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「Blow By Blow」 ジェフ・ベック

ジェフ・ベックの突然の死から早くも1年が過ぎた。記録よりも記憶に残る男と言われていたが、その記憶からも彼の存在が日々薄らいで行くのを実感している。
だが私は今でも定期的に彼の作品、特にこの「Blow By Blow」を聴かなければ精神の均衡を保つことはできないのだ。音楽配信サービスを選ぶときもこのアルバムが最も美しく聴こえるプラットフォームを選んでいる。

ジェフ・ベックの代表作と言われる「Blow By Blow」は、1975年に発表された全編エレキギターをメインとしたインストゥルメンタル・アルバムである。つまり、ジャズやクラシックのように「歌」がないのだ。にもかかわらず、このアルバムは全米で100万枚以上売り上げ、ビルボード・チャートで4位を記録した異形の傑作である。

意外にもファンキーなノリの「You Know What I Mean」でこのアルバムは幕を開ける。ギタリストのソロというと、ヘヴィメタリックな爆音をイメージするが、このアルバムはそうではない。むしろクリーンで端正なエレキ・ギターの響きが印象的だ。まるで奏者の息遣いまで聞こえてきそうである。

一方で「She's a Woman」では人間が喋っているような特殊なトーンが聞ける。トーキング・モジュレータという機材を使っているのだが、あまりに演奏する姿がカッコ悪いのでジェフ・ベック以外にこれを使用しているのを見たことがない。しかし、彼がギターに人の声を求めていたことを感じさせるものであり、ギター演奏が彼にとっては表現であると同時にコミュニケーションでもあったことを伺わせる。
私は初めてこのアルバムを聴いた時に、正直どれがジェフ・ベックの演奏なのかよくわからなかった。様々なトーンが入り乱れ、どれがギターでどれがキーボードなのか区別できなかったのだ。これは私がギターに詳しくないのが原因なのだが、ギターを主役としつつ、バンド全体や楽曲の魅力もしっかり主張し、ひとつの音楽作品としてうまくまとめられていることもその一因だろう。

そんなアルバムのハイライトのひとつは間違いなく「Scatterbrain」だ。呪術的なテーマが不気味に迫りくる中、ジェフのギターが絶叫する。視界不良の中を走り抜ける恐怖と快楽を体験できるナンバーだ。さらに重厚なストリングスが危機感を煽り、スリリングな演奏が続いてゆく。
あまり語られることはないが、アルバム全編に渡ってフィル・チェンのベースとリチャード・ベイリーのドラムが素晴らしい。二人とも非常にテクニカルで多弁なのだが、決して耳障りではない。むしろ、主役であるジェフ・ベックのギターを引き立てるためにめくるめく情景を演出する。ときに主役であるギターの演奏を盛り立て、ときに合いの手を入れる、そのライブ感溢れる演奏はジャズの魅力と格式をこのアルバムにもたらしているのだろう。

しかし、本作を歴史的な名作たらしめているのは「Cause We've Ended as Lovers」の名演だ。静かに始まる序盤は単調なフレーズの繰り返しだが、一転ソロパートになるとジェフのギターが雄弁に語り出す。その格調高い語り口は次第に情熱と情感に満ち、聴く者の魂を奪い去ってゆく。やがて興奮が豪雨となって降りそそぎ、再び単調なテーマに戻り幕を閉じる。いつもこの曲を聞き終わった後は勇気と自信を取り戻したことを実感するのだ。

「Freeway Jam」はライブではもっとブギー感があるのだが、オリジナルである本作でも十分グルーヴィだ。緊張感あふれるこのアルバムにおいて、ひときわ和やかでリラックスした雰囲気を感じさせてくれる。
終曲の「Diamond Dust」は文字通り、吹き荒ぶストリングスが凍てつく氷粒を思わせるが、ジェフ・ベックの演奏は閉ざされた大地が抱く生命の温かさを見せてくれる。だが次第に彼の姿はこの雪風の中に消えてゆき、このアルバムは冬の偏西風とともに終焉を迎えるのだ。

「Blow By Blow」は前述の通り、インストゥルメンタル・アルバムとしては突出したセールスと評価を得た作品だ。ジェフ・ベック自身のキャリアの転換点になったばかりではなく、ロック・ギターの芸術性がジャズやクラシックに決して劣るものではないことを示し、そのポピュラリティをかつてないほどに拡大したのだ。
しかし、どのような偉業もただひとりの天才によって成し遂げられたということはない。
事実「Blow By Blow」が発表された1970年代中盤には、フュージョンやクロスオーバーと言われる、ジャズとロックの融合した音楽が形成されつつあった。エレキ・ギターによるインストゥルメンタル・アルバムもすでにいくつか登場しており、「Blow By Blow」もそれらの強い影響下にあるのだが、そういった作品はいずれもジョン・マクラフリンのようなジャズ系ミュージシャンによるものだった。一方で、本作はまったく逆のアプローチであり、ロック界を代表する奏者が、ジャズ的なフォーマットにロックのダイナミズムを持ち込んだという点で特異な作品だったのだ。そういう意味では、当時の音楽的な潮流の中で作られたとはいえ、本作はジェフ・ベックという天才的な個性があってこそ成立する奇跡だったのだろう。
しかし、圧倒的な演奏力を誇るジャズの土俵に参戦すれば、当然のことながらロック奏者の稚拙さが露呈してしまうリスクもある。結果的にはジェフ・ベックの技術と経験よって規格外の成功を得たのだが、なぜ彼はこんな危険なビジネスに手を染めたのだろうか。

ジェフ・ベックは三大ギタリストのひとりと言われてきたが、実はこのように表現されるのは彼だけである。ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンの人であり、エリック・クラプトンはレイラの人だ。ヒット作がなく強固なセールス基盤を持てなかったジェフは、経済的に有能なメンバーを維持することができず、バンドを作っては解散することを繰り返し、次第に影響力を失っていった。かつてのクラスメートたちに大きく差をつけられる中、彼らに比肩しうる音楽的成果を求め、当時興隆しつつあったフュージョン/クロスオーバーの世界に身を投じざるを得なかったのかもしれない。
いずれにせよ、すでにロック・ギタリストとしての地位を確立していた彼が、若いジャズ・プレイヤーたちに教えを乞い、決して王道とは言い難いジャンルにチャレンジすることは、想像以上の覚悟があっただろう。

このアルバム以降、ジャズ・ギタリストのエレキ化が加速したばかりでなく、ロック・ギタリストの演奏技術も飛躍的に向上した。その流れの中で、ラリー・カールトンやリー・リトナー、ヴァン・ヘイレンやイングウェイ・マルムスティーン、スティーブ・ヴァイ、ジョー・サトリアーニなど90年代に至るまで大量の"スーパーギタリスト"が登場することになる。

新世代のギタリストたちが奏でる機関銃のようなサウンドに比べれば、このアルバムでのジェフ・ベックの演奏はまるで俳句のような素朴さだろう。だが、まさに人生の岐路に立ち、未知の領域に踊り込んでゆく高揚と緊張が織りなす音世界は、後年のいかなるロック・ギターアルバムも持ち得ないものだ。

この後、ジェフ・ベックはギターインストゥルメンタルの世界で余生を過ごすのだが、次々と現れるスーパーギタリストたちによって、彼の技術的な優位性は消失していった。そればかりか、音楽トレンドの変化によって、エレキ・ギターそのものがかつてのような花形の職業ではなくなった。それでもジェフ・ベックは様々な佳作を世に送り出してくれていたのだが、それはすでに他者の追従を許さない独自のジャンルであったのかもしれない。
エレキ・ギターの凋落によって、次世代を担う若者たちが「俺のギターで大観衆を泣かせてやる」という妄想に取り憑かれなくなったのは喜ばしい限りだが、もう二度と「Blow By Blow」のような作品が生まれないことを寂しく思うこともある。だが、ジェフ・ベックが作り出した世界には、付け足したり、書き換えたりする何ものも必要ない。ジェフ・ベックは口下手だったようだが、我々が日々の生活の中で感じている苦悩や感謝や不安や熱情は、彼が全てそのギターで語ってくれているのだ。






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