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里帰りしない、親の手伝いも要らない出産

里帰り出産をしない、産褥期に親の手助けはいらない、そう思うに至った自分の考えについて書いてみます。

母が産後の手伝いを申し出てきた


妊娠期間もいよいよ臨月に入った頃、母から「出産したら、1週間くらい仕事休めるから手伝いに行きたい」と言われました。

母は現在、1人で近隣の他県で暮らしています。
彼女が住む家は、何年も袖を通していない大量の服、賞味期限がかなり過ぎたお菓子やドリンクなどの食料、いつ使うのか分からない雑貨や日用品が山のように天井まで高く積み上げられ、布団1枚すら敷くスペースがないほど異常な数のもので埋め尽くされています。

彼女によると、それらは決してゴミではないそうですが、たまにテレビの特集で映るゴミ屋敷の様子とよく似た風景の部屋に住んでいます。

「片付けてないから来ないで」と言われ続け、わたしも10数年以上、実家には足を踏み入れていません。

そんな状態なので、里帰り出産をするという選択は始めから頭にありませんでした。

(話は逸れるけど、妊娠した途端に、里帰りだとか、初孫だとか、昔からの古めかしい用語がぽろぽろ身の回りにあふれてきて、面倒臭い心持ちになったのは自分だけだろうか)。

本題に戻すと、悩んだのは産後、母に手伝いをしてもらうかどうか、ということです。





「さんじょく期」ってなんだ?


初めての出産で、産後どのような状態で子育てがスタートするのかまったくの未知数で、
臨月のわたしは「陣痛」「会陰切開」とか「産褥期」とか、そんなワードにビビりまくって毎日不安な気持ちで過ごしていました。

ちょうどその頃、『透明なゆりかご』という、とある産院での妊娠・出産をテーマにした漫画が連続ドラマ化され、放映を観ていたので、無事にお産できること自体が奇跡に近いんだ、自分は大丈夫なのか、元気に子供は生まれるか、とかなりナーバスになっていました。


なお「産褥期」とは、産後、身体が通常の状態に戻るまでの1ヶ月弱の期間を示すようです。

お腹にいた赤ちゃんが外に出るために開きまくってガタガタになった骨盤が閉じていく、大きくなった子宮が収縮していく、授乳のために張ったおっぱいのケア、そんなボロボロの身体の状態でいきなり24時間赤ちゃんのお世話が始まる、非常にしんどい時期なので周囲の手助けは必須だとネットには書いてあり、医師や助産師さんからもそう言われました。


ちなみに母とは妊娠前から1、2ヶ月に1度くらいの頻度で、会って食事をしたり映画を観たりする付き合いをしていました。

しかしネガティブなことばかり言い、感情の起伏が激しい母と半日会うだけで疲れてしまうわたしは、1週間も一緒に過ごしたら余計に疲れるだけでは、とすごく心配でした。

妊娠期間中、彼女から励ましの言葉はなく、

「高齢出産なんだから羊水検査(染色体に異常がないか調べる検査)を受けたほうがいいんじゃない」 と不安を煽ることを言ってきたり、
胎動を感じ始める頃になっては、動くのが分かると嬉しいと言うと、「胎動、気持ち悪くないですか」と返され、すごく悲しくなりました。

赤ちゃんが動くのが気持ち悪いと思わないし、では母はわたしがお腹にいたときに気持ち悪いと感じていたのかと。



親の手伝いを受け入れるかについて奴さんに相談すると、「お義母さんだって赤ちゃんを見たいんだからさ、断るなんて可哀想だよ」と言われました。

確かに、手伝うと言ってくれた母に、来るなとは言いづらいです。


それでも母と長いこと一緒に過ごすことに不安を感じていたわたしは、幼い子供がいる友人にも同じ相談をしてみました。

友人は、「ハッキリ言って旦那は全然使えないよ。お母さんは同じ出産を経験してるんだから、ちゃんと解って手伝いしてくれるはずだよ。1人でも多く手助けはあった方がいい。産褥期ナメないほうがいいよ!」と言いました。


「さんじょく期」ってそんな大変なのか。


それでも自分本位な母と過ごすことが不安だったので、あとでモヤモヤしないよう、わたしは予め確認することにしてみました。

わたし「お手伝い、家事はいろいろあるけど、炊事、洗濯、掃除、お皿洗い、買い出し、赤ちゃんのお世話、なにを手伝ってくれるのかな」

母「料理はできないので、掃除もできないので、洗濯と買い出しくらいはやります。あとはお皿洗うよ」

少なくとも3つの家事は手伝うと言ってくれたので、お手伝いに来てもらうことを母にお願いすることにしました。



母なりに気を遣ったのか、わたしの家には泊まらず、家の近隣のウイークリーマンションを借りて、日中だけ通うと言われました。

借りるのはお金が掛かるから家に泊まればいいと伝えましたが、ウイークリーマンションを一度利用してみたいからと、彼女は1週間だけ賃貸契約を結び、我が家にやってきました。





母が家にきた、1日目


母は産まれたばかりのあちゃさんを見て「小さいね」と言い、出産祝いと、最寄り駅のコンビニで買ったお弁当を渡してくれました。


しばらくすると母の携帯電話が鳴り、誰かと話し始めました。
母は怒っています、どうやら契約したマンションの運営会社から、家の鍵を渡すことはできないと言われたようなのです。

ずっと押し問答が続いて話が前に進んでいないようなので、わたしが電話を代わり担当者と話しました。

母は物件の賃貸料を振り込み、契約書も送ったが、会社にまだその書類が届いてないから規則上、物件の鍵を渡せないとのことでした。

「お金払ったのに部屋に入れないってなんなの!」と母は憤慨していましたが、よくよく確認してみると、契約書はFAXで送信するよう言われたのに、彼女は郵便ポストに投函したため、まだ会社に未着の状況でした。

「会社の人は悪くない、FAXしなかったお母さんが悪いよ」と言うと、「だってFAX分からないもん」と不貞腐れました。

仕方がないので、代わりにわたしが電話やメールで担当者とやり取りをして、代行で再契約を結び、コンビニから契約書を送信し、なんとか鍵を受け取る手配が整いました。


初日はその手続きのやり取りだけで何時間もかかり、あちゃさんのお世話をしながらすべてわたしが動いたので、ひどく疲れました。


母はわたしが手続きをしているあいだ、ずっとテレビを見ていました。


家を出てマンションに到着した母から届いたメールには、

「無事に部屋に入れました♪ クーラーもテレビもあるし快適◎」と書いてあり、げんなりしたけど、今日はイレギュラーなことがあっただけで、明日からは手伝ってくれるだろうと気を取り直しました。





母が家にきた、2日目


朝8時過ぎ、母はお弁当とお菓子を持参してやってきて、それらをテーブルに広げると、さっそくソファに座ってテレビを見ながら食べ始めました。
空調がきいた室内で「涼しい〜」と言いながらテレビを見て笑ったり、芸能人の噂話や勤め先の愚痴を言ったり。わたしの体調やあちゃさんにはほぼ無頓着です。

お菓子を勧められ「今はいらないからあとでもらうね」と答えると「せっかく買ってきたんだから食べなさいよ」とむくれました。
仕方なく1つ食べると美味しいかと尋ねてきたので普通だと返すと怒りました。

また、お菓子の値段はいくらだと思うかと聞かれ、500円くらいかなと言うと、ひどい!そんなに安くない!とさらに怒りました。


そんな調子の会話がずっと続き、やり取りが苦痛になってきたので、シャワー浴びてくると少し席を外しました。20分くらいです。

戻ると「シャワー長いね。そんなに長くてどこ洗ってるの」と母は文句を言いました。

会陰切開後でまだ傷が塞がっておらず、丁寧に洗わないと痛いのです。また、産後はおっぱいがパンパンに腫れていてシャワーの水圧だけでもズキズキ痛む状態でした。

シャワー20分は長いのか。
そもそも、なぜ自分の家のシャワーを浴びて「長い」と文句を言われなければならないのか。


シャワー中、彼女は寝ていたあちゃさんのオムツを確認したようで、「おしっこしてたけどオムツもったいないから替えなかった」と言いました。

「もったいなくないから、おしっこしてたらオムツは替えてあげようよ」と、わたしが替えました。


なんだかもう話すのが嫌になってしまい、自分でベランダに出て洗濯物を干すことにしました。
すると彼女は後ろからついてきて、ベッドに腰掛け、わたしが干すのを眺めながら、また勤め先の愚痴や噂話を話し出しました。

結局、手伝う素振りは何も見せず、その日の母はソファに座ってテレビを見て、お菓子をつまんで、おしゃべりしていただけでした。




夕方を過ぎて彼女が帰ったあと、手伝うと言ってくれた言葉に期待した自分がバカだったと後悔しました。

出産経験のある母ならば、今だけはさすがに労わってくれるだろうと期待を持っていたからです。


夜になって「明日の予報は雨なので洗濯もできないし、特に手伝ってもらえそうなことはないから、来てもらわなくても大丈夫そうだよ。近くにスーパー銭湯があるから行ってみたら?」とメールしてみました。

すると「わたしがお邪魔すると迷惑ですか」と返事がきたので、「そうじゃないけど。じゃあ明日もよろしくお願いします」と返答しました。





母が家にきた、3日目


朝から雨でした。

その日、昼近くになっても彼女は来ませんでした。
まだ寝てるのかな、どうしたのかなと思い、
「今日は何時頃に来るの?」とメールすると、「じゃあ2時間後に行きますね、よろしくて?」という返事が返ってきました。

よろしくて?だなんて。腹が立ちました。


午後になり母がやってきて、
そういえば母はまだ1度もあちゃさんを抱っこしていないことに気付き、彼女は素直な性格ではないので抱っこしたいと言えないのかもと思い、ミルクをあげるのをお願いしてみました。

母が抱っこしてあちゃさんがミルクを飲み始めると、哺乳瓶からズコズコと変な音が出始めました。

「たぶん空気が入ってると思う、そうするとお腹が苦しくなっちゃうからもっとしっかり乳首を咥えさせて」と、横から哺乳瓶の持ち方などを教えると、母はイラついたのか、舌打ちしました。



これ以上、彼女と同じ部屋にいるのが苦痛で仕方なくなって、少し休むと伝え、ソファでテレビを見ている母をおいて、わたしは眠っているあちゃさんを抱いて寝室に移り、ベッドに横たわると目を閉じて、早く母が帰る時間になればいいと念じていました。


たぶん、少し寝てしまったのだと思います。

ふと目を開けると、いつの間にか母が寝室に入っていて、ベッドサイドに立って、寝ているわたしとあちゃさんをずっと見ていました。

急に、ひどく気分が悪くなり、息苦しくなり、すぐに目を閉じてひたすら寝たフリを続けて、早く母が部屋から出ていきますようにと願い続けました。

あちゃさんとわたしを眺めて、もし母が感傷的な想いに浸っているのなら、ふざけるな冗談じゃないという強い怒りさえ込み上げてきました。

彼女はずっと黙ってわたしたちを見ていたと思います。
どれくらい時間が経過したか分からないけれど、しばらくして家を出ていく気配を感じました。




母が帰ってからキッチンに行くと、どうやらわたしとあちゃさんが寝室にいたあいだ、お茶を飲んだコップを2つ、洗っておいてくれたようでした。
でもシンク掃除用のスポンジで洗っていたので、わたしはもう一度、食器用スポンジでそのコップを洗い直しました。




その晩、嘘をついた


真夜中、母にメールしました。これ以上、母と一緒に過ごすことは無理だ、苦しくてたまらないと感じていました。


熱が出てしまい、明日から奴さんが休みを取って家にいることになった。
奴さんがいるとお互い気を遣うと思うし、彼があちゃさんのお世話や家事をやってくれるから、お手伝いの必要はない。
赤ちゃんに会いに来てくれてどうもありがとう。
気をつけて帰ってね。

熱が出たことも、奴さんが仕事の休みを取ることも嘘でした。

翌朝、「分かりました、お大事に」とだけ返事が届きました。



数時間後、再び母からメールがきました。
「鍵はポストに返しておきました。かえってイライラさせちゃいましたかね??」とぼけた顔の絵文字がくっついてました。

今までのわたしなら「そんなことないよ」と言っていたと思います。
でもその時は

「お手伝いに来てくれたはずなのに、ずっとソファに座って全然動かないから本当に驚きました」

と返信しました。



こんな返答、おそらく普通はなんでもない、思ったことをそのまま伝えただけのこと、多くの人は当たり前にしていることだと思います。

けれど、わたしにとって、自分の気持ちを率直に母に伝えたことはある意味、革新的であり、すごく前進した行動でした。



思えば、母になにか聞かれても、「そんなことないよ」とばかり言って感情を誤魔化してスルーしていたような気がします。


わたしの正直な感想を伝えたメールに、返事はありませんでした。

そして今に至るまで、母からは一切連絡が来なくなりました。




サッパリした


家族の数だけ、たくさんの親子関係のケースはあるだろうけど、少なくともわたしの場合は、パートナーの協力があれば、里帰り出産や産褥期間の親の手伝いは必要ないと思いました。

もちろん、生まれた赤ちゃんをたくさん愛でてくれて、産後のケアをしてくれる親ならば、存分に頼っていいと思います。

でも、同じ空間にいて余計に疲弊するだけなのであれば、一緒にいない方が自分ためです。

買い物だって、ネット注文でなんとかなるので。



現在、母とは何も交流がありませんが、メール1つする度にイライラしたり嫌な気持ちになっていた頃に比べると、すごくサッパリして、
ストレスになる人間関係をやめるとこんなに気持ちが晴れるものなんだ、と初めて気づくことができました。





人間関係は、親でも子でも、周りと等しく同様に


たとえそれが親と子の関係であっても、関係が自分に取って苦痛だと感じるなら、ストレス要因はひとつでも減らすよう努める。

親だから、子だから、ということに縛られず、1人の人間として、周りの人たちと同様に等しく、気持ちの良いと思える関係性を自らで考えて、自らで築いていく。

母に自分の気持ちを伝えてから認識したことです。



果たして母は俗に言う『毒親』なんでしょうか。



とにかく、あちゃさんを出産するまで、母のように感情だけで子供を振り回す自分本意な親にならないか、怖くて怖くて仕方がなかった。

自分が感じていた苦痛を生まれてくる子供にも与えてしまわないか、ずっと不安だった。




子供が自分の思い通りにならないと憤る母。
母に「頼むから死んでくれ」と言われ、言葉を真に受けやすい自分は、わかった死にますと鎮痛剤を大量に摂取し、救急搬送されたこともあったっけ。

胃洗浄は本当に苦しかったな。



でも今は、母とわたしは違う人間なんだと考えられるようになっています。




わたしは、おばあさんになるまで自立した心を持って生きたい。
あちゃさんも自分の世界をみつけて生きてほしい。


干渉し過ぎず、だけどあちゃさんが困ってたら全力で力になりたい。



お互いがそれぞれ、自分の心地良い人間関係と居場所を持って、時々それを共有しつつ、その上で良い親子の付き合いを結んでいけたらいいな。

心から強く、そう思っています。

そう思ったことを、ずっと忘れないようにしようと思います。



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