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古い武器を手放す・・・私と「描くこと」

「一年生の時からそうだった」

描くようになったきっかけ と聞いて、思い出すのは幼馴染の言葉。
私はもう覚えていない。けれど彼女は言う。

「小学校一年生でおんなじクラスになったじゃん?
 そん時からあんたは学校の机に絵を描いてた。
 紙じゃなくて、木の机に直接ね。
 目とか髪型とかがパーツごとに描いてあって
さあ選んで!組み合わせて描くから!
って、急に話しかけてきて変な子だなって思った」

小学校でオタクを自認した。中学時代は塾の友達に紹介されて出会った他校の友達と、早熟な同人&コスプレ活動をしていた。それから駅にある紙を貼るタイプの交流掲示板もやったな。高校でインターネットに出会い、学校生活そっちのけで、個人ホームページを作ったりお絵かき掲示板の常連になったり…深夜しかネットを繋げない時代だったから居眠りばかりしていた。大学時代は数日間絵茶(お絵かきチャット)に入り浸っていたこともあったし、社会人になってからもpixivの「企画」に参加したりしていた。


今は、描いてない

描いてないことに罪悪感を覚えたりすることもあるけど、思い返してみれば納得感もある。

私の「描くこと」はいつも誰かとの「コミュニケーション」と共にあった。

「誰かに褒められたくて」「誰かと仲良くなりたくて」ずっと描いていた。そのために取りうる様々な手段の中、一番得意で、好きで、結果が出ていたのが「描くこと」だった。


描かないでもいい

描かなくなる前、手痛い失敗をした。
描くことが関わるコミュニケーションで、相手を傷つけ、自分も傷ついた。

それから描かなくなって、しばらく。
今は「描かなくても大丈夫だな」と思う。

みんなが「わぁ」っていう絵を描かなくても、大丈夫だ。それをしなくても仲良くなりたい人とは仲良くなれるし、仲良くしなくてもいい。

私に取って「描くこと」は武器だった。
「描くこと」が私を守ってくれた。
ありがとう。

でももう武器として、守りとして描くことはやめよう。

今はまだ描かないけれど、次に描きたいものができたら
何か描き始めたら

それは純粋に描きたくて、描けると思う。


それは、楽しみだ


サポートいただいたらコメダで家族でモーニングします。週末はモーニングだ!という家庭で育ちました。多分note書くのも捗ると思います。