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「Still Life American Concert 1981」 ローリング・ストーンズ

60年におよぶローリング・ストーンズの歴史の中で、このアルバムを彼らの代表作と考える人はあまりいないだろう。しかしこれ以降、彼らはほぼ活動停止状態となってしまうため、Still Lifeは長らくストーンズの最新のライブを体感できる数少ないコンテンツのひとつとして愛されてきた。特に80年代からのファンにはストーンズのライブといえばこのアルバム、という人も少なくない。そしてこの時点における彼らの集大成であったことは間違いない。
本作は1981年に全米で行われたコンサートツアーのダイジェスト版である。このツアーでは50回におよぶスタジアムコンサートが行われ、観客動員数は資料によって異なるが200万人ほどだったと言われている。
このアルバムは実際に会場で流されていたジャズナンバーから始まる。これはデューク・エリントンという50年代に活躍したジャズ初期の大御所の代表曲である「A列車で行こう」なのだが、この時点で1981年の野外コンサート会場に転生した錯覚に陥る。
そしてステージの幕が開き、オープニングとして演奏されるのが「Under My Thumb」だ。オリジナルでは木琴がフューチャーされたミステリアスな曲だったのだが、ここではキース・リチャーズのギターがうなる激アツなミディアム・ロックナンバーになっている。この大きく猥雑にスイングする演奏で早くも興奮のるつぼに投げ込まれるだろう。
そして早くも訪れるクライマックスが2曲目の「Let's spend the night together」だ。発表された当初は性的な歌詞を理由に放送禁止にされたようだが、卑猥な後ろ暗さは全くなく、むしろ全身全霊で性への渇望と称賛を歌い上げるミック・ジャガーのパフォーマンスは感動的ですらある。この生命の躍動ではじけるようなドライブ感こそがローリング・ストーンズの魅力なのだ。
このアルバムは全10曲中4曲がトラディショナルなロックンロールやソウルのカバーなのだが、それらがいずれも名演でありこの作品の奥深さを演出している。4曲目の「Towenty-Flight Rock」も強烈だが、5曲目の「Going to a Go-Go」のいかがわしさはある種の芸術と言って良いレベルだろう。
レコードで言えばB面にあたる6曲目の「Let me go」からこのライブは加速して行く。このアルバムというかこのツアー全体を通じて好調なのがキース・リチャーズであり、前編にわたって彼の金属質なギターサウンドが気持ち良く鳴り響く。立体的でありながら深くしなやかにドライブするギターワークは、類似する他のギタリストが思い浮かばないほど独創的でありイマジネーションに溢れている。まさに人馬一体と言ったところで、彼のギタリストとしてのキャリアのピークだっただろう。「Time is on my side」ではロニー・ウッドとのコンビネーションも神がかり的であり、この世のものとは思えないほどの美しさと手垢にまみれたリアリティを合わせ持つ名演だ。
一応当時の最新曲であった「Start Me Up」が最終曲という位置付けであり、アンコールとして演奏されるのは「Satisfaction」である。実は彼らの初のヒット曲であるこの曲は長年ライブでは演奏されていなかった。おそらくあの短音のギターリフが60・70年代の貧弱な音響技術では大会場の歓声にかき消されてしまったのだろう。テクノロジーの進化によって復活した「Satisfaction」だが、ここではオリジナルレコーディングバージョンが童謡に聞こえるほど、ワイルドでスリリングな演奏が繰り広げられる。近年のライブのようにホーンセクションやバックアップコーラスのサポートはないが、チャーリー・ワッツのシンバルはうなりをあげ、ビル・ワイマンのベースは激しく跳ねる。クライマックスは燃え上がるようなキースのギターソロだ。そして花火の爆音とともに流されるジミ・ヘンドリックスの「星条旗よ永遠なれ」で本作は幕を閉じる。

このような素晴らしい演奏が凝縮されたStill Lifeだが、疑問なのは本ツアーにおける約200万人という観客動員数である。これは札幌市の人口に匹敵する。近年の大規模コンサートツアーでは500万人なども珍しくはないが、当時の音楽シーンにおいては突出して大規模な観客動員数だった。しかも、この時ローリング・ストーンズはデビューから18年ほど経ち、すでに旬なアーティストではない。むしろパンクやディスコといったニューウェーブによって過去のものへと追いやられている状況ですらあった。ましてやスタジアムコンサートが今ほど一般的でないにもかかわらず、どうしてここまで大規模なツアーを企画したのだろうか?
実際のコンサートは「Brown Sugar」や「Jumpin' Jack Flash」などを含む30曲、2時間30分以上の演奏だった。しかも、プリンスやヴァン・ヘイレンが前座をつとめる日もあり、全体としては5時間を超える大イベントだったようだ。加えて、随所に組み込まれた古き良きアメリカンミュージックは、単なるローリング・ストーンズのコンサートではなく、新旧様々なポピュラー・ミュージックが集う一大エンターテイメントとなることを意図していたように思われる。
当時ロックを聴いてきた世代は仕事や家庭を持ち、音楽ファンの生活スタイルは多様化してきた頃だった。週末にクラブでハメを外す若者だけでなく、家族連れの働き世代も気軽に楽しめる新しいエンターテイメントへのニーズが高まっていたのだ。このニーズはやがてアメリカにおけるメガ・コンサートツアーに成長して行くのだが、そんな大イベントの目玉として当時のローリング・ストーンズはまさにおあつらえ向きだったのだろう。

しかし、当時これほどの規模のコンサートツアーは前例がなく、かなり雑で危ういプロジェクト運営だったようだ。会場もあまり整備されていなく、当時参加した人のネット掲示板への書き込みなどを見ると、大混乱であったことが伺える。ハンプトンのライブではステージに乱入した観客がキースにギターで殴られるという事件が起きた。キースのカッコ良いエピソードとして紹介されるのだが、当時のセキュリティの甘さを象徴する出来事でもあっただろう。
メガ・コンサートツアーはやがてビジネスとしてもエンターテイメントとしても整備が進むことで野球やフットボールに匹敵する巨大なマーケットに成長し、アメリカ人の生活の一部として定着することになる。しかし、皮肉なことにその主役はローリング・ストーンズではなく、マドンナやマイケル・ジャクソンだった。このツアーの後、音楽産業は急速に膨張し、民衆芸能からエリートたちによる熾烈な市場争いの場になっていったのだ。この新しい環境に立ち向かうため、ローリング・ストーンズ自身も全く違う形に変貌して復活することになる。

今となっては、この Still Life は世俗なバンドとしてのローリング・ストーンズの最後の記録だったと言えるだろう。最近の綺麗に整った音楽とは異なり、雑然としたとっつきにくいアルバムかもしれないが、もう決して戻ることのないカオスで美しいローリング・ストーンズをぜひ体験してみてほしい。


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