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ゆく年、くる年、出涸らし

さてさてすっかり出涸らしとなった気分の私です。いつ何を出したの?というのをこれから書いていきます。それはそれとして体調(口蓋扁桃と腸)がメチャクチャに悪いです。こんな年の瀬にしとうはなかった。

去る2022年12月3日に都内某所にてイベントを開きました。都内某所って便利な言葉ですね。

とりあえず備忘録として、開催までの経緯を載せておきます。
別にどうでもええわって人は「総評」まで飛んでね。

<開催までの流れ>

2021年12月3日 突発的に開いたTwitterスペース「法事」に集まった人たち(含・ご親族)で、やりたいね~という話が出る

2021年12月18日 ↑のメンバーの顔合わせ

……お彼岸やら年度末やらリモポケ学会やらで月日は流れ……

2022年8月半ば頃 独自にお店の選定をしてメンバーにプレゼンする用の資料を作る

2022年8月末頃 「イベントバーを使うと"そのバーのお客さん"が当日に来て困惑しそうなのでレンタルスペースの方がよいのでは」という助言を、イベントバー歴長めの方からいただく

2022年9月 レンタルスペースの選定

2022年10月頭 ↑を3軒に絞りメンバーに相談

2022年10月中旬~下旬 メンバーの一部で↑のうち1軒を視察 ここでよくね?となる

が、予約してみるとあら大変、「その日は夜20時からしか空いていません」とのお返事。いや予約フォームは朝からいけるってなってたやないかい……と思いつつ返信したが音沙汰なし。無念。

イベント開催日は決まっていて、その1ヶ月前には告知をしたいと思っていたのに何たる不運!
結局告知は「場所未定」ということにし、入場予定者数をアンケートしつつ新たな場所を探すことに。

2022年11月頭 先月の残りの2候補と、新たに2候補ほど追加して選定。ロケハン成功2、失敗2(連絡しても返事がなし、現地に行っても開いてない)。成功2のうち部屋が広い浅草ハコバナに決定(これがたぶん中旬頃)。
ハコバナのロケハンで必要そうだなーとなったものを百均やドラッグストアで買い出し。紙皿、紙コップ、お茶パック、消毒液、養生テープ、黒のゴミ袋(ブラインドがない窓が一部存在し、スライド投影に支障があったため)、出っ張りに差し込むタイプのフック、清掃用具など。

当日、お菓子の買い出しとフライヤーの印刷・掲示をしてもらいつつ清掃と設営。30分で終わると甘く見ていたため、開場直後もやや落ち着きのない感じに。(撤収はそのぶん少し早めに行った)

2回のTwitterアンケートを行って確実に来そうだなーという人数が11人→12人で、当日実際に来た方が11人だったのはとてもありがたかった。
裏番組で下世話バーやアベナミダがあったにしては上々。

<総評>

私ひとりでは絶対に成り立ちませんでした(外出そのものがストレスかつ人の声がいっぱいあると疲れてしまう性分)(実際に当日だいぶ放心してた)

実のところ、開催にあたってはエゴ丸出しで自分の欲望のために周りを振り回しているな……とは常々自戒しつつも、当日は自分の欲望のままにとはいきませんでしたね。だいたいが↑の理由なんですが、そうでなくともやっぱり主催者としては入場料や記帳の確認、よろしくない方向に話が進んでいないかアンテナを張るなどが優先順位高いので、お客様として楽しむ余裕はほぼなく、ゆかりの品も皆さんのお話も満足ゆくほどは触れられませんでした。マジで記憶があんまりないんじゃよ……打ち上げも参加できそうになかったので放心しながら帰路につき、夕飯をどうにかする気力もなく寿司のデリバリーをしました。

でも来てくれた人が幸せならオッケーです!と言いたい一方で、次は完全なお客さんとして何も気を張らずにじっくり参戦したいので、誰か代わりにやっとくれ。誕生日でもいいし来年の当日でもいいし。近いうちにやるなら余ってるこんこん茶を持参しますよ。

やるなら近いうちに。近いうちにやった方がいいと強く思います。
だってまだ2年で、もう2年。これが5年10年先になれば、それだけ距離が開いてしまいます。止まってしまった人のそのときと、止まらず動かざるを得ない人の今の間は。
「懐かしい」ではなく「なぜ」が先に来てしまうような予感があり(今でも十分ある)、こうして暦が変わることにも恐怖感がつきまとっています。年が明けると前年のツイートには日付に西暦4桁が追加されるの結構寂しくないですか?いかないでおくれよ。

ところで今月はイベントの疲れもあってか特に夢見が悪く、常用している薬の処方を変えてもらうなどもしました。そういえば冬になると「夢に出る」との噂をちょいちょい聞くんですけど、皆様はいかがですか?私は「既に故人である」という設定の夢を見るようになりました。

正月は冥土の旅の一里塚、とは言ったもので、一休禅師が誰ぞ知れぬ頭蓋骨を持って町を練り歩いた逸話が知られています。そんな縁起の悪そうなことをした理由の解釈の一つとして、「人間はこうなってしまえばもうそれ以上悪くなることはない」と説いたのだと幼少期に耳にした記憶があり、先のような夢を見たときはそう考えるようにもしています。

めでたくもあり、めでたくもなし。

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