「かくありたい」

国語教員という前に、一教員として「どんな自分でありたいか。」を生徒に語るときがあります。

そんなとき、色々な人が思い浮かびます。父親であったり、小学校の時の担任であったり。歴史上の偉人であったり。
もちろん、一人に絞る必要は無くて、その時その時で伝えたいことに合わせて選択すれば良いのでしょう。

ただ、国語教師として「かくありたい」というのは、なかなか生徒たちに伝わらないものです。そこで、この場で書いてみたいと思います。

その人は、青木幹勇先生です。
もうお亡くなりになっていますが、青木先生の「第三の書く」の理論は、現在でも顧みられなくてはならないものだと思います。「第三の書く」については日を改めて書きたいと思います。

青木幹勇先生は、小学校の教員として実践授業をされました。
また、ご自分で「青玄会」というサークルをつくり、『国語教室』という冊子を発刊するなど、精力的に活動されていました。

ふつう、このような活動をされている方は、大学で務めることが多いと思うのですが、青木先生は常に現場にいらっしゃいました。最後は立正女子大学(現在の文教大学)で教鞭を執っていらっしゃったようですが、飛び入りで小学校の授業をするなど最後まで実践家でいらっしゃいました。

私も国語教育を研究するものの端くれとして、常に現場意識を持たなければならないと感じています。そういった意味で、青木幹勇先生について顧みるのは「第三の書く」という理論だけではなく、常に実践家であったという教師としての「在り方」なのかもしれないな、と思った次第です。

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