親鸞会に頼らずに人生の目的に近づくにはを考えてみた

こんにちは
吉岡よっしーです。

今回は、親鸞会に頼らずに人生の目的、つまり後生の解決に近づくにはということについて考えてみました。

親鸞会で仏法を聞かれている方の中には、どうも親鸞会の職員や講師といわれる人たちは自分をばかにしているようで、怒らせようとしてくる態度や措置を感じる方はないでしょうか。
いじりじゃなくてなんかいじめのような状態になったりなどに困っていたりしないでしょうか。
個人的には、こういう団体は内にしか通じないことが多く、やはり閉じられた空間になってしまうことが多いと思いますから、いじめのようなことが起きてもおかしくはありません。
まるで「スケープゴート」にされているような状態になったとしたら、それはなかなか耐えがたいものがあると思います。

しかし、真実の仏法を説いているのは親鸞会のみであり、親鸞会以外で後生の解決はできないと聞かされますから、離れることもできません。
それはまるで、自分の後生という最大の弱みを親鸞会に握られているかのようで絶望的な状態です。

親鸞会を離れようとするのは、間違えれば永遠の苦患に沈む行為であり、もう一生分の勇気を使い果たすくらいの覚悟がなければできるものではありません。

そんな中、今回は親鸞会に頼らずに後生の解決を目指すにはどうすればよいか、考えてみました。


1.二千畳のビデオご法話だけは聴聞する
まずは、後生の一大事の解決に最も大事とされるのが聴聞なので、ひとまず、二千畳でのビデオご法話だけは聴聞するのはいかがでしょうか。
嫌だからといって完全に縁をたつことはないのではないかと思います。
のらりくらり、できることはやってできないことはやらないという方法もあります。
そして特に思ったことですが、例えば講師の法話や仏法讃嘆は何か自分をばかにしたり攻撃したりしているように感じるのが、二千畳での高森先生のご法話にはそれはありませんでした。
どんな人でも聞けるよう、想像ができないほどの配慮をしながら話が進行されているのではないかと感じます。
ですので、普段は攻撃されていても、二千畳のご法話は安全です。
ただ、定期的にある講師の体験発表は要注意で、あれによって私は心がずたずたになりました。
まるで「私はこんなに命がけで講師として生きていくことを決意した。貴様は何をしているんだ!!」と攻撃されているかのようで、聞いていられませんでした。
お世話になった私の先輩にこれについて相談したら、よっしー君は聞かなくていいと言ってくださり、それからは聞かないようにしています。
問題は、二千畳に参詣したときです。
やはり、降誕会と報恩講の2回くらいは実際に足を運んで聴聞というのがいいのではないかと考えていて、私もがんばって参詣するようにしています。
講師の体験発表は、二千畳の全館放送されるので、どうしても聞くことになってしまう可能性があります。
しかし私はなんとか二千畳での勤行が終わったらさっと外に出るという事が可能だったというのを確かめましたので大丈夫だと思います。

2.勤行
次に大事とされる朝晩のお勤めですが、これも粛々とやっていくのがいいのではないかと思います。
これはあまり関係ない話ですが、お勤めのようにある一点に集中しようとする行為は瞑想にもなっているのではないかと思いますので、モチベ高くできるのではないでしょうか。

3.普段はどうするか
では、普段どうしていくのがいいでしょうか。
親鸞会に頼らずに解決に近づきたいなら、ずばり、新たな親鸞会を作ることしかないのではないでしょうか。
いきなり無茶なことですが、しかし考えられる方法はそれしかないと思います。
もちろん同じように大きな団体にして大きな土地を持ってと同じやり方をしようということではありません。
絶対無理だ、もういいから親鸞会に頼ろう、と思うでしょう。
しかし、偉業をなしたように見える多くの成功者も実は最初は小さな一歩からです。
どうせいずれ死ぬのです。
それならば無理だとわかっていてもこれしかないと思える正しいことの方向に向かって死にたくはありませんか。

ということで、では現実問題何をやるかについてなのですが、例えば「吉岡よっしー」名義で活動しているアカウントは別にありまして、これに仏法を出すのか出さないのかずっと考えてきました。
もしネット上で影響力を持てるようになればこれほどいい武器はありません。
しかしもし仏法を出さずに仮に影響力を持つことができたとしたら、あとから実は仏法聞いてますみたいな出し方をすると逆効果になると思われます。
ですから、はじめから仏法と関係のある人間ですという出し方を小出しにしつつ創作活動をしていくのがいいかなと思いました。
ところが、なかなか仏法とからめるのが難しく、無理にやると変な感じになってしまいます。
ということで、いろいろ考えた結果、別アカつまり本アカの吉岡よっしーでは仏法は一切出さずにやってみようということにしまいした。
その代わりこちらの吉岡よっしーアカウントでは仏法を前面に出していきます。
同じ「吉岡よっしー」としているので、もし仮に本アカのほうで知ってくれる人が出てきたら自然に、「あ、この人仏教系の人なのか」と知ってもらうことができるのではと考えています。
ということで吉岡よっしーアカウントをまずは育てて行ってみるということをやっていきます。

大丈夫です。
山に遭難したとしたら、やってはいけないことが降りようとすることだそうです。
山道でないのでもし降りたらそこには切り立った崖などがあり非常に危険で二度と戻れなくなるかもしれないそうです。
だから遭難したときは登ったほうがいいと聞いたことがあります。
登っていけば救助しやすい場所に出られるし、尾根伝いに行けば山道に戻ることができるからという感じだったと思います。(うろ覚えですが)
とにかく、遭難したら降りるのではなく登れ!
そうすればきっと道は開ける、ということですね。

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