見出し画像

赤野工作先生『2115年パチモン最前線』読書感想文


(会場 盛大な拍手)

ありがとう。
まず、みんなに知ってもらいたいのは、私は今日のこのスピーチのために、とても時間をかけて準備をしていたということ。
半年以上前からテーマをまとめ、スライドのチェックをおこたらず、トレーナーを雇ってボイストレーニングまでした。
ところが昨日──正確にはちょうど12時間前、深夜11時に友人のジェフリーからスマートフォンに届いた一通のショートメッセージのせいで、それら全てが台無しになったんだ。
せっかく会場に大きなスクリーンがあるんだから、そのメッセージをみんなにご覧いただこう。

『これから飲もう』

私もジェフリーも今年で還暦を迎え、彼とは7歳のころからのつきあいになるけど、私が彼の口からこれ以外の言葉を聞いたことはない。

(会場 笑)

妻とは24歳で出会い、それから5年後に結婚した。
私が彼女のストレスを上昇させる行動をとるときは、その背後にいつもジェフリーがいた。
いつもは言い過ぎかな。でもほとんどはジェフリーのせいだった。
面白い話がある。
30年ほど前のある日、私は大切な用事で朝早くに家を出ようとした。
何かを勘違いした妻は、玄関に向かう私を見て、こう怒鳴ったんだ。
「こんな朝早くにどこへ行くつもり? またジェフリーとくだらない遊びをするんでしょ?」
呆気にとられた私はこう返した。
「違うよ。今日はきみとの結婚式だろ?」って。

(会場 笑と拍手)

話が脱線しすぎたね。元に戻そう。
ジェフリーに呼ばれていつものバーに着くと、開口一番、彼は「教えてほしいことがあるんだ」と言うんだ。
彼は手にしていたスマートフォンで私に二つのニュースを見せた。
それぞれのニュースには、それぞれ軸となる人物がいた。
ピーター・ニューウェルとリーランド・イーだ。
今、会場には二種類のタイプの人がいるね。眉間にしわを作っている人と、特に表情を変えていない人、つまり、とある事件を知る人と知らない人だ。
ああ、スマホは出さなくてもいいよ。二人が何者なのか答はすぐ言うから。

ピーター・ニューウェルは子供の利権活動に尽力し、国連ユニセフにおいて子供の利権条約の草案に携わった、その界隈の第一人者であり
リーランド・イーはアメリカ合衆国の上院議員だった人物で、ビデオゲームの暴力性に危惧を抱き、ゲーム内での暴力表現を規制する法案を提出した、その界隈の急先鋒だ。
名誉ある立場の二人だが、子供の権利を守ろうと声高らかにうたっていた国連ユニセフお墨つきのピーター・ニューウェルは複数の未成年への性的暴行が発覚し収監され
ゲームの中から暴力を排除してクリーンな社会を構築しようと理想を掲げていたリーランド・イーは銃器密売で逮捕された。
ピーター・ニューウェルは日本のアニメや漫画の表現も規制すべきだと活動していたので、知ってる人は多いかもね。
もしかしたらピーターもリーランドも守りたかったのは架空世界の児童や社会であり、現実社会がどれだけ乱れようと興味がなかったのかもしれない。

それで、ジェフリーはこう訊いてくるんだ。
「こういうやつらを指す的確な言葉はあるのか?」って。
私は珍しく長考した。
最初に浮かんだ言葉は『ミイラ取りがミイラになる』だ。
でもこれは、最適解とは言えない。
だけどなかなか思いつかなくて、苦しまぎれに私は『ミイラ取り──』を口にしようとすると、ジェフリーは、もっと的確な言葉が知りたい、と言うんだ。
『本来それを守護する立場の者が、最もそれを毀損し悪銭まで得ていた』ことを意味する言葉。
彼が求めていたのは、そういう言葉だ。
範囲の限定された、そのためだけの言葉。
例えば『DRACHENFUTTER(ドラッヘンフッター)』みたいなね。
これは『自分の悪いふるまいを許してもらうために妻に贈るプレゼント』を意味するフランスの言葉だ。
こんなニッチな言葉は世界中に溢れているのに、どうしてもっと頻繁に使われそうなピーターやリーランドにぶつける言葉はないんだろう?

(会場 それはもう『クソ○○』って言葉があるからでは?)
(会場 普通に『政治家』でいいでしょ)
(会場 笑)

なるほど、そうだったね。
毎日使ってるはずなのに、どうして思い出せなかったんだろう。

(会場 笑)

──おっと、ここで一度CMの時間みたいだ。


ところで、本来なら今日は『二つのCOMMUOVERE』というテーマでスピーチを考えていたんだ。
『COMMUOVERE(コンムオーベレ)』はイタリア語で『最高の物語にふれ、感動で胸が熱くなること』を意味している。
なんて美しい言葉だろう。

それで、一つ目のCOMMUOVEREを語るためにはまず、一つのSHLIMAZELを知ってもらう必要があるんだ。
SHLIMAZEL(シュリマズル)はイディッシュ語で『不運としかいいようのない人』という意味で、それはまさしく6年前の私のためにある言葉だった。

6年前のその日はいつもと変わらないはじまりで、極めてありきたりに過ぎていくはずだった。
カフェで昼食をとってオフィスに戻ると、ボスに呼ばれクビを言いわたされた。
昼食に食べたのがチキンでよかった。サンドイッチならたぶん吐いてた。

(会場 笑)

私は自分と同じ立場の人がやるであろういくつかの抗議をして、そして無意味を味わい、会社から出ていった。
家に帰ると驚いたよ。
玄関にバスが突き刺さっていたんだ。
スポンジケーキに猫が飛びついたみたいに、家がボロボロと崩れてる。
私はそれを見て、しばらく首をかしげていたんだ。
おかしいな。自宅が新しい停留所になるとも、ここでアベンジャーズの新作を撮影するとも聞かされてないぞ、って。

(会場 笑)

バスの運転手は未成年の子供たちで、無免許でバスを動かす様子をリアルタイムでネット中継していたみたいなんだ。
【バスジャックやってみた】というやつなんだろう。
会社をクビになってまだ2時間も経ってないのに私は家まで失ってしまった。
もちろん話はこれで終わらない。
およそ7秒後に私を恐怖のどん底にたたき落とす悪魔が現れるんだ。
その悪魔は幼い少女の姿をしていて、彼女は手に持っていたアイスを不注意から私の靴の上に落とした。
それが決定打だった。
一体、自分の人生は何なんだ? どうして自分だけこんなについてないんだ?
絶望的な感情に支配され、私は全身の筋肉がドロとなって溶けていくのを感じ、その場にへたり込んでしまった。
これは冗談でも誇張でもなく、本当にそれで動けなくなってしまったんだ。
ドラマやアニメで不幸つづきの主人公が突然の雨に打たれたり鳥のフンをくらって、ついに自暴自棄になるシーンがあるだろ。あれと同じだ。
最終的に人を壊すのは、単純で他愛のない力なんだ。
家族に危害がなかったのは本当に不幸中の幸いだったけど、それでもあのときの私はまさに
『SHLIMAZEL(不運としかいいようのない人)』だった。

私は楽天的な人間だと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。
不安と破滅的な妄想にとりつかれ、鬱になり、寛解に3年近くかかった。
支えてくれた家族には本当に心から感謝してる。

(会場にいたジェフリー 俺には?)

ああ、もちろんきみにも感謝してるよ、ジェフリー。

(会場 笑)

少しは動けるようになって、少しずつでも社会に戻ろうとコンビニでバイトをはじめた。
孫でもおかしくない年の差の先輩スタッフに皮肉を言われる毎日だったけど、意外と居心地は悪くなかった。
そして私はジョーイと出会う。

ジョーイは9歳の少年でいつも決まった時間に店にきて、必ずバナナ一本と紙パックに入ったココア味のソイラテを買って、イートインでそれを食べるんだ。
ジョーイはいつも同じ席に座って、彼のそばにある柱にはアナログ時計が飾られていた。
それは偶然の発見だった。
ジョーイがバナナを食べはじめて食べ終わるまでの時間をなんとなく時計で計っていてんだ。
2分だった。
たまたまその日だけそうだったわけじゃない。
ジョーイはいつも、ちょうど2分かけてバナナを一本食べるんだ。
まるで、時間がジョーイの食事にあわせているみたいにね。
「PISANZAPRA」
ある日、私は彼にそう言った。
ジョーイは不思議そうな顔で私を見た。
今でこそ私と彼は親友だけど、そのときはまだお互いの名前も知らない、店員とお客だ。
『PISANZAPRA(ピサンザプラ)』
「バナナを食べることに必要な時間を意味するマレーの言葉だよ」と私は彼に言った。「きみのPISANZAPRAは2分だね」

彼は動物園ではじめて見た動物を観察するような視線を私に向けながら「他にもそういう言葉はあるの?」と訊いてきた。
それから私はいくつかの言葉を彼に伝えた。
ジョーイのお気に入りは『PORONKUSEMA(ポロンクセマ)』
トナカイが休憩なしで疲れず移動できる距離を意味するフィンランドの言葉だ。

ある日、ジョーイは父親を連れて店にやってきた。
上品で礼節さを感じさせる、はじめて見るタイプの紳士だった。
息子に変な言葉を吹き込むなと注意されるのかと思ったけれど、思ってもみない言葉が彼の口から飛び出した。
「児童向けの教育番組に出演してみませんか?」
彼はインターネットで主に子供たちに向けた番組をいくつも手がけるプロデューサーだった。
新しい企画がなかなか思いつかないで悩んでいると、普段は生真面目な息子が楽しそうに私について話すので興味を持ったらしい。
まっとうな人生から脱落して、つい最近まで鬱に苦しんでいたもうすぐ60歳になる人間の前にも新しい可能性があるというなら、そこに飛び込むのも面白いと思い、私は承諾した。
それから後のことについては、みなさんご存じの通り、みんなの人気者『ドクターワード』の誕生だ。

(会場 盛大な拍手)

私が世界中の珍しい言葉を知っているルーツは私の幼年期までさかのぼる必要がある。
今思えば最高の出来事の一つと言えるけど、当時としては最悪の事件だった会社をクビにされたことは、私の人生のわかりやすい挫折ポイントに見られるかもしれない。
でも、そうじゃないんだ。
私の人生は挫折が出発点だった。
貧しい家に生まれたんだ。みんなの思う貧しい家はどんな感じかな?
私の育った家は、水と電気とトイレがなくて、それなのになぜか風呂はあった。
10歳くらいのときだったかな。自分たちが寝床につかっているあの少し大きな器は、本来はお湯を入れて体をぬくめるのが正しい使い方なんだとわかったのは。
まあ、そういう環境で育ってね。
それで、今でもなんでそんなものがあったのかはわからないんだけど、家にはやたら大きくてぶ厚い本が3冊あって、それは世界の珍しい言葉を集めた辞典の上中下巻だった。
他に娯楽も読むものもないんで、私は毎日ずっとそれを読んでた。
だから嫌でも全部覚えたよ。反復は最強の学習だね。

もしかしたら会場のみんなは、私が今からこんなことを言おうとしていると考えているのかもしれないね。
『点と点は、ある日、線となってつながる』とか
『どんなに苦しくても、報われる日はくる』とか
確かにそうことを言いたいけど、それは無責任な発言だと思う。
『こうすれば、こうなる』なんて人生の方程式はまだ証明されてないからね。
再現性の保証できない希望を伝えるのは不誠実だ。

結果論だけど、私は運に恵まれすぎている。
一時期は心身共にぼろぼろだったけど、今はすごく健康だし、お金にも困ってない。
だったら、お前はそのステージで何を伝えたいんだ? 自慢話がしたかったのか? そう思ってる人もいるだろう。
正直に言うよ。今のこの状態は、ちょっと自慢したい。

(会場 笑)

言葉に育てられて言葉に救われた私には幼い頃から自分の核にしていた言葉が二つあるんだ。
それをみんなと共有したい。
『SAIWENGSHIMA(サイウォンシーマー)』と『MUJYOUJIBAKU(ムジョウジバク)』だ。
SAIWENGSHIMAは中国の言葉で、塞翁が馬といえばピンとくる人は多いと思う。
──ある老人の飼っていた馬が脱走して、いなくなってしまった。
近所の住人は老人に、残念でしたねと言った。
老人はこう返した。「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」
数日後、なんとその馬がたくさんの馬を連れて戻ってきた。
近所の住人は老人に、幸運でしたねと言った。
老人はこう返した。「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」
数日後、その馬に乗っていた老人の息子が落馬して脚の骨を折ってしまった。
近所の住人は老人に、残念でしたねと言った。
老人はこう返した。「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」
数日後、戦争がはじまり国の若い男たちは徴兵されることになったのだが、老人の息子は脚を折っていたため、難を逃れることができた。
近所の住人は老人に、幸運でしたねと言った。
老人はこう返した。「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」

多くの物語で主人公がメンター的な存在からこれに似たエピソードを聞かされるシーンを見たことのある人は少なくないんじゃないかな。
この言葉のメッセージは明確だ。すなわち、目の前で起こっていることが全てじゃない。
そしてもう一つの指針としている『MUJYOUJIBAKU(無縄自縛)』
これは禅の言葉で、ありもしない縄で自分を縛っていることを意味している。
私たちはそれぞれ独立した個であるにも関わらず、とかく誰かと比較したがる。
なぜあいつみたいに成功しないんだ。どうしてあの人みたいに綺麗じゃないの。
自らの知識や経験で己を縛ることも珍しくはない。
あの政治家は間違っている。なんで自分の正しさを誰もわかってくれないんだ。
──これらの思考がよぎったことのない人なんていないだろう。
比較や疑問、批評など、それ自体は間違いではない。
それらを理想の自分に近づけるための前向きな原動力にすれば、人生は間違いなくより豊かなものになるだろう。
だけどせっかくのその素材を縄に変えて、自分を縛るのはあまりにも、もったいない。
『もったいない』は、とても好きな日本の言葉だよ。

──以上が、第一部で伝えたいことの全部だ。
『塞翁が馬』と『無縄自縛』を心のどこかに置いておいてくれれば、人生はもっと楽しく、ときに想像もしなかった素晴らしい場所に辿り着くかもしれない。こんなふうにね。
それは物語のようで、その主人公であるあなたは、その瞬間この言葉の意味を真に理解するだろう。
『COMMUOVERE(最高の物語にふれ、感動で胸が熱くなる)』

どうもありがとう。

(会場 盛大な拍手と歓声)


参考文献
『TED 驚異のプレゼン 人を惹きつけ、心を動かす9つの法則』
著者 カーマイン・ガロ
翻訳 土方奈美

『翻訳できない世界のことば』
著者 エラ・フランシス・サンダース
翻訳 前田まゆみ


第二部に入る前に、ちょっと気持ちをリフレッシュさせようか。
一曲聴いてほしい。
私のいちおしだ。

バーチャルユーチューバーは最早ブームではなく、日常に浸透したといっていいだろう。
私のいちおしは、なんといっても、らあゆちゃんだ。
今年、日本は『令和』という新たな元号を迎えた。
その令和になる瞬間、私は、らあゆちゃんの生配信を見ていたんだ。
そしてその瞬間をスクリーンショットに収めたんだ。
それをみんなとシェアしたい。
我ながら上手に撮れているだろ。

(会場 女の子の声  らあゆちゃんだ!)
(会場 熱心なファン らあゆちゃあああああん!)

会場に、らあゆちゃんファンが多くて嬉しいよ。


今日のテーマは『二つのCOMMUOVERE』だったことをまだ覚えてくれている人は何人いるかな?
『COMMUOVERE(コンムオーベレ)』はイタリア語で『最高の物語にふれ、感動で胸が熱くなる』こと。
第一部では、みんなの人生にもそれは訪れることをお伝えできたと思う。
第二部では、シンプルに胸が熱くなった物語について語りたい。
親友のジョーイとは50歳近く年が離れているけど、彼は私よりずっと博識で洞察力に長けている。それから、私よりちょっと若い。

(会場 笑)

彼は赤野工作という作家の大ファンで、彼のすすめで私も現時点での赤野工作の著書には全て目を通している。
実に独創的でユーモアにあふれた作家だ。
その赤野工作の新作が発表されたというのだから、ジョーイと私はまるでFF7リメイクでティファが初お披露目されたときみたいに狂喜乱舞したよ。

参考映像

ちなみに、狂喜乱舞というのは嬉しさのあまり踊ってしまうという意味の日本語だ。
探せばFF7の技の名前にありそうだ。

赤野工作の新作はゲームラボという雑誌の令和元年 春の特別号で読むことができる。
作品のタイトルは『2115年パチモン最前線』

時は2115年9月。場所はタイの首都バンコク。
『本物のパチモン』を買えるのはここだけ──を座右の銘にした新生サパンレックが舞台だ。
史実のサパンレックはみんなもご存じの通り、いわゆるオタク系グッズが多く揃えられタイの秋葉原とも呼ばれていた場所だが、それ以外にもコピー商品や海賊版などイリーガルな品々が並び、そもそも建物そのものも違法建築だったため、2015年に政府命令で撤去されている。
──2100年からサパンレック再開発がはじまり、そこから15年後の2115年に今度は政府介入の元、観光事業としてサパンレックは再起動した──というていで物語は幕を開ける。
ちなみにパチモンというのは偽作を意味する日本の俗語だ。
本物のパチモン──語呂はいいが、考えるとくらくらするワードだ。

──なるほど。一口に「パチモン」と言っても、市場には百年前に作られた「本物のパチモン」と、それを欲しがるコレクターを騙すために作られた「偽物のパチモン」の二通りが流通しているというわけですね。
(本文より引用)

例えば、ゴッホやシャガールには彼らの作品を専門に描く著名な贋作師が存在し、そのエセ作家の作品にもファンがいるという。
彼らが求めているのはオリジナルではなく、オリジナルのコピーなのだ。
そこまで遠くない未来、そのニセの絵画にも価値が生まれコピーされ、まさに本物のパチモンとニセのパチモンが登場するとなれば?
この物語はそういう語り口で進むのかと推理してみたものの、赤野工作はその数歩先をいく。
この物語はニセの絵画ではなくニセのゲームをテーマにしている。そこに本作でしかなし得ない奥深さがある。

そもそもパチモン・ゲーム鑑定において、「出来が悪い」という言葉は必ずしも、面白くないであるとか、バグが多いであるとか、挙動がもっさりしているであるとか、そういう表層的なゲームの出来を揶揄するわけではありません。
(中略)
贋作の良し悪しはあくまで真作を如何に再現しているかによって左右され、真作より劣っている贋作も、真作より優れている贋作も、この場では一律に「出来が悪い贋作」の見做されます。
本物と異なるという一点において、贋作としての価値に差はないと評されるわけです。

(本文より引用)

ほとんど全てのゲームはインタラクティブ──つまりこちらの入力に対して反応を楽しむメディアである。
アンティークパチモン・ゲームの贋作はその商品価値を高めるための行為として、現代の感覚と技術を駆使して、オリジナルパチモン・ゲームにあったいくつもの不自由を排除してしまっている。
それこそ歴史的背景を無視した欺瞞ではないのか?
無論、本物のパチモンの中にも優れたゲームはあり──と、これ以降の激しい問答は私の感想ではなく、ぜひ本編を目撃し、体験してほしい。
赤野工作の哲学にふれてほしいんだ。
ちなみに作中では本物のパチモンと偽物のパチモンのFF7のパッケージがさらっと用意されているのだけど、あまりのブラックユーモアに笑いを禁じ得なかった。
スミソニアン博物館かMOMAに展示してもらいたい気分だ。

さて、相変わらず赤野工作は私たちに『COMMUOVERE』を与えてくれる。
ところで、この物語を読んでいるとき、ずっと頭の中を浮遊していたエピソードがあるんだけれど、聞いてもらえるかい?
言葉の歴史は長く、変化に富み、日々誕生している。
だから、今ここで土に種を植え、水をやり、陽にあて、新しい芽を出してみないかい?
『既存の価値観を再構築し、豊かな未来を提示する作家性』
それを『アカノ』と名付けてみるのはどうだろう?
今日は本当にありがとう!

(会場 盛大な喝采と歓声)

最後に聴いてほしい。
『2115年パチモン最前線』オリジナルサウンドトラックより
『Rocket Man』

赤野工作の次回作に心から期待してる。みんなもそうだろ?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?