他人と比較することの無意味さ・競争心の使い方

人は比較をしがちです。あの店よりこの店のほうが美味しい。あの人より自分は劣っている。今より昔のほうが良かった。などと何でも比較します。特に、自分と他人を比べたり、他人に勝ちたいと競争心が湧くことが頻繁にあると思います。今回は、他人と比較することの無意味さと競争心の使い方について説明します。


他人と比較したくなる理由

人間が自分と比べてあの人は劣っている・優れていると比較しがちなのは、人に遺伝子的に近いチンパンジーを見てみるとわかりやすいです。
チンパンジーは群れになり、オスもメスも群れの中での順位があります。オスは順位が上になれば、メスと優先的に交尾ができたり、食事なども優先的にできるそうです。メスも順位が上になれば、順位が上のオスの子孫を残しやすく、食事も確保しやすいようです。
また、推測ですが、ヒエラルキーがあったほうが集団の統制が取りやすいから、自然にヒエラルキーを形成しようとするのだと思います。人間社会も会社や学校などでヒエラルキーがあります。こうしたほうが、集団としてはまとまりやすく、生き残りやすいのだと思います。
このような動物の世界では、生き残るため・子孫を残すために自分がヒエラルキーの中のどこにいるかを認識することは重要です。人もこの本能が残っていて、他人と比べるということをやってしまうのです。

他人と比較することの無意味さ

人間は他の動物と違って、知能が発達しています。思考ができるゆえに不幸になることもあります。中でも、本能が影響する思考の癖は不幸を引き起こしやすい傾向にあると思います。
他人と比較したくなる気持ちというのは、動物的な本能によるものだと思います。動物として生き残りやすいから、これまでの進化の過程で出来上がった人間の思考の癖です。しかし、生き残るために他人と比較することが必要な社会なら、そうしたほうが良いかもしれませんが、今の日本では必ずしも必要ではないです。しかし、他人と比較して生きている人は、たくさんいます。お金や権力、知名度などで他人より優れた人になりたいと思っている人はとても多くいると思います。逆に、自分は他の人より何もできないダメな人間だと悲観的になってしまう人も多くいます。
しかし、生きる上で不要なことをする必要はありません。それよりも、他人と比較することの無意味さを理解した上で、自分が何をしているときが幸せかなどを考えながら生きるほうが良いのではないでしょうか。
本能は強い思考回路なので、他人と比較することが無意味とわかっていても比較してしまいます。比較しないということをできなかったことで自己嫌悪に陥るのではなく、自分も動物の一人だから仕方ないとわりきって、できる限り比較しないように生きようとすることが大切だと思います。

他人が比較を促してきたときの対処法

世の中の一部の人々は、そのような本能を知った上で、または、知らぬうちに、人の優越感や劣等感を煽ってきます。例えば、勝ち組や負け組といった言葉を使う人です。他人と比較することが本能としてあることを知った上で人を煽るためにこのような言葉を使う人がいます。基本的には、煽る人は信頼しないと割り切ったほうが良い傾向にあるように思います。
私の今現在の思考では、いわゆるマウントを取ってくる人を見ると、チンパンジーと同じだと思ってしまいます。チンパンジーが悪いわけでも、マウントを取ることが完全に悪いことというわけではないのですが、マウントを取っている人を見ると、本能が強い人だから気をつけようと思います。
基本的には、他人が比較を促してきたときは、その土俵に乗らないほうが良さそうです。その場限りの優越感や劣等感を感じるのは価値がないと思います。

競争心の使い方

他人と比較することはあまり意味がないと思いますが、他人と競争したほうが良い場面では必要になることがあると思います。
競争は他人と比較して勝ち負けを決めようとすることです。まさに他人と比較することです。例えば、足の速さや論理性、話の面白さなど比較することがあると思います。頭や体を使うことを他人と競争することで価値が生まれることは結構あるかと思います。そのようにポジティブに使える競争心はあってもいいのではないかと思います。
ただし、問題なのは、人より優れている・劣っていると思ってしまうことです。陸上で世界記録を出した人は、その時点では人より速く走れるということは事実です。しかし、だから人より優れているとはならないと思います。体の優劣は割り切れる人は多いですが、頭の良し悪しは割り切れない人が多いように思います。仮に、思考力が高い人・低い人がいるとしても、それは一面です。人は様々な側面があって、ある観点ではAさん、別の観点ではBさんが世界一かもしれません。比較するということは、観点がなければ無理なのです。人と人を比較するということ自体が不可能なのです。
また、忘れてはならないのは、勝つために頭と体を使うのではなく、価値を生むために使うということです。勝つことが第一目的になってしまうと、相手を蹴落とすなどの手段を取ってしまい、本来の価値がないものになってしまいます。また、相手に勝つという気持ちが強いと、勝負の相手という不確定なものに注意を奪われ、自分の力を発揮しにくくなります。価値を生むために、かけっこで勝負するくらいの遊び感覚で競争心を使うくらいが良いように思います。

結論:人と人を比較せず競争心をうまく使う

人に優劣は存在しません。そもそも人という単位では比較できないからです。他人という不確定な要素と一生懸命比較して不幸になるよりも、人の目を意識せず、自分が何をしているときが幸せか考えながら生きるのが良いのではないでしょうか。
その上で、自分の強みを見極めて、特定の土俵で、遊び感覚で競争心を使うのが良いと思います。競争していると、つい自分のが優れている・劣っていると思いがちですが、その気持ちが出てきたら、それは意味がないということを思うのが良さそうです。
また、他人が競争心を煽ってきたら、その土俵で戦うか降りるかは自分が決めれば良いです。


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