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パパのいる音

6月に入ったとたん、べちくんが小学校でコロナをもらってきた。
忘れたころの、コロナである。

幸か不幸か、五類に下がるまでモモムギ一家は誰ひとりとして
罹患することなく、こんにちまで過ごしてきた。
だから今回はまさに寝耳に水というか、まあドキドキハラハラする期間がなかった分だけ救われたのかもしれない。

あれよあれよという間に彼らはやってきて一家全滅してしまった。

始めは単身赴任のパパだけでも生き残らせようと思ったのだが
ワタシにうつった時点であきらめた。

自分ひとりならうんうんうなって寝ていればすむことなのだが
子どもが一緒だとそうもいかない。
彼らはワタシがぶっ倒れた時には張りきって、進んで風呂をあらったり、レトルトのおかゆをあっためたりしてくれたのだが
自分達が食べたお弁当の残りを処理したり
食べこぼしのテーブルの上を拭く、なんていう作業は見事にすっぽぬけていた。

まあ、10歳と7歳なのである

家の中にハンバーグソースのにおいが蔓延し
治りかけのべちくんが嘔吐しだし
にっちもさっちもいかなくなったワタクシは断腸の思いでパパにSOSを出した。

ワタシひとりではもはや対処不可能である

パパは帰ってきてくれた
SOSを発信してから8時間後であったが(引き継ぎに手間取ったらしい)
とにかくも来てくれた
悪の巣窟に、よく帰ってきてくれたと思う

ああ、2階で寝ていると痛む頭の片隅に
ドタバタとパパが廊下を歩く音がする
ポテトチップスの袋をさぐったり、金曜ロードショーを観ている音がする

それを聞くと、ワタシは心から安心して休むことができた。

ワタシの両親は若いころ新興宗教にひっかかって
二人とも布教で飛び回っていた。
父はほとんど家にいなかったし
母も朝から夜中まで某団体の活動に追われ、家にいなかった。

それは子どもが病気のときも同じで
熱だろうがなんだろうが
家にひとりで寝かされていたときの心細さを今でも思い出す

熱の子を残してまで布教させるクソ集団なのである(あ、失礼)
世界を救う以前に熱で苦しむ目の前の子を救わないなんて
アホもいいところだと思う

まあそういうわけで
弱っているときに、家に人が、いざというときに頼りになる
人の音がするというのは、ワタシにとって安心の象徴だ

いつか子供たちが大きくなったときに
夢うつつに
ワタシがあたふたと、熱をはかったり、掃除をしたり
洗濯をしたりしていた音を
思いだしてくれればと思う

そのときの安心がまた次の世代に受け継がれてくれれば
とても嬉しい

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