ドッケンベルガー 坂田利夫師匠
こんにちは南仙台の父です。
今回はそんな怖い話ではありません。
どんな人にもこの世に三人のそっくりな人がいると言われており、自分自
身が瓜二つの人と出会うこともあります。
そんな現象をドッケンベルガーと呼ばれます。
今回は私が見た、ドッケンベルガー的な事象についてお話しましょう。
もう時効だと思いますが、今から7~8年前のことになります。
人事として採用業務をやっていた関係で、その事象に遭遇しました。
冬の寒い日で、朝から雪が降っており、その時に在籍していた事業所でも
緊急の帰宅許可が出る位の大雪の日にそれは起きました。
ある人材紹介企業から人の紹介があり、面接をすることになったのですが
、そんな大雪なのでこれは無理じゃねって思って、別に日にしましょうと
いう提案をしました。
しかし、紹介会社からは無情にも本人のやる気を見てくださいということ
で、その日の夕方にお連れしますというつれない返事がありました。
帰宅許可を受けて周りでも人がどんどん帰宅する中で、私と面接をする部
門長が残って来るのを待っていました。
夕方の16時過ぎに電話が入り、「今到着しましたので本人連れて入構させ
ていただきます。」という明るい声で連絡が入りました。
外では既に30cm近い雪が積もっており、さすがに殆どの車がスタッドレス
タイヤを装着している仙台でも、これ以上積もったら家に帰ることすら難
しい、そんな状況にも関わらず面接が始まったのでした・・・。
私と面接官である部門長の二人が待っていると、紹介会社の担当者に連れ
られて一人の男性が入って来ました。
「あれ、・・・誰かに・・・似てますよね?」と小声で話す部門長。
「・・・、政治家の鈴木〇男ですか?」と更に小声で部門長が続けます。
「いやいや、鈴木〇男にも似てますけど、誰が見ても坂田利夫だと思いま
すけど。」と一応小声で答える私。
「や・・・やめてくださいよ。」既に横で部門長は笑いを嚙み殺して堪え
ています。
「私も色々な人を見ましたけど、あれだけ坂田利夫に似てる人は初めて見
ましたけど。」私がそう呟くと、部門長は堪えきれずに下を向いてしまい
ました。
私は一応仕事ですから、冷静な顔で面接を取り仕切りました。
本人からの自己紹介やら経歴の説明などが続き、仕事内容やその他説明な
どを行ったところで、面接官の面接が始まりました。
いつになく小声で元気なく、下を向きっぱなしで話す部門長の姿は明らか
にまともに視線を合わせられず、ただただ下を向いて話すしかないのは誰
の目からも明らかでした。
だって、写真に坂田利夫師匠の写真を入れましたけど、どう見ても本人に
しか見えず、今にも得意の持ちネタである「ジョンジョロリ~ン、ジョン
ジョロリ~ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ。」が炸裂してもおかしくな
い、そんな感じがしており、正直私も仕事とはいえどもこんなきっつ~い
状況は歴戦の採用戦士の私でもありませんでしたから。
でも、幸いなことにこの方はとても真面目な方で、きちんと質問には答え
ており、ドッケンベルガーが目の前で起こっているとはいえ、別の人であ
ることは非常に幸運でした。
よくよく考えてみれば、人となりも坂田利夫であったとすれば質問の答え
の端端にお得意のギャグが炸裂し、面接会場というよりも「なんばグラン
ド花月」になっちまいますから・・・。
一通り面接の質疑が終わり、紹介会社の人と一緒に応募者の方も帰ってい
きました。
私と部門長も帰宅の支度をしながら会話しました。
「どうするんですか?」と私が恐る恐る訊きます。
「無理です、もう答えが全然頭に入って来ませんでしたから・・・。」
部門長は笑いを堪えるのに必死で、とにかく何も頭が受け付けない状況に
あったと言いました。
「悪い人じゃないと思うんですけど、積極的には採用できません・・・。」
部門長は丁寧な言い回しながらも、頑なに受入れ拒否を崩しません。
まあ、現場がダメっていうのは仕方ないし、こんな大雪の日に来てきれた
ことは感謝しますけど、よくよく考えるとこれからまともに帰れるとは思
えず、有難さも2割程度の感じではありました。
一応、紹介会社にはお礼を言って、ちょっと会社が求める人材像との間で
フィット感が弱いということでお断りの連絡を入れました。
今考えて見るとこれだけ似ている人を見たのは初めてでした。
改めて手元にあった紹介会社の資料を見ても、まあちょっと似てるかなと
いう感じではありましたが、現実に本人はそのままそっくりでした。
たぶん、なんばグランド花月の前とか歩いていたら、間違いなくファンに
取り囲まれて、スマホで写真を撮られているに違いありません。
年齢的には30代後半くらいの方だったので、コメディNo.1当時の坂田利夫
師匠っていう感じの方ではありました。
私も他にもドッケンベルガー的な話を聞いたことはありますけど、本当に
衝撃的なくらいのドッケンベルガー度でした。
きっとこの話は冥途でもいい土産話になるくらい凄かったです。
もう二度とこんな体験はできないと思う今日この頃です。
アホの坂田、アホの坂田、アホの坂田、アホの坂田、アホのさ~か~た~。