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サラバとタダイマ

先日、ザ・バカンスというバンドで
ドラムを叩きました

解散して10年のバンド。



🧊
お笑いをスタートする前に
俺は沖縄にいました。
そこで音楽をやっていました。

文化祭に登壇するだけの
お趣味バンドではなく
プロを目指してコンテストや
イベント、勢力的にライブをこなす
バンドでドラムを叩いてました。

ハリケーンズ、ちゅーバンドです
何度か賞を頂きました
しかし俺はお笑いに目覚め
ステージの後方にいることを良しとせず
前に出たくてって解散となりました。

そして俺は上京しお笑いをやりました。

そこから紆余曲折あり
※ここを書くと死ぬほど長い

28歳の時、沖縄で解散した
バンドのメンバーのボーカルと
東京で再会しました。

そしてなんとなーくスタジオに入り
なんとなーくザ・バカンスでドラムを
叩くことになった。

そこから怒涛の日々が始まった。

お笑い活動と兼ねて司会をやっていたが
そこにバンドが入ってきて
スタジオと司会と普段のバイトと
グルグル回る日々を送り始めた。

30歳手前でバンド活動をするなんて
俺は狂ってるのか?と思いながらも
仲間と何かを作る作業があまりにも
新鮮で懐かしくて

チラシ作り、物販ブース作り
衣装に曲作りにイベント自主企画発動と
楽しくて仕方がなかった。

CDも2枚出して
メンバーも新しくギターリストが入り
目まぐるしくやっていたが
紆余曲折あって解散になった


はじめは楽しかった音楽もいつしか
しんどくなり
義務のようにライブをして
売れる糸口を見つけたくて
俺は、走り回った。

音楽を純粋にやりたいメンバーとの
温度差を感じていた
俺は売れたかった。

お笑いの活動をないがしろにしていた
自分に対する不甲斐なさも含めて
俺は焦っていた。


そして解散。

全部終わった。

毎週、仕事終わりのクタクタになってやる
週一回のスタジオも

月1でやるミーティングも

ライブ活動も

集客も

全部やらなくてすんだ。

本当に終わったんだ。



いずれ暮らしの果てに散る
by eastern youth

夢は散った
生活に飲まれてそこに
ヒラヒラ舞い落ちた
思い出のなかに
スルリと飲み込まれて。。

見えぬ夢の尻尾を追いかけ
毎週スタジオに入り
あの時重くて仕方がなかった楽器。
楽しいはずのものがいつしか
ただ重たい鈍器に変わって
俺をくたびれさせていった。

夢は、、散った。

それから10年たった
俺はピン芸人として活動していた。

インハイという
沖縄のインディーズの雄が
バカンスでやってくれない?と
俺らに声をかけてきた。
そしてイベントに出演した。

俺たちはスタジオに入り
みんなで音を出した、俺は泣いた。
なんで泣いたのか解らなかった

でも思うのは

夢を追いかけた自分がそこに
いたのは嘘じゃなかった
あの10年前がキラキラと光輝いた

鈍器を置いたら
楽器に変わっていて
すごく楽しかった
苦しかった毎日が
愛しい毎日に変わっていた

そして俺たちは再び夢を見た。

新宿マーブル
一緒にでてるメンツが良すぎて
満杯のお客さん

ステージから咆哮する俺たちに
つられて若かったみんなが
おじさんになって涙していた

その可愛らしさにステージで
目頭あつくなるのを堪えた

マジで走ったから
マジで走り抜けたから

自分の夢を犠牲にして仲間と走った日々が
あったからこの夢がみれたんだ

終わらない

生きてるうちはなんどでも復活して
やりたいことやればいい

生きてるだけで 
死ぬほど可能性がある

かっこ悪いだろーなー
昔の俺がみたら

馴れ合いでパンクやってんじゃねーよ

なんでもいいよ
だって最高なんだよ
昔の俺、黙ってな
ヤキモチやいてんなよ、俺。

奇跡の夜は静かに幕をおろし

みんなは

親として

社会人として

生活に溶けていく。

生きてればまた立てる。

生きてることだ。

楽しむ気持ちを諦めないことだ。


ありがとう。
呼んでくれて。
誰かに君がここにいたんだよと
心に炎を燃やし暖めてくれた一夜だった。

まさにワンナイトドリーム。

はは、ダサいな笑

夜は明け

容赦なく現実が戻ってくる

俺はといえば

穴掘ってニッカポッカで土塗れ

ハナクソ真っ黒

そして夜はまたノートとにらめっこ

さーーネタ書こう

俺はまだ終わらない夢を見てる

諦める日を目指して

心、潰れる日がくるまで

クスりと笑う日々を歩く、

俺は笑う。

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