∃xist活動趣意書
∃xist.
#我々は存在する 。
∃…存在記号。ターンイー。Exist(存在する)の頭文字Eをひっくり返したもの。
有名な∀(全称記号)とは対になり、∀は〇〇が全て□□であることを示すのに対し、∃は□□な〇〇が少なくとも1つ以上存在することを表す。
はじめまして。きのとよしづきと申します。
ふたなりエロ同人屋です。
2019年7月参議委員選挙に表現規制反対派代議士である山田太郎氏が自民党から出馬した事に対し、僕はツイッター上で疑義を唱えました。それは一義的にはこれまで保守勢力の企図する表現規制の試みに対し正面から批判し、抵抗してきた無数の、そして無名のオタク達に踏み絵を強いる物であったからです。
また、これは純粋に表現の自由の価値を考える時、受け入れ難いものでした。つまり、表現の自由とはオタクのためだけに存在するのではなく、あらゆる立場の言論の自由を保障し(その中には勿論オタクへの批判も含みます。)、その言論と批判の相克によって社会正義を実現する為に存在するからです。あらゆる自由は常に調整を必要とし、我々の自由もまた例外ではありません。我々表現の自由を旗印とするオタクにとって守るべき価値とはこの営為そのものであった筈です。
しかし、近年在野の「表現規制反対派」は規制への反対、既存の規制の撤廃を求めるよりはオタクへの批判を「規制」と決め付けて攻撃する事が主流となっています。彼等が云うところの「規制推進派」とはオタクを批判するフェミニストの事であり、ヘイトスピーチ規制を望む反差別であり、彼等に同調するリベラルや左派のことです。
それらに対し優位に立つために、また、これまでオタクが味わってきた屈辱を晴らす為、政権与党にその橋頭堡を築きたい、という願望はまさに山田太郎氏の自民党からの出馬とマッチするものでありました。その結果彼は53万票という個人票を得て当選しました。彼等は紛れもなく「多数派」の仲間入りを果たした訳です。
無論そうした人達ばかりでなく、苦渋の決断を下した者、各々の思いから票を投じた人達がいます。彼等の意志と行動は非難されるべきではなく、僕はそれを尊重します。彼等が山田太郎議員を通じて実現しようとしている事をすべては支持しませんが、彼等の気持ちはオタクとして痛いほど分かっており、彼等の成功を願っています。
僕はこの間、自身のアカウントで上記の観点から批判を続けました。当然、「お前の考えは少数派だ、表現規制派を利するものだ」といった非難を少なからずを受けましたが、これは驚くには値しませんでした。僕は別の事に驚く事に忙しかったのです。
本件に関連するツイートが急に千件単位でいいねされたのです。僕のアカウントは当時フォロワー6百数十人程度でした。到底アルファとは言えません。たまに軽くバズることはありますが、如何にホットなトピックであるとは言え、僕の云う理念的な発言に共感する人が数百人単位で存在する事自体、まったく想像もしていなかったのです。
というのも、僕は今時の選挙以前から「表現の自由の価値」について時折発言し、現状の「表現規制反対派」を批判して来ました。そう言うツイートは伸びても精々数十件。今回も選挙期間中である事を考慮しても百件程度と予想していたのです。その十倍以上の反応を得て僕が狼狽している間に、気が付けばフォロワーが百人程増えていました。
僕と同じように山田太郎陣営や「表現規制反対派」を批判している人達の中も同じような体験をした人が複数居ました。新橋九段氏や彌霧ヘカル氏等、同様の驚きと些かの困惑を口にしています。そしてもう一つ注意すべき事に、僕等自身、本件を通してお互いを認識したのです。
勿論これは僕のアンテナ感度の悪さ、コミュ力の低さも大いに関係しているでしょう。彼等からすると「誰か知らんけど言う事言うとる奴がおるやんけ」と僕を発見したに過ぎないのかもしれません。が、明らかにそれだけではないのです。山田太郎氏の選挙戦略を通じて違和感を持った人、危機感から瞬間的にアクティブになった、普段は静かなリベラルなオタクが、どうも僕が考えていたよりは(多数派ではないけど)居るようなのです。
そして今、山田太郎陣営への不信を契機として、彼等の危機感が顕在化したと言えます。
彼等の危機感は当然です。何故ならオタクの中には当然女性も、在日コリアンも、障害者も、性的マイノリティも、「弱者男性」も、その他多くのマイノリティも含まれる訳です。彼等にとって望ましいのは「オタクの一方的な勝利」などではなく、オタクの権利も擁護しつつ、マイノリティが排除されないよう様々な議論の上で社会的公正が実現される事です。彼等もまたオタクの仲間ですから、本来なら表現の自由と共に彼等の権利を擁護しなければなりません。ところが今は、彼等を守る思想やアクションそのものを「表現規制反対派」は「規制推進」のレッテルを貼って排撃している訳で、これは実質的に「オタク」から彼等を排除しているに等しいのです。
そして表現の自由の価値をちゃんと理解し、その観点から表現の自由を守りたい人にとっては「表現規制反対」がオタクの一方的な権利擁護を目指すものだと理解される事自体が致命的です。「表現規制反対派」(揶揄を込めて「表現の自由戦士」と呼ばれる事もあります)に対する批判として「奴等はズリネタさえ守れれば良い」という物があります。これは本来なら「エログロも守れなくては表現の自由は守れない」という反論が成り立ちます。というか、かつての「非実在青少年」問題の頃はこの主張が規制反対派の行動原理ですらありました。が、「エロは守っても他の自由はどうでも良い」と看做されたら、この主張は死にます。実際、オタクに対する批判においては最早そう見做されている訳で、この懸念は昨日今日の問題ではないのです。
そこで彼等は平素の沈黙と雌伏を破り、プレーリードッグのように慎重に辺りを伺い、情報収集をしている訳です。
無論このような動きは選挙を踏まえた受動的なアクションではあります。が、それでも僕はそういう方々の存在を確認し、すこぶる心強い気持ちになりました。
「僕達」は、間違いなく存在する!
僕等こそが当事者としてこの動きに抵抗しなければならない!
しかし、ここで2つ問題があります。
一つは、僕等の受け皿となるプラットフォームがないこと。
もう一つは、僕等がお互いに不可視であるため連帯が困難であること。
前者は、先述の新橋九段氏が素早く動いて「広い表現の自由を守るオタク連合」(@hyougenmamoru)を作りました。以下にURLを貼っておきます。是非皆様にも参加して頂きたく存じます。
https://hyougenmamoruotaku.wixsite.com/official
2つ目に対応するのが、この∃xistです。
僕等は孤独に耐えて来ました。少なくとも、僕は反差別と表現の自由の狭間で、フェミニズムと表現の自由の間で、孤独でした。
(フェミニズムについては、オタクの中からフェミニズムを考えるクローズドなコミュニティ「オタふぇみん」(@O_fuxxsexism)があり、僕も参加しています。僕は彼等と完全に考えを一つにする訳ではありませんが参加し、彼等も僕をフェミニズムの多様性の一つとして受け入れてくれています。)
しかし、余りにも僕等リベラルオタクは自分達をマイノリティとして矮小化し過ぎていたのではないか。敢えて厳しく言えば、少数派であることを理由に「表現の自由戦士」の跳梁を見過ごして来たのではないか、と思ったのです。
確かに僕達はオタクの中でも少数派かもしれない。が、広く見渡せば思ったよりは居るかもしれない。なら、僕等は僕等の旗印を以て連帯し、オタクは単に自己の快楽の為だけでなく本質的な意味で表現の自由を守り、どんなに蔑まれても人間の尊厳を保ち、コンテンツ文化の豊かさを通じて差別や不公正を是正しようというリベラルな文化を持った共同体たり得るのだ、と主張しても良い筈です。
その為に、まず僕達は「存在」し、「存在し続け」なければなりません。
#我々は存在する !
と世に示さねばならないのです。それがお互いを鼓舞し、次のアクションにも繋がります。
オタクの全部が「表現の自由戦士」ではない。オタクの全部が山田太郎の支持者でもない。ましてやすべてがネトウヨなんてことはない!リベラルなオタクはいるんだ!という意思表示が出来る必要があります。
∃xistはその意思表示を行う行動です。最初に書いてある通り、「∃」は「少なくとも存在する」という意味です。それが何%かなんて分からないし、関係ありません。存在するのだ、存在すると自己主張して良いのだ、という人を少しづつ増やしていこう、というアクションです。
参加する方法は簡単です。
使用しているSNSの表示名に「∃」若しくは「∃xist」を入れるだけです。
それは何だ、と聞かれたら「リベラルなオタクは存在する」という意思表示だ、と説明しても良いし、ゴニョッても良いのです。それ以外は、先ずは普段通りで良いのです。「表現の自由戦士」と喧嘩する必要はありません。万一絡まれて面倒臭かったらブロックしちゃいましょう。
で、自分の他に「∃」を付けてる人を見かけたら一寸心強い。それだけです。
それだけなのですが、多分物凄くハードルが高いと思います。だって今迄そんな事はしてない訳ですから。そんな事をして何になる、と思う人も多いでしょうし、党派性を帯びる事を避けたい人も居るでしょう。それはよく分かります。そういう方はそれとして心の中で連帯してくれると、心強いです。
オタクを分断するだけではないのか、と思う人も居るでしょう。でも、そもそも既に居ない者扱いされてる訳です。オタクとして大っぴらに「政治的」言動をしてると往々にして「オタク皮を被ったサヨクめ」と言われます(僕は一応リベラル右翼なんですが…)。既に党派性を帯びた輩が勝手にオタクを分断してるのです。オタクには当然色んな人間がいるのですから、リベラルが多少目立ってようやく調和が取れるというものです。
単なる自己満足という批判もあるでしょう。そもそもオタク活動に自己満足じゃないことなんて何一つないです。
なので、もしご賛同頂けましたら、何の宣言も報告もせず、この文章を閉じた後でそっと表示名を変えてみてください。
勿論僕みたいに自己顕示欲の塊な人は、僕やいろんな人に触れ回って下さい。
貴方が「存在」しているところを、僕は見たいのです。
きのとよしづき
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