人間に生まれるということ
ヴェーダでは人間の生は簡単なことではないと言われています。
まず、人間の誕生は簡単なことではありません。
進化の観点から見ると、猿が人間になるまでに何百万年という時間がかかっています。
また、カルマ(自分の過去の行い)の観点から見れば、パーパ過剰で蚊に生まれてきてパーパを消化するだけの生になったり、プンニャ優勢で天界に生まれたら楽しみを消化するだけの生になったりします。
一方、人間の誕生はカルマの結果であると言われる輪廻転生の観点からして、プンニャとパーパの絶妙なミックス(50:50)が必要なので簡単ではありません。
そして、動物は数年生存して子孫を残せばそれで満足する。それが自然です。
一方、 人間の体を手に入れたら、それがカルマによるものであれ進化に伴う自然淘汰によるものであれ、もはや自然の手には負えません。
単に人間は肉体的に大人になるまでは、あなたは自然の手の中にいるのです。'
しかし、心の成熟はそうはいきません。その成長プロセスは、私たち自身の手に委ねられています。肉体の成熟とは異なり、内面的な成長は純粋にあなた自身の手によるものです。
内面的な成熟は、あなたが選択能力を持つ人間であるために、自ら始めなければならないプロセスなのです。
自由意志は とっても希少な価値です。天界に生まれても動物にも生まれても持ちえない。
さらなる進化を自分でとげなければならない。自分で考えて自分で理解して 一人ひとりの意思によります。
さて、ヴェーダンタでは人間の目的は4つに分類できると言っています。
アルタ:安全 カーマ:満足 ダルマ: モクシャ:求めることからの解放 の4つです。
人間なら誰でも(西洋人も東洋人も 宗教にかかわらず 所有財産に関わらず 名声において有名無名にかかわらず 老若男女問わず)です。
最も一般的に求められている2つの普遍的な目的は、安全であるアルタと喜びであるカーマです。
このアルタ カーマを求めるだけなら、人間に生まれる必要はない。 人間じゃなくても追及できます。
しかし、ダルマとモクシャだけは人間だけにしか求められません。ダルマをするにもモクシャをするにも自由意志が必要だからです。
(ちなみに、ヴェーダの前のでは ダルマを 後ろではモクシャを説明しています)
そしてヴェーダンタでの目的はモクシャです
アルタ カーマ ダルマをよく分析していくと人間の目的はモクシャとなるのです。
ダルマやモクシャは、自然に任せておいては得ることができません。いろいろの勉強を経ることや人生での分析が必要になります。それをするためには自由意志を用いるしかなく、それは人間にしか与えられていませんが、それを有効に用いるには努力が必要です。自由意志を有効に用いなければアルタやカーマの追及だけのサムサーリになってしまいます。
これが、人間の生は簡単なことではないと言われる理由です。
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