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私の解放日誌-きっかけはない-

誤解を恐れずに書けば、
こうした単調で、トーンダウンした、
日常系のドラマを見たのは初めてだと思います。

「単調な生活にはもううんざり。
代わり映えしない毎日から抜け出したいと願う3人のきょうだいが、
自由と生きがいを求めて奮闘する姿を描く。」
という謳い文句に自分を投影し、
自身がそうした生活から脱却するための答えを探せるはず、
という淡い期待をもって視聴を始めました。

ぼんやりとした不安感や、閉塞感がつきまとう日常は、
主人公たちが置かれている、
恍惚とした都市から、物理的にも疎外された、
地味で垢抜けない環境とのコントラストによって、
更に際立って浮き彫りになっていました。

結論、ドラマを見終わったことで、
私の生活が直接的に好転したということはないです。
ただ視聴を通して多くの気づきをもらえて、
私の背中を押してくれる心理的な支えとなりました。

思い返すと私はこれまでたくさんの「きっかけ探し」をしていました。
音楽、映画、ドラマ、それらの中に答えを求めても、
それはどれも一過性のセラピーに過ぎず、
刹那的には心の風通しを良くしてくれますが、
慢性的にはびこる憂鬱感を拭うことはできないのです。

外部のそうしたコンテンツとの接触は、
新たな気づきを与えてくれるものであったり、
自分の考えや気持ちを肯定してくれる、
ある意味、時間の無駄とも捉えられる確認作業であって、
心理的・精神的な支柱になるかもしれないですが、
自ら行動を起こさない限り、
問題を根本的に解決できないことを確信できました。

外部のコンテンツに触れることで、
一時的に気が晴れたり、気持ちを奮い立たせてくれたりしますが、
大抵の場合は、大した問題ではないことの裏返しとなるだけです。

目の前の問題に対しての応急処置としては抜群の効果を発揮しますが、
長期で慢性的な問題に対しては、抜本的な治療が必要なのです。
それは例えどんなに些細なことでも、
何かしらのアクションを起こすというシンプルなことです。

人生のターニングポイント、
死を覚悟するような体験をして人生観が変わった、
という劇的なイベントは待っていても来ないです。
きっかけは自分で決めるものですし、
もちろんその覚悟を決めるまでの過程を形成するものとして、
様々な体験が必要なのかもしれません。
ベストタイミングというものはないし、
決断した後にとる行動こそが最も大事なのだと考えます。
その行動によって、
下した決断自体の評価も変わる気がします。

ドラマの話に戻りますが、
主人公たちが大人になっていく過程を見た気がしました。
ぽかんと心のどこかに空洞がある状態、
欠けた気持ちがある状態を、
時間をかけながら、自然なものとして受け入れる過程です。
あるいは、外部からもたらされる、
大切なパートナーと一緒になることで、
自分の置かれた環境だけでなく、
これまでは関係のなかったコミュニティが身近になることで、
目線をちらすことができ、救われることもあるのだと思いました。

最初はそうしたことは、
ただ空洞の表面に蓋をしているだけはないかと考えましたが、
1+1でお互いの欠けているものを満たしあうことができる、
あるいは、1+1=新たな1として考えることで、
充足感を得ることができたのでは、と考え直すようになりました。

これは余談ですが、
ドラマのストーリーの展開に期待することや考察などでは、
視聴している人自身の期待や願望を投影することが
しばしばあるのではないかと感じました。
「事実はない、あるのは解釈だけ」という言葉を聞いたことがありますが、ここに色んなことが集約されている気がしないでもないです。
またそう考えることで幾分か気持ちが楽になりそうです。

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