なぜ幸せなはずなのに不幸なのか

多分、他人から見たら僕は幸せな生活をしてるんだと思う。
両親とも地方から出てきて頑張っている家庭に生まれて、厳しすぎず、少し甘いぐらいの育てられ方をしたと思う。そして大学にも行き、就職も決まった。順風満帆ですね…。 
ただ、何かこう…自分に自信を持てない。コンプレックスの塊みたいな態度をとっている。謙虚でいられるといういい面もあるけれど、行きすぎるとクヨクヨして何もできない,ネガティヴな面もある。(余談なんですけど、アドラー哲学によると劣等感を待つってこと自体は悪くないらしいです。詳細は劣等感と劣等感コンプレックスについて調べてみてください…)
「お前ネガティブすぎるよ」と友人にはよく言われるし、自分でもわかっている。多分、皆んなからすると、「ただクヨクヨしてるだけの坊ちゃん」そう思われてたりするかもしれない。
もしかしたらそうなのかもしれない…それを確かめるために自分に自信を持てない理由を考えてみたのでまとめる。

1.育った環境
僕は幼少期、数年おきに環境が変わり、転校を繰り返してきた。しかも国内だけではなく、海外に行くこともあった。
ドイツの小学校にいた時、僕は常に笑われているような気がしていた。なんか、アジア人いるなーみたいな目で見られてたし確かになんとなくニヤニヤしながら指をさされたこともある。
そして勉強に関しても、自分はずっっと1番進むのが遅かった。(そこの小学校は個人でテキストを進めて、演習問題を解いて先生に採点してもらうという特殊な授業形態をとっていたため、個人の進捗度に違いがあったんです。)
そこで「自分は勉強ができない、頭が悪い」というコンプレックスを抱いたんだと思う。
日本に帰ったら帰ったで最初は日本語の読み書きができなかったレベルに勉強ができなかった。
こういった感じで、劣等感を抱きやすい環境に身を置かれてきた。
これらの体験から、自然と身体が劣等感を求めて楽をしようとしてるのかも。
2.親
うちの両親は離婚とかはしていない。特に今は仲がいい。ただ、幼少期は仲が悪かった記憶。それで母親がよく、「●にたい」っていってた。当時、自分は「●にたいっていなにー?」って聞いたりしてたけど、物心ついてきたころにしんどい時に「●にたい」という言葉を連想するようになっていた。これは今もたまに思う。
でも、母親を責める気は全くないです!母さんいつもありがとう
3.成功体験
僕は結構頑張ってきた。部活も頑張ってきた。そして結果もそれなりにだしてきたけど、大体、あと一つ目標に届かないことが多い。例えば、最後の最後でスタメンから落ちてしまい、スタメン組は全国で2位になった。こうして僕は10年間の部活人生で一度も大きな目標を達成することができなかった。部活で引退したい今、「何かで表彰されたかった」そう思うことが時々ある。

ただこれらを裏を返せば、逆境を乗り越えてきたわけだし、今度こそは何かを成し遂げよう!っていう気持ちを燃やし続けられるととらえることができる。

頑張っていこう

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