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お金の価値が軽くなる時

皆さんこんにちは。
みんなの気になる樹です。

今日は、ここ最近の私のお金に対する心境の変化についてお話ししていく。

私が投資を初めてから、もう間も無く14年目が終わろうとしている。
気がつけば、義務教育どころか小学校入学から高校を卒業するまでの期間よりも長く投資をしていることになる。

これだけ長い期間投資を続けてこれたということは、生き残れたということ。
つまり投資で失敗していないということだ。
おかげさまで資産額は、30代全体の上位数%に入るにレベルまで増えてきた。

しかし今回は、そんな自慢をしたいわけではない。

ここ最近、自分の資産額を背景として、お金に対する価値観が明確に変化していることを強く感じている。
今回のメインテーマだ。

最近、「お金はもういらない」と思うようになってきた。
普通は考えられないだろう。
格好をつけて調子に乗るなと言われるかもしれない。
しかし、事実そのような心境の変化が生まれ出している。

今の私の状況は、給与を貰って増える資産額よりも、投資で増える資産額の方が遥かに多くなってしまった。
正直なところ資産運用で毎月増える金額は、今の会社(金融機関)の部長職の給与よりも遥かに多い。(無論、「今は」という話で、この先もこの状況が続くかはわからない)
こんなことは、口が裂けても会社の上司同僚には言えない。

だが一方で、投資で増えた資産というのは、お金が増えたという感覚ではない。
ただ数字が大きくなっただけだ。
無論、資産が減ったとしても、それは数字が減った以上の感覚を感じることはない。
そして、その数字の先頭に“¥”という通貨記号が付いているだけだ。
つまり、お金をただの文字列としか見ていない。

そんな状況の中、自分の給与を振り返ってみれば、投資で得られるリターンよりも遥かに小さな金額だ。
お給料が振り込まれたら嬉しく感じる。
しかし冷静に考えれば、投資で増える資産の前では小さな金額だと、冷めた見方をしてしまう。

結局のところ、お金が増えるとかお金を貰うことに対して、特別な価値を感じなくなったのだ。
小学校の頃、親から毎月もらう500円が大金だったのに、今ではその感覚を得ることができない。
これはつまり、自分の中のお金の優先順位が下がったことを意味している。
それが私の価値観に様々な変化をもたらした。

その一つ目が健康意識の高まりだ。
以前までは、不調になれば医者にかかって治せば良いと思っていた。
それが今では、お金を払ってでも健康でいたいと考えている。
健康保険料の払い損ではないか。

そして二つ目が就労意欲の低下だ。
正しく言うと、働く気が失せたわけではない。
給料が働くモチベーションに全く繋がらないという話だ。
自分の興味ある仕事でしか、やる気スイッチが入らない。
自分の未知の領域を知ることや、成長を感じることにしか意欲が湧かない。

そして三つ目が好奇心だ
頭の中でお金の心配や悩みに割くリソースが節約される分、その余ったリソースを常に何かに使おうとしている。
未知のものに刺激を求めている結果、何かを欲しいている。
その何かの答えは、まだ見つかっていない。

最近は寄付をするお金持ちの気持ちが少し理解できるようになった。

彼ら彼女らは、きっと変化を見たいのだろう。
例えば世界の貧しい子供を支援する人達は、きっとその子達がこの先どのような成長をするのかに興味があるのだ。
お金を出してその成長を眺めることができるのなら、こんなに楽しいことはない。

私も投資家人生の果てに、いつかはその場所から景色を眺めてみたいと感じる。
これが今の私のお金に対する価値観だ。

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