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優しい言葉をかけること、楽しい時間を過ごすことが償いだと思っている

ワタシの記事は
母が毒親でひどかったという話がよく出てくる。

父もネグレクトだったけど、いかんせんインパクトが強いのはおかんだったのでその記事が多めだ。

でも実を言うと、ワタシだってかなり毒を含んだ母親だった。

だからすいません。本当はそんなにおかんを責めることはできない。

カウンセリングを受ける前は立派なアダルトチルドレンで、辛い辛いと思いながら育児をしていたワタシは

それでもとにかく母みたいにならないようにと、働かず3歳になるまでずっと子どもと一緒にいた。母はほとんど家にいなかったのでその反発で。

母のようにならないよう、いつも子どものいうことを最優先にして
ににくんが行きたいと言えば公園、児童館、図書館を一日で回ったり、ブルトーザーがみたいと言えば工事現場の前に1時間つきあうような生活。

あれはきっと子どもたちと遊んであげなくては!という強迫観念にかられていたんだろう。端からはいいお母さんに見えていたかもしれないけど、本音は

もう嫌だ自分の時間が欲しい!だった(めっちゃ我慢してた)

それでよく
あんなに言うことを聞いてあげたのになんなん!?

とキレていた。

ににくんの言う通りに午前中行きたいところに行ったでしょう?
なんでママの言うことは聞いてくれないの!?

って言う感じ。
そりゃあ子どもなんだからそうでしょうと未来のワタシはつっこみを入れたくなる。

自分が子どもの時、我慢して大人に合わせていたものだから普通の子どもがわからなくて、だからににくんがめっちゃわがままに見えたんです(いいわけ)

怒鳴ったし手のひらも叩いたし、
べちくんのかんしゃくがひどい時は家から出すフリもした。

後になってごめんまた怒りすぎたと謝るのを繰り返していたワタシを、そのたびに許してくれたににくん。どっちが親だかわかりゃしない。

そのうち同居でうつになり、重苦しい雰囲気と引っ越しのドタバタに子どもたちを巻き込んでしまったワタシは、あんなに母のようになりたくなかったのに、気づけばやっていることは彼女と同じ。

パパがカウンセラーの先生を紹介してくれなかったら、今もそうだったかもしれない。

ママ昔はひどいママだったよねゴメン、というと

覚えていないよ

と2人とも言ってくれるけど、トラウマになっていないか心配だ。

でも過去は変えられないのでせめて今はと思う。

優しい言葉をかけよう。
楽しい時間を過ごそうと。

そう思うと
おかんが毎年恵方巻きをくれたりバレンタインチョコレートをくれたり、栗ご飯をくれたりするのは彼女なりの償いだったのかもしれない。

素直じゃないなあとでもそこが母らしいなと、そう思えるようになったワタシは、母を許したと同時に自分も許せるようになった気がする。





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