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「Live at the Ritz」 ロニー・ウッド & ボ・ディドリー

ローリング・ストーンズにおけるロニー・ウッドのギターは非常に雑だ。ソロを取れば断片的なフレーズを脈絡もなく繰り返し、伴奏においても弾いたり弾かなかったりまるで気まぐれだ。リズムは大きく前後にずれ、音量もろくに聞こえなかったと思うと急に爆音になったり不安定極まりない。
無邪気な笑顔でステージ上を練り歩きながら、バンドサウンド全体を崩壊させんばかりに乱雑にギターをかき鳴らす姿には狂気すら感じられる。ミックやキースは本当にこの男をコントロールできているのだろうか?

元々ロニー・ウッドは、ロッド・ステュアートとともにフェイセズというバンドで活躍していた。フェイセズというのは、トップ10チャートに入るようなアルバムを作りながらも、ステージでは非常にラフな演奏をし、素人っぽさを売りにしたゴキゲンなバンドだった。当時のロニーの演奏を聴くとブルースやカントリーなどのトラディショナルな手法をエレクトリックに融合させた、キース・リチャーズとジミー・ペイジの中間的なサウンドを確立している。ソングライティングにおいても相当な貢献があったばかりでなく、ステージではロッド・ステュアートとの2枚看板ですらあった。

ミック・テイラーがローリング・ストーンズを脱退したとき、ミック・ジャガーはロニーの加入を熱望したと語っている。他にもさまざまな技巧派ギターリストが候補にいたにも関わらずだ。もちろんギターリストとしての実力だけでなく、ミュージシャンとしてのトータルの才能や実績を評価してのことだったのだろうが、本当にそれだけだったのだろうか?
1975年に行われた彼の加入直後のローリング・ストーンズのコンサート・ツアーは過去最大規模の動員数であり、初めて全面参加したスタジオ・アルバム「Some Girls」はこのバンドの最大のヒットとなった。明らかにロニー参加後のストーンズの活動はスケールがひとまわり大きくなっている。

ロニーがストーンズに加入した1975年頃にはさまざまな魅力を持った新しいバンドが登場しており、ストーンズのようなオールドスタイルのバンドは競合ひしめくマーケットで存在感を失い、そのシェアを維持するのが難しくなっていた。だが、ローリング・ストーンズはロニーの加入によって、同じような境遇にあったフェイセズとその周辺のファン層を取り込んで支持基盤を拡大することに成功したのだ。つまり、彼の参加は単なるメンバーチェンジではなく、ローリング・ストーンズとフェイセズの融合であり、生き残りをかけたM&Aだったと言える。

それから50年近く経ったが、ロニー・ウッドはいまだに独自のファン層を維持しており、彼らは繰り返しローリング・ストーンズのライブに足を運び、その動員数を底上げしているようだ。日本国内でも彼の音楽を好む人は昔から一定数いて、彼らはロニーの音楽にある種のサブカル的な魅力を感じているようにも思える。

「Live at the Ritz」は1987年のロニーとボ・ディドリーのジョイント・ライブを納めたアルバムであり、ロニーが持つラフでフレンドリーな空気感を体験することができる。ボ・ディドリーは1950年代に活躍したロックンロール第一世代のひとりだ。なぜロニーがボとライブをやることになったのかはよく分からないが、恐らくは何らかの成り行きだったのだろう。
このライブはボがメインの「Road Runner」から始まる。ロニーが入るのは次の「I'm a Man」からだ。「Hey Bo Diddley」はちょうどロニーのギターが聞こえ始めたところでフェイド・アウトしてしまうのだが、次の「Plynth」からロニーが前面に出てくる。この曲はフェイセズ時代のレパートリーを題材にしたギターソロなのだが、これがまた雑で勢いだけの演奏なのだ。そしてこの雑な演奏がRitzのような小さい会場に実に良く映える。「Ooh La La」は彼のテーマ・ソングと言っても良いほどロニーの人となりを表した名曲だ。ギター同様に決して上手いとは言えない彼のヴォーカルは、かすれたり裏返ったりしながらも、決して気取らず、我々の心にすんなりと響いてくる。チープだがホットなロックンロールである「Outlaws」は何も特別なことのない週末の夜を盛り上げてくれる最高のナンバーだろう。そして「Honkey Tonk Women」はもちろんローリング・ストーンズの代表曲だが、ここではまるでコピーバンドのような素人っぽさが実に楽しい。

このアルバムを通じて思うのは、ロニーの演奏は地元のライブ・バーや学園祭で仲間内で楽しむような実用的な芸能であるということだ。つまるところ彼の音楽は、バンドをやりながらバイトをしているうちに年老いてしまった人たちと本質的に変わらないのだ。だからこそ彼の演奏は多くの人にとって自分ごとのように心底に響き慰められるのだろう。
事実、ローリング・ストーンズに参加するまで、彼は多くのバンドを渡り歩いてきた。それだけ挫折を繰り返したキャリアだったとも言える。これは常にトップを走り続けてきたミックやキースとの決定的な違いであり、彼の音楽がどこか投げやりでリアルな哀愁を帯びているのはそのためかもしれない。

一方で、多くの挫折したミュージシャンとロニーとの大きく異なる特徴がひとつある。それは彼の人脈の広さと深さ、そしてそれがもたらすパワーだ。近年ビジネスにおいても人脈の重要性は認識されており、誰でもKindleライブラリにその手の本が一冊ぐらいあるだろう。その多くが語っているのは、いかに自分のキャリアにとって有益な人脈を見つけコスパ良く維持してゆくかという話だ。しかしロニー・ウッドがやってきたことはその真逆だった。誰とでも親しくなり、見返りを求めず支援する。彼のおかげでストーンズとのコネクションが築けたという人も少なくない。そして日の当たらない、あるいは忘れられつつあるバンドにゲスト参加し、彼らが注目を集めるきっかけを作る。ボ・ディドリーをこのアルバムで初めて知ったという人も少なくない。
打算のない人脈が彼に新しいチャンスをもたらしたこともあれば、酒や麻薬に絡んだ危険をもたらしたこともあっただろう。だが、彼は人との交流を楽しみ、それが彼のキャリアに役立ったかどうかは結果論でしかないのだ。我々のような一般人が彼からミュージシャンとしての成功哲学を学ぶのは難しいが、人生を豊かにするヒントは得られるのではないだろうか。

1989年の復活から絶え間なくコンサート・ツアーを続けてきたローリング・ストーンズだが、実は2007年から2012年まで5年ほども活動していない期間があった。もちろん世界的な経済危機などの要因はあったと思われるが、実はロニーがこの時期に深刻なアルコール中毒に陥り、ツアーに出れる状態ではなかったのだ。
彼のように外交的な性格の人は、裏を返せば自分自身と向き合うことが苦手で、酒や麻薬に溺れがちという側面もある。彼もまた埋め難い心の空白を抱いていたのだろう。
そして意外にも、この時ロニーをリハビリ施設に入るよう説得し、粘り強く彼の復帰を支えたのはミック・ジャガーだったと言われている。ジャガーに友情という概念があるとは考えにくいのだが、彼にとってロニー・ウッドはビジネス・パートナーであると同時に、かけがえのない家族のひとりと言うことなのだろう。


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