内なる声を聴き、それに従え!
私ぶらいおんは常に己の内なる声を聴き、それに従って生きて来て、これからもそうして生きて行く。
たとえば、加齢により体調を崩したりしたとき、医師による診断の結果、手術とか入院の決断を迫られることがある。
そのような場合、最終決定権は疑いも無く、私自身にあり、それ以外の意向に左右されることは無いし、ましてや私以外の者が決断することはあり得ない。
私はそうした決断をする際、静かに己の内なる声を聴く。
そしてその声に従う!
その際、医師のエキスパートとしての見解は十分に尊重する。
家族や親しい人たちの意向も不足することがないよう勘案する。
だが、決断を己の内なる声以外が、することは決して無い。
戦時中には、父の生まれ故郷である紀南すさみ町江住に縁故疎開していたが、ある日父が、私と8歳違いの弟を引き連れて晩ご飯のおかずにする小魚を江須崎の島で獲っていたとき、突然飛来した米軍戦闘機の機銃掃射を受けた。
父は弟を抱き抱え、江須崎の亜熱帯樹林の中に飛び込め❗️と私を叱咤した。
当時国民学校(今の小学校)5年生だった私は内なる声に導かれるままにジャンプして樹林帯に飛び込んで難を逃れた。
幸い父も弟も無事で、かすり傷ひとつ受けなかった。
考えてみれば、その後も何度か、一歩間違えば生き延びられないような事態に遭遇した。
その度に、内なる声に助けられた。
こうして私は、今91歳で生きている。
別に、特に長生きしたとも思わないし、これからどう?身を処して行こうか?などと特に思い悩むこともまた無い。
取り敢えず、やっていることを、取り敢えず続けて行こう、というだけだ。
正気とは思えぬ暑さが続くし、つまらぬ不注意や見当はずれの踏ん張りで、熱中症に🥵やられるようなお粗末事態は回避するように努めてはいるが、やりたいことはやり続け、食べたいものは何とかして食べようとするし、汗を💦かけば風呂に入って、お気に入りのテレビ録画もチェックして、大方の世の中の動きを、時にせせら笑ったり、また時には感心することもある。
そして晩飯前には喉の乾燥状態が顕著なら、アイリッシュビア「ギネス」を専用グラスできっちりワンパイント楽しみ、そうでないときはジントニックを自分で調合して1杯楽しむのが日常だ。
こうして寝不足気味のマイスケジュールをときに呪いながら就寝するというような毎日を過ごしている。
しかし、如何なる時も、己の内なる声の告げる道を踏み外さないように常々努めている。