五芒星巡り問題

※年に一度の自分自身を振り返るための日記です。(今年から開始)

五芒星巡りについて話題になっていますね。

今年起きた様々な出来事と合わせて、思ったことをつらつら書いてみようと思います。

今年の振り返り


敬意、思いやり、礼儀。
人と交流する上で、この気持ちが土台にあると気分が良く、お互いの平和が成り立つ感じがします。気持ちよく過ごせますね。

昨今お金の問題やら不正やらいろんな問題が噴出していますが、それを見ていてもこの事が思い浮かびます。
他者への「敬意、思いやり、礼儀」が欠如してしまうと、一方通行な押し付け・騙しなどが発生して、全体のバランスが崩れるようになるのだなあ、と思う日々です。

2023年は、色々な闇が炙り出されてどんどん表に出てきた年でした。それと同時に、自分の行動を顧みる年にもなりました。
何か行動を起こす時。そこには果たして「敬意、礼儀、思いやりの気持ち」はあるのだろうか?胸に手を当て、自分に問いかけてみる。その時間を大切にしたいものです。

五芒星巡りについて

今年は五芒星巡り問題、色々と考えさせられました。

五芒星巡りについて知った時、いろんな人の様々な意見を見てみました。
頭をフラットにして賛否両論見てみます。誰の発言かという事は一旦置いておき、沢山の意見を読んでみて、その後自分なりに考えました。

そこで思った事は、

自分の都合(願いを叶えてもらう)が先行していないか?と、一度自分を振り返ってみる必要があるな、という事です。

これは上で書いた様々な問題にも共通して言える気がします。

「神社=願いを叶えてもらうための場所」というイメージが先行しがちですが、神社は、もともと日頃の感謝をしにいく場所であったかと思います。

感謝の気持ちを忘れずにいる、そして地道に努力を続けて日々過ごす。そんな人がいたら、自然と応援したくなりますね。それは私たち人間もそうだし、きっと神様も同じだ事と思います。

そういった意味で、その人に合わせた・見合った「後押し」をして下さるのが神様なのではないでしょうか。
お互いに思い合う、あたたかな交流の空間。神社の本質はそういう所かもしれないな、なんて自分なりに考えたりしました。

参拝の第一目的が「願いを叶えて欲しい」「パワーが欲しい」である時、果たしてそこには心が通い合うあたたかな空間は存在するのでしょうか。そして、そこに神様への礼儀はあるのでしょうか。
そんな大切な事にハッと気付かされるキッカケになったのが、今回の五芒星巡り問題でした。

人間同士のコミニュケーションでも同じですね。一方的に要望を通そうとする時、相手へのリスペクトはあるでしょうか。自分自身の1年を振り返り、よくよく反省したいと思います。

神社には、そこに祀られた神様がおられます。参拝の際はその神様のテリトリーに入らせて頂くのだから、「お邪魔させて頂く」という気持ち・神様を敬う気持ちが何より大切ですね。

正しいか・正しくないか問題

五芒星巡りの件もそうですが、世の中には、それが実際に良いのか悪いのか判断するための材料が揃っていない(見えない)ケースがけっこう存在しますね。
では、そういった時にどうすればいいか?自分なりに出した答えは、まず、関わりのある方々(人・物・動物問わず)に対して「思いやりの心」を思い出し、相手の立場を考えてみる事でした。

「思いやりの心」を相手に向ける事は、法律で決まった事ではないかもしれないですが、"人"として生まれたからには、大切にしたい部分ではないかなと感じています。

神社は魔法のランプとは違いますし、神様はランプに住む魔人でもありませんね。もちろんドラえもんや4次元ポケットでもありません。

毎日見守って下さっている事・おかげで穏やかに過ごさせて頂いている事への感謝の気持ちを伝える、暖かい気持ちを大切にしたいなと思いました。

今回の日記は以上です。


おまけ

ちなみに自分が導き出した答えは「特別な巡り方はせず、普段通りの参拝をする事」です。以下自分なりの理由です。
(省くつもりでしたが、何らかの参考の1つにでもなれば、と思って書き残す事にしました。不要な方は飛ばして頂いて大丈夫です。)

  • もし神社・神様から歓迎されている方法なのであれば、神社の公式ホームページに記載されていたり、テレビ番組で取り上げられているのではないか。

  • もし危険だったり神様に対して失礼に当たるものだった場合、知らぬ間にマナー違反を犯してしまう事になりかねない。

  • 可能性が自分の中で100%否定できない・断定できない事であれば、万が一の事を考えて控えた方が無難か。

神社にお伺いする時は礼儀を重んじ、マナーを守ってお伺いしたいと自分は思います。