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第十三章 崩御と客死

「客死」 
紫式部の弟の惟規が 父親 為時の赴任先である
越後で亡くなったという。せっかく貴族の位である従五位になったというのにその役職をやめて、父親 為時が越後の守に任命されたときに老いた父親についていくということで、父親が先に赴任先に到着、弟の惟規はそのあと越後に向かったらしい。
1011年の秋 到着先の越後の地で
弟 惟規は亡くなったらしいです・・・・

「崩御」 
一条天皇・・・帝が同じ年の1011年6月に亡くなられた
一条天皇のお后は彰子様。紫式部は彰子様に仕えていましたね。

同じ年に紫式部は身内と身近な人物 それも帝!
を立て続けに亡くしていたことになります。
帝も自分の弟も30代で亡くなったそうです。

道長殿は政治家らしく、あとの帝や東宮を誰にするか?に
立ち回ります。

ですが、中宮である彰子様には何一つ相談されなかったらしい。
理由は人事について反対されるかもしれないと思った?
それを中宮様は実の父親が自分への「隔て心(へだてこころ)」があると
思った・・・お寂しい、お辛かったのでは?と紫式部は中宮様の心中を察します。

中宮様は帝の奥さんなのですから、後継者問題で一言相談があっても
いいですよね・・・

中宮様はこの時から、父親の人形ではない、独立した一人の人間としての
意志をもった・・・と紫式部は思います。
そして、自分の主人は道長殿ではなく、この中宮 彰子様なのだと
そしてこの方こそが「国母」にふさわしいお方、中宮様をこれからもすっとお支えしていこうと決心します。

次第に中宮様の毅然とした言動に、まわりの公卿たちも驚き、中宮様を無視するわけにはいかなくなったとのこと。
彰子様は頼もしく成長された・・・と読んでいた私もうれしくなりました。
紫式部も自分が彰子様に教えた漢学はじめいろんな知識学問が
彰子様に伝わっていた・・・女房冥利につきると語っています。

帝も自分の弟も身分の差こそあれ、辞世の句をみると
「もっと生きたい・・・」という気持ちが同じであると紫式部は感じます。

それにしても1000年前の平安時代の人間の平均寿命は50才くらいまで
生きれば「長寿」だと言われていたのでしょうか・・・
帝はじめ 皆さん、若くして亡くなっていっていますよね。

「命」というものは、身分が高かろうと低かろうと
平等に「ひとつ」しかないのだなあ・・・・と思いました。
かけがえのない「命」
尊い「命」
私も自分の「命」と周りの人の「命」を大切にしたいと思いました。







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