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何故かパリで優しさに救われる

私は高校2年生、17歳の冬フランスはパリの地下にいた。心は折れていた。
何も闇取引をしようというのではない。高2という若さで留学するという気概もない。ていうかフランスに興味もない。
私は「修学旅行」でフランスのパリに滞在し、「メトロに入れなくて」地下で心を折っていたのである。

遡って考えると高2の春。体育館に集められ、硬い床でケツを痛めている私たち生徒に副校長はハッキリした口調で
「あなた達の修学旅行先はフランスのパリです。」
と言い放った。

知ってる。毎年同じだもん。いいから教室に帰らせてくれ。ケツが痛い。
私たちは恐らく全員がそう考えていた。しかし副校長は続けて、

「フランスは古い建築物とアートが素晴らしい都市です。花の都と呼ばれていて、その文化はうんたらかんたら」
と語り始めた。
副校長の語り部感には心底勘弁してくれよ・・・と思いながらも、実は私たちの心はケツの痛みに耐えながら踊っていた。

何と言っても修学旅行である。多感な17歳が友達みんなで4泊6日。楽しみじゃない奴なんていない。
みんなで飛行機、みんなでホテル、みんなで夕食、みんなで・・・と、脳みそが既に花の都状態の私たちは、壇上の語り部の話を右から左に受け流していた。

しかし、語り部が急に声のトーンを2つ程下げ奇怪なことを話し出した。

「・・・と、パリには美しく煌びやかな世界が広がっていますが、一転して詐欺やスリといった被害も多発しています。皆さんの先輩方にも毎年、何人か被害者が出ています。こういった被害者を今年の2年生達には出させないためにうんたらかんたら」

・・・・ん?
ちょっと待て?
詐欺??スリ被害??
先輩方にも被害者???


やだ。行きたくない。怖い。
せっかく楽しい思い出を作りたくて行くのに無一文のアホ面で友人達に金の無心をしながら観光するなんて最悪だ。意地の悪い外人の悪巧み顔が目に浮かぶ。小さな島国からやってくる小童たちなんて一網打尽に決まってる。

急に頭の中の都が花からスラムに変わり、全員のオーラが負に転換されそうな雰囲気を語り部は察知し、どうにか取り繕うような語りを見せているが、もう皆あんまり乗り気ではなかった。
更にその後、家族で私のスラム行きの装備を整えるため過剰な買い物をし家に帰宅中、彼の語り部の話に少し色を加えながら親に話し、大袈裟めに「怖いから行きたくなくなっちゃったな〜」と言うと「それなら今買ったもん全部自分で返してこい。こちとら行かすのにいくら掛けてると思ってんだ。行きたくないなら行くな」と、ちょっとお茶目発言のはずが割とガチギレされてしまい、個人的により一層行く気を失っていた。

そんなこんな考えは巡っていたが、何日か経てばやはり「友達と泊まりで遊びin海外」というパワーセンテンスに即脳みその花は返り咲き、スリの話などすっぽりと頭から抜け、睨む親にまっぷる等を追加で買わせ、やれチョコレートはここで買うだの、フランス料理が口に合わない時のためにレトルトの味噌汁を持っていこうだの、生意気な妄想に心を弾ませ前日はきっちり興奮で不眠のまま当日を迎えた。



とうとう着陸した飛行機。
正直日本から踊りまくっていた心は不整脈を起こす寸前ほどに鼓動を続けて疲れ果て、喋りすぎで喉は枯れ、気圧のせいで体はぱんぱん、かなりぐったりしていた。
だが目だけは光を失っていなかった。
早くあの本で見た美しく妖艶な景色をこの目で確認したい・・・!
そんな全員の期待をのせたバスはパリの市内へと高速を駆け抜ける。

しかし、いざ胸を膨らませて到着した私たちを待ち受けていたパリは想像とかけ離れていた。

まず街がめちゃくちゃ汚かった。観光客向けの場所はそれなりに綺麗なのだろうか、入国してスーパーに寄ってホテルで一泊するだけという日程の1日目に踏み入れた道は全てにゴミが散らかっていて、花の都とはかけ離れた匂いがした。
訪れたスーパーもなんだか酸っぱい匂いがする。袋で包装され陳列してある商品の一列目は全てと言っていい程破られ中身が食われている。
後方で生徒が騒ぐ。回ってきた話では、ちょっとした隙に知らない外国人女性に手首にミサンガをくくり付けられ、着用したのだから金を払えと捲し立てられたところを、どうにか逃げきったらしい。

マジかよパリ。ちゃんと詐欺が横行してるじゃん。早速被害者が出かけてるぞ。
17歳の脳にカルチャーショックが忙しい。熱が出そうだ。

15時間のフライトでぐったりとした体を、生まれて初めて異文化に触れ故障しかけた頭でどうにか操作しホテルまで辿り着いた。
ホテルは簡素で地震が起きたらぶっ壊れそうだったが、ようやく気心知れた仲間だけの開放的な空間にありつけた安心感で、自分たちの城を手に入れた様な感覚があった。
気を取り直して友人たちとそそくさとシャワーを浴び、同じベットで眠った。明日起きたらパリが花を取り戻し、まっぷるで胸躍らせた通りの美しさを見せてくれると信じて。


7時間ほど眠って目を覚まし、わくわくしながら友達と部屋のカーテンを開けた。が、隣の建物が近すぎて何も見えなく、かろうじて見えた地面にはゴミが散らばっており、空はどんよりと曇っていた。

リアル雲行きが怪しい・・・。
こんな筈じゃないだろ、パリ。

不穏な胸中でロビーへ行くと、別の部屋に宿泊していた友達が何やら強ばっている。話を聞くと、彼らは深夜に部屋のベルが鳴り、恐る恐る扉の覗き穴を覗いてみたら屈強な黒人男性二人がこちらを睨みつけていたらしい。
無視してベットの上で震えていると、ドンドン!!と扉を叩かれ、それが数分間続いたという。

もうだめだ。

怖いよパリ。帰らせて・・・。

どんよりとした雰囲気の中バスに押し込められ、限りない曇天の下、パリの中心地に連れていかれた。道中車窓から街並みを覗いたが、どれも空と同じ鈍色をしており、階層の高い濁った建築物の迫力に、むしろ恐怖を感じた。
全員が沈んだ表情を浮かべる中、副校長だけは楽しそうだった。周りに見える全てに目を輝かせ、割と早いスピードで走る車内から物凄い連写の音を響かせている。おおよそブレているであろうその写真を周りの引率教師に見せては「さすが花の都ダネッ」と大声を出していた。何か癇に障る。

パリの中心地で停止したバスは、不安げな私たち全員を降ろして颯爽といなくなった。
そうなのだ。
2日目の予定は班行動。
つまりは自由時間なのだ。

昨日の今日で急な自由時間。日本にいる時は「さっさと遊び行きたいから毎日自由時間にしてぇ〜」と言っていたあの自由時間だったが、今は当時の自分に哀れみを覚える。
こんなサバイバル空間で小僧小娘だけで数時間生き抜けなんて酷すぎる。絶対に大人の力が必要だし、大人がいたとて詐欺やスリを防げるかギリギリだ。ここにいる100人弱の生徒が全員昨日のスーパーの出来事に遭遇したらどうするのか。パリ中のミサンガがバカ売れして供給が追いつかずミサンガの大インフレが起こるぞ。

恐怖の時間が始まった。こうなったら班員一丸となってお互いの身を守る他ない。
誰も示し合わせていないのに私たちは自然と伍となり、互いの背を守る形になった。まるで団子だ。スられないためにぎゅっとショルダーバックを握る姿がさながら槍を構えた歩兵のよう。
まずはここから移動しなければならない。
私たちには、まずシャンゼリゼ通りへ行き美味しいランチを食べ凱旋門で写真を撮り有名なパティシエが作った至極のチョコレートをお土産に買う、、という浮かれたプランが立てられていたが今はそんなことどうでもいい。いのちだいじに。これが最優先だ。

さあ、この死地から逃れようと、私たち歩兵団子は恐らく朝の通勤ラッシュの時間帯にメトロに乗るため、地下に吸い込まれていった。めちゃくちゃ邪魔くさい。
ファーストステップとして切符を買わなければならない。でっかいファーストステップだ。なぜなら、英語の成績も大して良くない私たちにフランス語なんて以ての外だからだ。
券売機の前に立つ。
どのボタンも何もかんも全く分からない。
しかしこう言う時のために切符の買い方を副校長に習ったことを思い出した。
全員で、慎重に記憶を辿りながら切符を買っていく。

2つボタンがあるうちの1つはICカードを買う方だから切符の方を押して・・・
パリ市内専用の切符を選択して・・・
料金は大人料金・・・
枚数・・・
枚数!?!!
一旦パニックに陥ったが、伍長の発言に従い、とりあえず一人5枚ずつ購入することにする。
貨幣はとにかく一番強そうな紙を機械に押し込む。
無事、大量の紙幣とコイン、そして5枚ずつの切符を手に入れた。

役者は揃った。
あとはこの地から脱出するだけだ。
歩兵団子はまたぎゅっと固まり、お互いの背を守りながら奥へ奥へと進んでいく。

改札が見えてきた。
セカンドステップだ。
伍はここまで。流石にあそこは団子でくぐるには狭すぎる。
1秒につき5人ずつ位出てきているのではないかと思われる濁流改札を目前に、私たちは気合を入れた。
「ここまで来れたね・・・」
「チームプレーだったよね・・・」
「一人でも欠けたらこうはいかなかったよね・・・」
口々に感謝を述べた後、改札を通ったあとは少し開けた左手の空間にて他の兵を待つという固い約束を交わし、意を決して伍を解散させる。
各々が左手で槍a.k.a.ショルダーバックの紐をぎゅっと握り、右手では汗で滲んだ切符を指圧で圧死させそうになりながら掴み、
ふぅーーーーっ
と息を吐いて、順番に濁流へ身を投じた。

一人目、無事通過。
二人目、無事通過。
三人目、手に切符が張り付き、もたつくも通過。
四人目、改札のバーに脇腹を打ち苦しむも通過。
五人目、とうとう私の番だ。
大きな一歩を改札へ踏み込み、ベストなタイミングで切符を差し込む。


・・・・・・・

・・・・・改札が開かない。
傍のランプが深紅に燃えている。

・・・・・・・??

えっえっナニコレ?えっ?何で??
えっ??えっ???

私は誰の目から見ても分かるようなリアクションで取り乱し慌て始めた。
持っていた切符を予備の切符に持ち替え、震える手でどんどん挿入してみる。
全く開かない。
依然ランプは怒り狂った警告色を示し続ける。
改札の向こうでは既に通過した兵たちが世紀末を見るような顔でこちらを見つめている。両手がちゃんとショルダーバックの紐を掴む姿がいじらしい。

パニック状態の私は自分でこの状況を解決することは不可能だと感じた。人に頼らなければどうやったってこの門を潜れない。
藁にもすがる想いで、
『誰かこの惨状に終止符を打ってくれ・・・!!!』
と後ろを振り返った。


私の後ろには仕事へ急ぐパリの社会人で長蛇の列ができていた。
真後ろにいた男性は明らかにキレていて、目は血走っていた。
不愉快そうな顔で不愉快そうにつま先をパタつかせ、不愉快そうに指を動かした。
一瞬、人差し指を下から上へ動かしたように見えたので、何か助言を与えようと、私に話を聞け、と指示してるのかと思った。
しかしよく見ると指は右から左へ動いている。頭も同じようにクイックイッと動かしている。

男は私に『どけ』とジェスチャーしているのだ。


殺されると思った。
顔からサーっと血の気が引いていくのがわかる。
手足の末端が冷たくなっていく。
それなのに背中には背骨を沿うようにツツ・・・と汗が流れている。

無我夢中で人の流れを逆流し、私はその線から逃れた。
私という障壁を除去し、何もなかったかのように猛スピードで改札を通過していく人々。
改札の向こうでこちらを見て佇む友達。
冬のパリで錯乱し、恥ずかしいくらい汗をかいて呆然とする私。

親と話していた記憶が起こされる。
だから行きたくないって言ったんだ。
スられるかもしれない詐欺られるかもしれない。何でそんな世界に身を投じなければいけないんだろう。
そもそも小さな国で育って何不自由なく生きていたのに何故求めてもいない所へ赴いてこんな苦行を強いられているんだろう。
誰も優しくない、誰も助けてくれないこの世界。
別にモナリザもニケもヴィーナスもどうでもいい。今すぐ帰りたい。ここにいる全員の視界から消えたい。
てか何で皆通れて私だけ通れないんだよ・・・
猛烈なスピードで羞恥や後悔、恐怖、憤懣に焦燥、いろんな感情が心を掻き乱し、私は泣きそうになった。
今考えれば大したことない経験なのだが、初めての海外、初めての頼れる大人がいない殺伐な空間に、恥ずかしい話だが完全に心が折れてしまっていた。


・・・・・・
どのくらい立ち尽くしていたんだろう。
恐らく1分も経っていなかったと思うが、疲労した心が世界のスピードを早送りする。
一人だけ取り残された感覚。
もう私が堰き止めていた人々は改札を越えて奥の暗闇へ消え、友達は皆途方に暮れている。
ざっと周りを確認するが近くに駅員はいない。


何もする気が起きない頭を抱えて動けないでいると、不意にぽんっと肩を叩かれた。
反射的に振り返ると、そこには30代後半から40代前半くらいの小綺麗なコートを着た黒人の男性が立っていた。
朝のホテルでの話を思い出し、ギョッとして一歩後ずさった私を見て、彼は軽く微笑んだ後、小さな声でフランス語を少し話し、私の肩に軽く手を添えながら、未だ人で溢れている改札に向かって歩き出した。

何が起きているのか。
だが抵抗する気力もない。
ただ勘弁してくれとは思った。
またあそこに入って行って疎ましい目で見られ自尊心を失う体験をしたくない。
拒否する体に力が入り、ぎこちない歩き方をする私を彼はゆっくりエスコートし、とうとう濁流の中に入ってしまった。
どんどん自分の番が迫ってくる。
呼吸が速くなる。
さっきの後ろに並んでいた男のイラついた顔がフラッシュバックする。

自分の目の前に改札が来た。
慌てながらも何もできないで震えている私の肩に彼は手を添え、後ろから自分のICを素早くかざし、慣れた手つきでゲートを一緒に潜ってくれた。
一瞬の出来事だった。
何が起きたのか分からず呆然とする私を彼はそのまま友達のところまで連れて行き、合流するとニカっと笑ってパチっとウィンクし、また何か短いフランス語を話した後、人の渦の中に消えていった。


私は泣きそうになった。
今度は悔しくてではなく嬉しくて泣きそうになった。
フランスに来て一番最初に感じた優しさだった。
友達も一瞬時が止まり、次の瞬間には笑っていた。
全員で手を握り合い、フランスにもあんなに優しい人がいるのかと語り合った。
さっきの嫌な経験が全て吹き飛んだ気がした。
喜びや慈しみといった『陽』な体験は、悔しい、悲しいという『負』の体験より遥かに身体に与える影響が大きいのだと知った。

心が毛布に包まれているような、それでいて嬉しくてきゅーーーーっと萎むような、弾んだ気持ちと高揚感で道中はあまり覚えていないが私たちはどうにか目的地である駅に移動し、地上に出た。

一気に美しい景色が目に飛び込んできた。
さっきまでと同じ景色とは思えなかった。
何十年、何百年と国に寄り添い歴史を歩んできたことを思わせる、石造りの建築物の赤みがかった茶色にクリーム色、壁に飾られた花の黄色、木々は冬支度を終え、葉は美しいオレンジにクラシックな黄金色を混ぜ合わせている。ケーキ屋さんのショーウィンドウに並ぶビタミンカラーで目が騒がしい。
パリの街並みに色がついた瞬間だった。
やっと景色を見て美しいと思った。
もちろん、路地には所々ゴミが落ちている所もあったがあまり目に入らなかった。
今はとにかくこの綺麗な道や壁、行き交う人々や店を、冬のパリのしんと冷えた空気を纏ったまま閉じ込めて、自分の中に収めておきたい。
そんな意識が先行した。
そして、物の美しさや雰囲気の穏やかさ、幸せな気持ちも全て、自分の心から生まれる物なんだ、と実感することができた。

フランスについた時、疲れと先入観から目についた物を感性豊かに捉えることができていなかった。
第一印象を『負』で受け取り、またその『負』が呼水となることで周りの見たり聞いたりした悪い部分のみに目を向けて、良い部分を、今の自分の感じている『負』と反対の感情を受け入れようとしていなかった。
きっと周りには初めから「綺麗」とか、「楽しい」とか、『陽』の感情を発信している子もいた筈なのに。
だが、直で触れる人の優しさはその『負』の部分こそを一発で、幾何学的に、『陽』に引き戻す力を持っている。
あの地下鉄の彼が私たちの一生記憶に残る思い出に色をつけ、温めてくれた。私はあの時もらった優しさを一生忘れない。
これから先、あの優しさは私の優しさを引っ張り出すきっかけにもなるし、その引き出された優しさがまた誰かの思い出を彩るものになって欲しい。



そんな人生に寄り添う心地良い体験を得て私たちの修学旅行が至極の思い出になったことは言うまでもない。

3日後、生徒全員が幸せな表情で帰国の便に搭乗していた。
皆満足そうな笑みを浮かべ、お土産の話で盛り上がり、撮った写真を見せ合う。周囲には光悦とした雰囲気が漂っていた。


しかしある一角には、生徒たちとは天地の差があるお通屋の様な重苦しい空気が流れていた。

何故か。

そこには、行く前から誰よりも準備を徹底し、胸を躍らせ、バスではしゃぎまくっていた癖に唯一スリ被害に遭い、涙を流しながら搭乗する副校長の姿があった・・・。


#やさしさに救われて

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