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自認していることの話(整理として)

所謂マイノリティ的な話で、今のところ自分でこうだと思っているよっていう話。
普段誰かに言うこともないから何となく改めて自分の中で整理してみようと思ったというわけ。

一応生まれてこの方生物学的にも戸籍的にも女性です。
なお、あくまでも全て主観のため、異論反論はあるかもしれませんが悪しからず。


学生時代のふわっとした違和感

さかのぼること保育園。
一人称が僕だった。おままごとより外遊びばっかりしてた。
小学校では赤のランドセルが嫌だった。
(時代と地域性でして。当時は女子は赤、男子は黒の選択肢しかなかった)
一人称は私になったけど、「正式な場では男女とも私っていうよな」って思うことにしてた。
制服のスカートが嫌でしかなくて、中にはいつも体操服の短パン装着。
私服を自分で選ぶようになってからはスカートなんて買ったことがない。

でもじゃあ男の子になりたいのか?と思ったら別にそうではない。
ただし女の子扱いされるのは違和感がある。

自分が学生の時分は、まだまだ多様性なんて広まってなくて、自分でさえ「同性愛」や「性同一性障害」なんてことぐらいしか知らなかった。
そういう意味では自分はどのカテゴリーにもはまっていなくてよくわからない状態。ちょっと変わった普通だと思ってた。

大学3年生のある日、MtFのトランスジェンダーの方が外部講師として行っている講義を受ける機会があった。
そこで初めて「セクシャルマイノリティ」というものを知る。
改めて自分で色々調べて、「FtM」の「アセクシャル」なのではと思い始める。

余談ですが、このころ就活で自己分析しすぎてめちゃ落ちていた時期なので、何となく自分のカテゴリーがわかることが安心につながったと思う。

何となくカテゴリーに分類してみてから

就活では
・ノーメイク
・パンツスタイル
を通して、それでも内定をもらえた企業に入社することに。
(当時の就活本では、女性は就活メイク、スカートスタイルが印象良い、ってあったからね)

社会人になり色んな書類を書き始めて「性別」欄に記入することが地味にストレスだなあなんて思う日々。

「女性」欄に〇したくないなあ…でも男になりたいわけじゃない。
生理は来てほしくないし胸もいらんけど、髭やシンボルが欲しいわけでもない。
まったくもって性欲も恋愛感情もないから経験からくるヒントもない。
とか色々考えて、何となーくもやもやする。

20代半ば~後半になり始めて友人の結婚式ラッシュ。
嬉しいことだし雰囲気を壊すのは違うと思って、ちゃんと女性らしいセットアップを着てヘアセット、メイクもして参加。
これが案外コスプレしてる感覚で1日限定なら面白いって思ってた。

ある日、「X」という選択肢を知り、また、人によってグラデーションもあるからカテゴリーに縛られる必要もないんだなっていうことを知った。
そこから「FtXのアセクシャル」というのが一番近いなと思うことに。

ちなみに、この時点で人生でのお付き合い経験4人(男性3、女性1)、カテゴライズ後2人(男性2)というわけですが、「人として好きではあるけど、恋愛感情はないし身体の関係も無理だよ」と断ってから申し出を受け入れたにも関わらず、最初は「わかった」と言っていても、結局長い目でお互い分かり合えることはなかった。
これに関しては相手の心が狭い!とか、理解がない!っては全く思っていなくて、自認がどうとか関係なく、「お互いの譲れないところが違うかった=広義の意味で相性がよくなかったよね」ということだと思っているのです。

ファッション系専門学校に入ってから

そんな自己分析な社会人を経て、30歳を目前にファッション系専門学校に入ったわけです。
メイク学科にもファッション学科にも、ファッションとしてメイクをしている男女がいるし、スカートもパンツもレディースもメンズも関係なくファッションを楽しんでいる学生たちが沢山いて
「女性らしいからスカートは履きたくない」とかそういうのがなくなった。

自らが多様性を理解しているようで、やっぱり〇〇は女性らしさの象徴、〇〇は男性っぽい、みたいな考え方してたんだなあと思った。
これは小さいころからの刷り込み教育なのかもしれないし、まあ自らにも偏見というかそういうものがあるもんだなと。
多様性が受け入れられやすくなったという時代背景もあるよね。

今もこの点、全員のことを理解できるわけではないけど、少なくとも否定はしないというか、受け入れることはできるようになっているのではと思いたい。

フランスに来てから

フランスは同性婚も認められているし、日本よりそういったマイノリティに理解のある国!っていうイメージでした。
まあそれはそうなのかもしれない。

ただ、こっちの方が何というのか、言語表現として男女がはっきり分かれてしまってちょっとストレスだったりします。
主語が男性か女性かで、形容詞が違ってきたり、日本で言う「~さん、様」が「マダム、ムッシュー」だから…絶対どっちかにカテゴライズされるわけ。中性表現がない。
これだけは困ったものだなあと。
自らに女性系の形容詞使うの嫌なんだよなあと思いつつ、他に選択肢がない。

ちなみに今、事実婚のパートナー(男性、ノーマル)がいますが、相手方にはきちんと自分の自認は説明したうえで「君は君だから、変わる必要はないよ」って言ってくれている。そして尊重してくれている。
凄いな、相方よ。

今後(特に子供)についてかんがえること

もうすぐ36歳になります。
フランスに来てできた友人たち(同年代)に子供ができたり、相方の甥っ子たちを見ていると、子供いいなあと思うこともある。

人生で初めて思いついた将来の夢(小学生時代)が保育士だった自分。
子供は好きです。
そこで最近、子供を持つことについて考えてみたんですよね。
自分で出産しないにしても、特にフランスでは養子に対して日本よりも寛容というかメジャーというか、とても一般的なので、その点でも。

※自らがする、しないを選択できる「女性」としての行為に関しては、することを選択したくないので、出産は精神的に無理なのです。どうしても。
既にいる甥っ子たちに「叔母」と呼ばれようが、それは私が選択できることの範疇ではないから諦めていますが、母になることは自らの選択なので、選べない。

将来的にフランスに居住し続ける場合、我が子がいることが将来の安心の一つになることはある。
※将来子供に養ってもらいたいとかではない
※血縁だからと言って親子関係が良好だとは限らないことも知ってるよ
※自らの親子関係(良好)の経験から、自分が年老いてから病院に入れるなりホームに居れるなりの手続きだけでもしてくれるかなとか、その程度の期待はしてしまう
※日本だった場合は全くもって心配してないというかどうにでもなると思ってるけど、帰る予定が今のところないからね
その他たくさんの※印の言い訳はありますが

しかし、自分が産む産まないに関わらず「ママ」と呼ばれることになるのかと考えたときに、無理だなってなりました。
我が子には「名前で呼んで」と教えられるかもしれないけど、外では「〇〇君、ちゃんのママ」となるわけで。
想像しただけで無理やな。「親」って呼んでくれるならありかもしれんけど、現実的じゃないから無理やな。

ということで、子供は無理です。実子も養子も。
残念。
友人知人の子供たちを愛でていこうとなりました。

そしてこう考えたときはちゃんと相方ともディスカッションをするわけで。
自分のわがままばかりになりますが、ちゃんと受け入れてくれてる相方に感謝です。すごいな、相方。
30半ばでフランス語を始めた自分としては、今後もパーフェクトになるはずもないから、相方には少しでも長く健康で長生きしてほしいものです。
自分が歳を取ってから、問題があって色々対処しないといけない時に、自らのフランス語力では不安しかないからね。


そんな感じで、自らの自認とそれに付随する今時点の考えを徒然と。
ノーマルに生まれていたらもっと生きやすかったのかなと思わないでもないですが、これは変わらないし、この自分でないとしない人生の選択もあったんだろうなと思うと、まあこれでよかったのでしょう。

一回どこかで自分の考えてることを整理したかったので、まあいい機会になりました。
今現在は自分は自分。
Xが今のところ一番しっくり
無性愛が今のところ一番しっくり
というだけの話です。

きっと我が両親の世代では受け入れられなかった考えだったと思えば、この年代に生きられてよかったと思う。
そんな今日この頃。

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