自分が嫌になったり、他人が嫌になったりしたときの対処法

つらい時期は、自己嫌悪に陥ったり、無気力になったりしてしまいます。私も統合失調症を患った当初は、何もできない状態の自分が嫌になったり、将来が怖くなったりしていました。
また、否応なしに人は人と関わらずに生きていくことはできません。無人島に行って、一人で生活する状況でもない限り、人と関わらざるを得ません。良い友達や仲間と関わるのが基本になると思いますが、自覚の有無に関わらず、嫌なことをしてくる人もいます。
この記事では、自分や他人が嫌になったときの対処法を説明します。


自分が嫌になる理由

自分が嫌になっているときは、今の想像上の自分とこうありたいという想像上の自分が乖離している状態にあります。今の想像上の自分と言っているのは、自分が自分に対して思い込んでいる自分という存在のことです。
スポーツを始めるとわかりやすいです。私はゴルフをやっていて、フォームが定まらないうちは色々意識を変えながら「こうかな、こっちかな」と試行錯誤していました。最初は楽しいのですが、なかなかうまくいかないと自信がなくなってきます。自分はできないのだと思い込んできてしまいます。しかし、それでも続けていき、自信がないながらも、練習中に体の使い方を変えてみると、ある日、まっすぐ力強くボールが飛んでいきました。その直前までは自分はゴルフができない自分だと思いこんでいました。ゴルフができない自分というのは想像上の自分です。しかし、少なくとも、ボールをまっすぐ飛ばせた瞬間はゴルフができる自分です。
このように、自分というのは、ゴルフができないと思い込んでいる想像上の自分であるということです。さらに、ゴルフができるようになりたいと思っていた私は、こうありたいという想像上の自分です。つまり、今の自分も想像上のもの、こうありたいという自分も想像上のものです。そこが乖離すると、自信がなくなったり、自己嫌悪に陥ったり、無気力になることもあります。

自分が嫌になるときの対処法

自分が嫌になったときは、今の自分とこうありたいという自分が乖離しているのを今の想像上の自分を変えるか、こうありたいという想像上の自分を変えるか、どちらかになります。

今の自分のすべてがうまくいかないはありえない

趣味のゴルフがうまくいかないくらいだったら、大きな問題にはなりにくいかもしれませんが、すべてがうまくいかないと思っていたら、大きな問題です。すべてがうまくいかないと思いこんでしまうことはありますが、実際は思い込みです。何もできない植物人間のような状態にならない限り、ものを食べることはできます。眠ることもできます。インターネットを観たり、散歩にいったりすることもできるはずです。すべてうまくいかないということは、少なくともこの記事を読んでいる方はありえないです。すべてと、広げすぎていると思います。思っているより今の自分はできます。

こうありたいという想像上の自分を変える

すべてがうまくいかないとまではいかなくとも、働けないや遊べないなどの比較的大きな問題があるかもしれません。そのようなときは、こうありたいを変えることができます。たとえば、私は統合失調症を患った当初は、それまで働いてきたように働ける状態ではありませんでした。しかし、他の人と同じように働きたいと強く思っていました。
発症してから1年くらい経ったころだと思うのですが、ある日、今は複雑骨折をしたような状態で動けない状態だから、とにかく自分のできる範囲で好きなことをしようと思い、ひたすらゲームをしたり、本を読んだりする日々が続きました。待つということを選びました。
その後、だんだんと、働くというのは、他の人と同じようにする必要がないと思うようになりました。幸い、知り合いのつてで、少しだけ仕事ができる環境があったので、そこにお世話になりました。
私も、なかなか働きたいという気持ちは捨てられませんでしたが、「今すぐ」やろうとしないこと、「働くの定義」を変えることが良かったと思います。こうありたいというものを今すぐ実現できるなら、やったほうがいいです。しかし、病気や怪我がなくても、今すぐ実現できることは強くこうありたいと思ったりしません。できてしまいますので。
また、想像しているこうありたい自分を変化させることも良いと思います。私の場合、再定義をします。働くって別に会社に週5日行く必要もないのではと思いました。ちなみに、働くとは、はたを楽にするという元々の意味があるらしく、他のものを楽にするようなことなら働くということです。そのことは最近知ったので、発症当時の自分に教えたいくらいですが、自分のこうありたいを言葉で具体的に再定義することは、自分が嫌になることを防げると思います。
また、自分が自分に優しい言葉をかけるということは自己嫌悪を予防できると思います。コンビニで買い物できた、掃除ができた、よく休めた、など、人によっては当たり前と思う人もいるかもしれませんが、当たり前にできる自分というのも想像上の自分です。当たり前というのは、自分はいつでもできると思っていることです。しかし、当たり前は、ある日突然失われることがあります。世の中は常に変化しているためです。なので、病気や怪我の有無に限らず、当たり前と思うのは危険だと思います。当たり前と思うより、ハードルを下げて、よくやってるなぁと自分で自分を褒めることが自己嫌悪を防いでくれると思います。可能であれば、他の人に感謝をできるとなお良いと思います。当たり前ではなく、有り難い(めったにない)ということです。

他人が嫌になる理由

他人が嫌になる理由も、自分が嫌になる理由と同様で、想像上の他人とこうあってほしいと思う他人が乖離しているからです。想像上の他人というのは、やはり、特に他人のことは一面しか見れないので、自分が思う他人のことです。道を歩いていても、自分は左を歩くから、あの人は右を歩いてほしいと思っても、そうはいかないということはよくあると思います。道を歩くくらいでは大したことはないかもしれませんが、意見が一致しないのはもどかしいものです。場合によっては、他人が意図するしないはわかりませんが、悪影響を及ぼしてくる場合もあります。
いずれにせよ、自分の見ている他人がこうあってほしいと思っていることと反するときに、他人が嫌になります。

他人が嫌になるときの対処法

害のある人とは関わらない

自分が見ている他人は一面でしかないです。その人自体すべてが悪いというのは、ほとんどの場合ないと思います。自分に害しかない場合はありますが、その場合は、関わらないという選択が良いと思います。
先日、ゴルフの練習の帰りに、コンビニに寄ろうとしたときに、私は気が付かなかったのですが、ゴルフバッグが歩いていた人にぶつかってしてしまったようです。そして、私がコンビニに入ろうとした直前に、その人に「あんた、ぶつかっておいて謝らないのか」と怒鳴られました。私に非があるわけですが、悪気はなく、また、その人も怪我などはしていません。悪いことをしたと思って、すぐに、すみませんでしたと謝って、怒鳴った人はどこかに歩いていきました。その後で、私の中で、怒鳴る必要ないだろ、なんであんな人に関わってしまったんだと、とても嫌な気持ちになりました。しかし、少なくとも私がすぐに謝ったことは正解だと思います。もし、あのとき私も頭に血がのぼって、「知らねーよ、あんたがそこにいるのが悪いんだろ」などと返していたら、相手が何をするかわかりません。それに、自分にとって嫌な奴と関わってしまうことになります。さらに、自分の心が汚れます。普段から、そのような人とか関わっていたり、自分の心が汚れていると、本当に自分も嫌な奴になってしまいます。
あとから冷静に考えると、あの人も虫の居所が悪かったのかもしれないなど思ったり、ぶつかられたら嫌な気持ちになるよなと思うようになりました。私は、良い人生を送るために、動物が吠えるように、ぶつかられたくらいで怒鳴ることは、決してしませんが。
他人が害を及ぼしてくるときは、関わらないようにうまく逃げることが大切だと思います。逆に、本当に良い友達や仲間と過ごす時間のほうが、人生にとって良いのだと思います。人生は短いので、基本的には害悪からは逃げて、自分の目的のために時間を使うほうが良いと思います。

win-winがダメなら、譲る

人間の本能から、自分は自分を一番大切に思いがちです。ものが飛んできたら避けるように防衛本能から、自分を一番と思うのは納得できます。それ自体は100%悪いことではないのですが、他人も同様にその人自身を一番大切に思っています。お互いの意見がwin-winで一致していれば、問題無いのですが、そうでないことはあります。お互いの意見が一致しないときは、まずは、どうしたらwin-winを構築できるか模索することです。お互い、自分が本当にしたいことは何か考え、また、相手が本当にしたいことを考えることです。それでもうまくいかないときもあります。その場合は、自分が譲れる余裕があるかどうかを考えると良いです。自分は自分を大切にしたいという気持ちを相手も持っていると考えて、これは自分にとってマイナスは大したことないなと思えることなら、基本的には譲ることが良いと思います。若者が老人に席を譲るなどは、基本的には若者にとってはマイナスは小さく、老人にとってプラスが大きいものです。このように譲ることで、世の中の全体最適を求めるのが良いと思います。自分が一番ではなく、世の中の全体最適を求めていくのが結果的に自分も幸せになると思います。
また、逆に他人が自分に何かをしてくれると思い込むのは危険だと思います。他人はあなたが思っているよりあなたのことを知りませんし、先述のとおり、人間は自分が一番と強く思いがちです。他人を信頼しないということではなく、他人はコントロールできないので、他人がしてくれることを当然と思わないほうが良いと思います。

悪人と関わらざるを得ないとき

自分に非はまったくない、他人が悪いという状況は起こり得ます。基本的には関わらないことが大切です。しかし、それでも関わらざるを得ない場合があります。その場合、自分を守るために、自分ができることがあります。悪人は動物であると思うことです。しつけができていない犬は吠えたり噛み付いたりしてきます。それは、犬の本能からくるものです。悪人も同様です。自分の本能に従って搾取しながら生きている、本当は、とても可哀想な人です。基本的に誰も救ってくれません。誰も搾取する人とは関わりたくないからです。動物だから仕方がないと割り切ることで、自分を守ることができると思います。そして、余裕があったら、優しい言葉をかけてあげてみてください。悪人は優しい言葉をかけられることはめったにないはずなので、とても喜ぶかもしれません。犬に餌を与えるように、悪人に優しさを与えるとその人も変わる可能性はあるかもしれません。



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