は関係ない。



それとエンバーミング、積極的にされたいとは思わないけど、したい人、したい遺族にはしてあげたいなという気持ちが出てきた。皮膚の切開とか吸入ぐらいなら抵抗ないし。で、調べたら資格取得のための費用(専門学校の学費や卒業後の制服代)がべらぼうに高かった。その2年間で京大に4年通えるぞ。需要高まってるのになんやその仕打ちは。私は泣いた。再就職、ならず──


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