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渡辺浩弐先生『令和元年のゲーム・キッズ』読書感想文


女子高生をうしろから眺めてたんだ。
まあ聞いてくれ。
場所は駅で、僕の二メートルくらい先を制服姿の女子高生が歩いてたんだ。
その時点で、僕はその子のことを気にもしてなかったんだ。
だってそうだろ? 駅にいけば女子高生は歩いてるもんだ。
タスマニアデビルなら驚くけど、女子高生じゃ驚かないよ。
だけど、その子が急に立ち止まって前かがみになったんだ。
いや、違う。訂正させてくれ。
あれは前かがみじゃない。前かがみよりもっと前にかがむ──あれ何て言えばいいんだ?
体育の授業でああいうのなかったっけ?
 

「立位体前屈?」

──そう、立位体前屈。それだ。
とにかく僕の前を歩いてた女子高生は駅の真ん中で背筋と脚をのばしたまま、体を綺麗に曲げて、床に手をつけたんだ。
率直な感想をいえば、細くて綺麗な脚だと思ったよ。
スカートは短かったけど、下着は見えてなかったと思う。
それで、僕が女子高生の脚に目を奪われたのは男としての生理現象とかそういうのじゃなくて、そこに強烈な違和感を覚えたからなんだ。
おかしいと思わないか?
駅の真ん中で脚をのばして床に手をつけなきゃいけない理由ってなんだ?
落とし物を拾うとか、靴ひもを結ぶとか、そんなところかもしれない。
だけど、そうなるとあの子のしたことは不可解なんだ。
自分に置き換えて考えればわかるだろ。
そういうときは、まず膝を曲げてしゃがむはずなんだ。
脚を伸ばして立位体前屈する必要なんてないんだ。
彼女の動作はあまりに作為的というか作劇的に思えたんだ。
自分のための動きじゃなくて、誰かのための動き。
誰かとは誰だ?
僕は、ばあちゃん家の扇風機みたいにきょろきょろ頭を動かして、あたりを見回したけど、そこには僕と女子高生しかいなかった。
すごく変な気持ちになった。
駅に女子高生がいるのは当たり前でも、駅に女子高生と自分しかいないのは普通じゃないだろ。
始発か終電の時間ならまだしも、あれは確か夕方だった。
夕方ってのは、駅に人が大勢いるから夕方っていうんだ。
そこで僕はこう結論づけた。
目の前の女子高生は僕を誘っているんだって。
僕に見られたくて扇情的なポーズをとっているんだろうって。
すごく緊張したよ。
だって26年間生きてきて、女の子から誘われたことなんてなかったからね。
そのとき女の子と目があって、顔もちょっと見えたんだ。すごくかわいい子だった。こんな子がどうして僕なんかを? って思ったよ。でも人生なんてそんなものなのかもねって気もしたんだ。
だけど、そこでまた違う緊張が僕を襲ったんだ。
彼女が僕を求めてるのはわかったけど、僕には彼女の期待への応え方がわからないんだ。
いわゆるその──ところで、きみって何歳なの?

「16歳」

だったらもうわかるだろ?
女の子とその──そういうことをすることへの知識が僕にはなかったんだ。
だから怖くなったんだ。
僕の未熟さが彼女を失望させてしまったらどうしようってね。
だから僕は勇気を出したんだ。
あえて彼女を通り過ぎる勇気。
僕は彼女を無視して駅から出たんだ。
逃げたわけじゃないよ。きっと彼女の中には完璧な僕のイメージがあるはずなんだ。だからその完璧な僕になるために、僕はトレーニングをはじめたんだ。
彼女は僕に脚を見せてきた。それってつまり、僕に脚をさわってほしいってことだろ?
おもむろに僕は自分の脚をさわってみた。気持ちよくなるように、嬉しくなるように。
だけど、どれだけさわっても、嬉しくも気持ちよくもならなかった。
それで僕はネットで勉強したり専門のジムでトレーナーをつけて学んだんだ。
半年後には最高のさわり方をマスターしたよ。トレーナーさんには才能があるからウチで働かないかってオファーまでもらったけど、僕には彼女が待ってるからって断って、あの駅に向かったんだ。
でもその道すがら、また恐怖が襲ってきたんだ。
今の僕は確かに、脚をさわることに関してはプロからお墨付きをもらってる。
だけど他の部位については素人同然だ。
あの女子高生に最高の脚さわりをプレゼントした後で、腰や顔にも同様の技術を要求されたらどうしよう?
ああ、あなたって脚だけなのね──って彼女の失望する表情が脳裏に浮かぶんだ。
体中の血液が汗になって噴き出すような緊張がして、あと数歩のところで引き返して、また僕はネットで学び、ジムに通ったんだ。
体全体に最高のさわりを習得するまでに五年もかかったけど、納得のできる自分になれた自負も自信もできたんだ。
それに自慢じゃないけど、全体のさわりをマスターしてるのは世界に十人もいないんだ。
もう僕はかつての臆病な僕じゃない。
威風堂々と駅に向かおうとした。だけどそのときは夜だったから早く眠ろうとしたんだ。
だけどそんな日に限って学生時代の友人から連絡がきたんだ。
なぜか友人は上機嫌で、いいおもいをさせてやるって言って、酒場に僕を呼んだんだ。
行かなければよかったと、今でも後悔してる。
酒場には友人と、二十代前半くらいの女の子が数人いたんだ。
女の子たちはみんな露出度の高い、アニメかゲームのコスプレをしてたんだ。僕はそういうの詳しくないんで、もしかしたら違うかも。
それで、女の子の中の一人──着替え中に出陣を命じられた中世の騎士みたいな格好の女の子がなぜだか僕になついてきて、その子の言葉はほとんど理解できなかったけど、辛うじて聞き取れたのは、僕がエジャトンっていうキャラクターと似てるってことくらいだった。
それで中世騎士はやたら僕にべたべたしてきて、それは僕にとって、あまり愉快なことではなかったんだ。
だってそうだろ? 僕の頭には明日の女子高生のことしかないんだ。それなのに他の女の子と接触しているのは、女子高生に対するうらぎりに思えたんだ。
中世の騎士は腕を僕の腕にからめてきて、さすがに限界だと思って、僕は騎士の肩にふれて、突き放したんだ。
僕もお酒を飲んでいたから、忘れてたんだ。
今の僕は、全てのさわりをマスターしているってことをね。
僕に肩をさわられた中世の騎士はアマゾンの奥地に生息する怪鳥みたいな声を上げて、悶えだしたんだ。
なにこれ、すごい、体が喜んでるみたい!
もっとさわってって僕にさわりを要求してくるんだ。
そのときの僕の絶望がわかるかい?
僕のはじめては女子高生に捧げたかったんだ。それなのにどこの馬の骨かもわかんない中世の騎士にむりやり奪われたんだ、はじめてを──!

「それから、どうしたんです?」

女子高生には会いにいってないよ。当然だよね、僕は汚されてしまったんだ。
それで悪いことはつづくもので、僕のさわりを知って、さわってほしがる女の子につきまとわれて、うんざりで。
生きる希望は失ったけど、死ぬほどの動機も見つからなくて、そうしていると評判のいい聞き師──つまり、きみの評判を聞いたんだ。
そういえば、おどろいたな。
いつの間にか心がすっきりしてるよ。
有名な心療内科やカウンセラーをどれだけはしごしても効果なかったのに。
一体、どうやって?

「プロですから」

なるほど。僕にとっての『さわり』が、きみにとっての『聞き』なんだね。
だけど、本当に感謝してるよ。こんな気持ちになれたのは子供のころ以来かも。

「力になれたなら、光栄です」

さて、そろそろ時間だね。
まだ問題ないと思うけど、帰り道は足下に気をつけてね。

「あのいっぱい転がってた女の人たちのことですか?」

そう。
普段なら相手にしないんだけど、今日はきみを呼んだから、ちょっとさわって眠ってもらったんだ。なんか日に日に数が増えてる気がするよ。
まったく、いつからこんな、よくあるつまらない問答みたいな人生になったんだろうなあ。

「というと?」

『たった一人の愛する人から愛されるけど、他の誰からも愛されない人生』と『たった一人の愛する人からは愛されないけど、他の全てから愛される人生』どっちがいい? みたいなやつ。
当たり前だけど、人生は必ずどちらか選べるようにはできてない。それどころか、どっちも選べないのがほとんどだろう。
だけど俺は、前者を選びたかった後者なんだ……。
ああ、もう、やめやめ。
せっかく久々にいい気分になれたのに台無しにするところだったよ。
引きとめて悪かったね。

「仕事ですから」

そういってくれると助かるよ。
そうだ。報酬を払わないと。
でも、本当にこれでいいの?

「もちろん」

じゃあ、これ。
一曲だけ歌の入ったカセットテープと渡辺浩弐の痕跡。

「──はい、確かに。ありがとうございます」

渡辺浩弐の痕跡を探すのには苦労したよ。
僕には本物か偽物かわからないし。
せっかくだから聞くけど、もし偽物を掴まされたりしたらどうするんだい?

「そのときは、二度と誰からも話を聞いてもらえなくなるだけです」

ねえ、きみって実は結構こわいやつだろ?

「約束を守らない人は信用を失う。当然のことです。それにあなたはちゃんと正当な対価を払ってくれました。何も問題はありません。ではそろそろおいとまします。せっかくなので、このテープを聴きながら帰ります。それでは、本日はありがとうございました」



テロリストの少女 #2015012920150911
なにしにきたの?
「これ、お土産」
なにこれ……渡辺浩弐の痕跡?
なに? 自慢しにきたの?

「あげるよ」
いらない。
「どうして?」
何度も言わせないで。
私は自分の手で渡辺浩弐をしとめるの。
そのために必要な武器を手に入れるためにこの組織に入ったの。
邪魔しないで。

「僕に嘘が通じないのは知ってるよね?」
それがどうしたの?
騙すだけが嘘じゃないでしょ?
バレるのが楽しいからつく嘘だってあるのよ。

「よくわからないけど、いらないなら持って帰る」
待ちなさいよ。
あんたが持ってても役に立たないんだから、もらっといてあげる。

「……じゃあ、ここに置いとくから。それじゃ」
待ちなさいよ。
「……今度はなに?」
これじゃ私があんたに借りを作ったみたいで気持ち悪いから、これあげる。
カセットテープ。面倒だけど一曲だけ入れといてあげたから。
これで貸し借りなしだからね。

「……わかった」
ちゃんと聴きながら帰りなさいよ。
「……わかった」



お前に俺たちはどう見える?

「というと?」

お前、世界最高の聞き師なんだよな?

「そう呼ばれているみたいですが、実際どうなのかはわかりません」

ガキのくせに理屈っぽいやつだな。
いいから答えろよ。お前の目には何が映ってるんだ?

「二十代の男性と女性がベッドの上で裸で抱きあってます。男性のほうは依頼人であるあなた、女性の情報はありません」

俺たち、幸せそうに見えるか?

「幸せの定義は非常に曖昧で、個人によって異なります」

お前、本気で理屈バカだな。
やっぱガキはダメだわ。
でもお前と話してるとき、不思議と悪い気分じゃなかった。
だから気に入った。
十年後にまたここにこい。

「──え?」

心配するな。料金はちゃんと払ってやる。
ほら、一曲だけ入ったカセットと、あとこれ、渡辺浩弐の痕跡。
こんなゴミみたいなものがいくらしたと思うんだ。
都心に屋敷建つぞ。
それじゃあ待ってるからな、十年後。

戻ってきたか、ガキ──ってもうガキじゃないな。
なあ青年、俺たちはどう見える。

「ベッドの上で裸で抱きあう、三十代の男女ですね」

不合格だ。
また十年後にこい。

また十年後だ。

お前には、がっかりだ。
次が最後のチャンスだ。
生きてたら三十年後にこい。

なあジイさん、って俺もジイさんだけどな。笑える。
お前の目に俺たちはどう見える?

「ベッドの上に裸でいる八十代の男性。その男性は自分と同じ大きさの丸太を抱えている」

俺たちは幸せそうか?

「────

まて、今は言わなくていい。
なあ、ジイさん。
もし可能なら、今のあんたの感想をクソだったころの俺に聞かせてやってくれないか。
もちろん、報酬は払わせてもらうよ。

「かしこまりました」

「つい先ほどまで、六十年後のあなたと一緒にいました。そこであなたは、その女性ではなく、丸太を抱いていました」

そういうことを言う遊びが、ガキの間で流行ってんのか?

「丸太を抱くあなたは、とても幸せそうに見えました。個人的な感想ですが」

…………………………。
…………………………なあ、ガキ。
明日もう一度、ここにきてもらっていいか?

「わかりました」

 ──翌日。

おう、よくきたなガキ。ところでお前の目の前には何が映ってる?

「二十代の男性が、大きな木を削ってます。まるでこれから丸太を作るみたいに。そういえば女性の姿が見あたりません」

正解だ。
報酬はそこに見えるだろ。持って帰ってくれ。

「こんなことを言うのははじめてですけど、あなたからはもう十分すぎる報酬を受け取っています。もういただけません」

だったら別にいいだろ。もらってくれよ。
俺とお前の仲じゃないか。
それにガキに遠慮されると大人は恥ずかしい気持ちになるんだよ。頼む。

「わかりました。では。ありがとうございます」



テロリストの少女 #2017092220180105
10万冊婦人を知ってる?
「知らない」
どうして知らないの?
「知らないから知らない」
そう、だったら教えてあげる。
あのね、あるところにこの世の全ての知識を得ようとした婦人がいたの。
そして彼女はこの世の全ての知識が詰まった10万冊の本を手に入れたの。
彼女は生涯をかけて10万冊を読破して10万冊目の最後の1ページを読み終えたとき、彼女の命も尽きたの。
この話、どう思う?

「いくつかの教訓めいたことは思いつくよ」
例えば?
「手段に執着すると目的を見失う」
何それ、最高につまんない。
「じゃあ、きみの意見は?」
これは希望の物語よ。
目標を見据えて一心不乱に突き進めば、必ず最後は報われる。
そういう話でしょ?

「まあ、そういう見方もできなくはないね」
あーあー。あんたって本気で退屈ね。
もういいわ、帰って。
それから、そこにあるカセットテープ、私その色嫌いなの。
持って帰ってどこで捨てといて。

「わかった」



ここ半年ほど、海外のニュースを毎日見てたんだ。
そうすると、おかしな情報が毎週更新されてることに気づいたんだ。
菜食主義者のための肉食品の開発が食品業界では活発に行われてるらしいんだ。
菜食主義者のために動物由来の成分を全く使わないハンバーグやソーセージ、ステーキまであるらしい。
味のほうも完成度が高くて、言われなきゃわからないくらい完璧な肉感を再現できてるそうなんだ。
それで、そのニセ肉の存在を菜食主義者たちは歓迎してるって話だ。
ここに疑問を抱くのは俺だけか?
菜食主義者は野菜が好きで肉が嫌いだから菜食主義やってるんじゃないのか?
例えば俺はロリコンで10歳くらいの女の子にしか興味はない。
心配するな、手を出したりは絶対しない。
それで、例えば俺の前に研究者がやってきて、あなたのために用意しましたって言って老婆を出してきたとする。
で、そいつが言うには、一見ただの老婆に見えるけど、実はこの老婆は幼女の成分だけを使ってつくりましたんだと。
さあ喜べ、みたいな顔で研究者は俺を見てるけど、俺に言わせれば、ふざけんなの一言だよ。
俺は好きでロリコンしてるんだ。幼女が好きなんだ。本当は老婆と付き合いたいけど無理して幼女好きなわけじゃないんだ。
他の立場でも同じじゃないのか?
ゲイやレズの前に、男性成分だけで作った女や女性成分だけで作った男を用意したら、そいつらは喜ぶか?
違うだろ、たぶん。
なんなんだよ、菜食主義者のための肉食品って。
矛盾どころか侮辱だろ。
──わからないんだ。この世界はわからないことだらけだ。
これまでずっと楽しく映画や漫画の話をしてたのに、ある日を境にアカウントを乗っ取られたみたいにSNSで偏った政治の話ばかりするようになってしまったやつの身にはいったい何があったんだ?
美少女、メカ、ダメージで衣装が破れる。
これだけ今の時代とマッチしていて、今でも根強い人気があるのに、どうして『銀河お嬢様伝説ユナ』はリメイクされない?
AIの話題がアップデートされるたびにシーマンは戻ってくるのに、どうしてワンダープロジェクトJ2の話題は出てこないんだ?
デスゲームやオリジナルルールのギャンブル、頭脳戦を扱った作品の解決編で主人公が勝利に至ったロジックを説明してくれるんだけど、納得も理解もできないことが多いんだ。あれは俺だけなのか?
この世界は、あまりにも俺を突き放すんだ。
頼むよ。一つでいいんだ。
誰か、教えてくれよ。頼む。



テロリストの少女 #202002 ??????????
10万冊婦人を知ってる?
「知ってる」
どうして知ってるのよ?
「きみから教わったから知ってる」
それじゃあ、これは。
あのね、私、このあいだ、渡辺浩弐を撃ったの。

「それは初耳」
スナイパーライフルで三発。
動きをとめて、近づいて、爆弾も何個か投げた。

「それでどうなったの?」
復讐された。
「どんな?」
許された。
「──?」
最大の復讐とは許すこと。
「誰の言葉?」
10万冊婦人。
「それで許された──復讐されたきみは、どうしたいの?」
復讐返す。
「許すってこと?」
違う。私の復讐は復讐よ。渡辺浩弐をこの手でしとめるの。
「無理だと思うけど」
うるさい、あんた私が渡辺浩弐に何されたかしってるでしょ!
「何もされてないよね」
うるさい! あんた聞き師なんだから黙って聞いてなさいよ。
「わかった」
──だけど、今日はもう話すことがなくなっちゃった。
ねえ、ここにくる前に仕事してきたんでしょ。

「うん」
カセットテープ持ってるんでしょ。
「うん」
出しなさいよ。
たまには一緒に聴いてあげるから。

「わかった」
「ありがとう」



私は女子高生。
とある高校で生徒会長を任されている。
つまり秀才なのだ。
当然、成績優秀であり、しかも容姿端麗という完璧超人。
ちなみに完璧超人という言葉は何もかも備わった欠点のない人間を意味する四字熟語だと思っていたのだけれど、調べてみるとどうやらこれは『キン肉マン』に登場する用語であり、一般的に完璧な人間を指す四字熟語は『十全十美』や『完全無欠』を使うようだ。
ところであなたは今、私についてこう思っているのではないだろうか?
どうせその美貌も頭脳も生まれながらに備わっていたのだろう、と。
実はそうではない。
正直な話、私は小学六年生の夏まではウミウシのように怠惰に人生を浪費するだけの生き物だった。
転機が訪れたのは六年生の十月。
夏休みの宿題の一つに『創作文』なるものがあった。
読んで字のごとく、物語をつくれと命じられているのだ。
ウミウシだった私にこれと真面目に向きあう気概はない。
しかし、未提出で怒られるのもいやだ。
では、どうするか?
図書館におもむき、『人気・短編小説』のコーナーへと足を運ぶ。
いくつかの本を手に取り、めぼしいものを探す。
みつけた。
渡辺浩弐の『1999年のゲーム・キッズ』
私はその中でも一番気に入ったエピソードを迷わず原稿用紙にコピー&ペーストしたのだ。
それを何食わぬ顔で提出した。
すると事件が起きた。
学校の先生に呼び出される。
私の『創作文』が高く評価され、勝手にコンクールに提出され、そこでも高く評価され、金賞に選ばれたので授賞式に参加して、新聞のインタビューも受けろと言われたのだ。

ここでようやく私は、事の重大さに気づく。
そして恐怖する。
インターネット社会は罪の検索能力と罰の拡散能力を向上させた。
先行作品と少しでも似ている表現があれば、即座に魔女認定され火あぶりにされるのだ。
一切の弁明の余地も与えられず。
特に私の場合、えん罪などではなく、まごうことなく盗作なのだ。
私はさらに恐怖した。
盗作がバレたあとはどうなるだろう?
間違いなく警察がきて、そして、死刑にされる。
常識的に考えて死刑はありえないのだが、子供にとって警察=死刑なのだ。
ふと、数年前に世間を騒がせたニュースを思い出す。
コンビニエンスストアの店員を理不尽に怒鳴りつけている様子を撮影された人たちはあれからどうなったのか、単純なキーワードを入力して検索してみる。
犯人の本名、家族の名前、住所、過去の職場、現在の様子が、テレビショッピング顔負けのサービス精神で表示されていく。
そう。今の社会、死刑はまぬがれても私刑から逃れることはできないのだ。
私はおへそにニンテンドー64の振動パックを挿されたみたいにぶるぶる震えていた。
ついに罪悪感と恐怖に屈した私は、泣きながら先生に全てを打ち明けたのだった。
それから私は生まれ変わった。
清く、正しく生きると決めた。
するとどうだろう。世界が変わったのだ。
後ろめたさがないとは、なんと素晴らしいことだろう。
いつの間にか美人と評され、優秀の称号を与えられた。
正しく生きていれば、意識しなくとも認められるのだ。
そんな私には一つのルールがある。
渡辺浩弐の作品は発売日に買って読むということだ。
私の人生は偶然の渡辺浩弐との出会いからはじまったといって過言じゃない。
私が生まれる前に発売された本も全て新品を探して購入した。
昨日、待望の新刊である『令和元年のゲーム・キッズ』が発売され、買って読んだ。
迂闊だった。
私は完璧な生活習慣で自分を律している。
それは健全な人生のためであると同時に、実は私、自律神経が乱れやすく、とくに睡眠時間の減少はダイレクトに翌日に反映される。
もうすぐ人生をかけた夏休みのプロジェクトがはじまるというのに、私はなんというミスをおかしてしまたのだろう。
昨日の話。
とりあえず三話だけ読もうと思った。
ところが第三話の「セーブポイント」というエピソードは実に後味悪く、この状態では夢見が悪いと思い、ある程度すっきりするエピソードを読んでから眠りにつこうと思った。
そして最終話まで読み終えた。
おそるべきことに、収録されている三十一のエピソード、全て後味が悪かった。
これが渡辺浩弐である。
令和元年のゲーム・キッズには渡辺浩弐が本作を執筆している姿を確認できるムービーに飛べるQRコードが付属されている。
せっかくなので、スマホでそれを見る。
小綺麗な顔をした渡辺浩弐が物語を紡いでいく様子がスマホに映される。
二本目の途中で強烈な眠気に襲われたものの、時刻はすでに午前十一時。
一時間後には学校に行かなければならず、今寝たら確実に明日の昼まで起きることはないだろう。
明日はプロジェクト実行の当日である。今日だってやることはあるのだ。
やむを得ず寝不足を受け入れる。
ふと、視聴中のムービーの下に関連動画が表示されていることに気づく。
気晴らしにタップしてみる。
それはどうやら今から三十年前のテレビ番組のようで、番組内で渡辺浩弐がプロレスラーに技をかけられたり、トランポリンで飛ばされたりしていた。

おかしい。
三十年前のその番組と、令和元年のゲーム・キッズを執筆している現在の渡辺浩弐の見た目にほとんど変化がないのはどういうことだろう。
なんだかとてつもなく気づいてはいけないことに気づいた気がして、こわくなった。
私が渡辺浩弐だと認識している渡辺浩弐は本当に渡辺浩弐なのだろうか。
よくよく考えてみると、私は渡辺浩弐という存在をなんらかのデバイスを通してでしか確認したことがない。
なんだろう、このふわっとした感触は。
単に自律神経の乱れが私の思考をぐちゃぐちゃにしているだけかもしれない。
私はスマホをベッドの上に投げて、冷たいシャワーを浴びて学校に向かった。
学校ではずっとふらふらしていたけれど、なんとか成すべきことを成し、帰りの電車に乗るため駅に着く。
そこでついに限界がきた。
私を支えていた糸が切れ、その場に倒れそうになる。
だが私は負けない。
無様に倒れたりはしない。気高い騎士のように背筋と脚を伸ばし、バレリーナのような体勢を維持する。まあ、端から見れば立位体前屈をしているように思われているかもしれないけど。
とはいえ駅で子供が床に手をつけた状態でかたまっているのだ。さすがに誰か心配して声をかけてきてくれるだろう。
そうしたらお礼を言って、タクシーを呼んでもらおう。

おかしい。
数分経過しても誰も助けてくれない。
フラッシュモブかユーチューバーのネタだと思われて敬遠されているのだろうか。
いや違う。なぜかこの駅、人がいない。どうして?
いやそれも違う。一人だけ男の人がいる。私のすぐ後ろに。
なんであの人、なにもしてくれないの。もしかしてスカートの中のぞいてる? 信じられない。
痴漢がいると声を上げたいけど、それを出す力もない。
すると背後の男はこっちに向かって歩いてきた。
どうしよう。さわったら、ころす。
だが男は私を通りすぎ、たくましいくらいの足取りで駅から出て行ってしまった。
もはや私は、自分の体と周囲で起こっていること全てに納得ができず、ただただ頭の中で渡辺浩弐をトランポリンで跳ねさせていた。
渡辺浩弐がトランポリンで104回目を跳ねたとき、駅員さんが私の存在に気づき助けてくれた。
タクシーでぐったりする私。こんな状態で明日を乗りきれるのだろうか。
乱れた自律神経が私の瞳にトランポリンで舞う渡辺浩弐の幻影を映していた。




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