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映画「標的」を観た翌日朝6時起きして、字幕版SF映画「ザ・クリエイター」を観た
ドキュメンタリー映画「標的」
「標的」はドキュメンタリー映画であり、捏造記事を書いたとされ、その結果卑怯で、悪意に満ちたバッシングを蒙った元朝日新聞記者植村隆さんと家族(特に娘さん)や彼らの対応状況、またその理不尽さを知って、応援しようとする一般市民たち、そして弁護士たちの活動ならびにこれらの事実を消し去ろうとする歴史修正主義者たちの行動を記録している。
先ず心を動かされたのは、植村さんの長女がカメラの前に正々堂々と顔を曝して、怖じ気づくこと無くコメントしていることである。
今の世の中、ネットで匿名者から「殺す!」と謂われなく脅迫されれば、誰でも一応はたじろぐだろう。相手の正気すら確認しようも無いのだから。
それでも、彼女は毅然として言い放つ。
「私の他にも不当な被害を受けている人のために、被害を受けた私が声をあげて、世の中の人に知って貰いたかった。事実が埋もれてしまうことは避けたかったんです。」
国家権力というものは不都合な過去を都合のいいように書き換える。
そんなことが許されていいのだろうか?
無論「否」である。
にも拘わらず、国家権力はメディアと教育に圧力をかける。
今の我が国日本は、将にこの状態下にある。
もはや日本は民主国家とは言えまい。
三権分立の定めに違反している、もしくは違反しているのでは無いか?と疑われるような保守政権による長年支配によって、メディアコントロールと歴史修正という人権や自由を無視した凶行が継続していて、この国は将に崩壊に向かいまっしぐらに向かう様相を呈している。
そのような危惧を改めて覚醒させてくれた映画「標的」であった。(11月29日和歌山市男女共催センター6Fみらいホールにて午後の部鑑賞)。
SF映画「ザ・クリエイター」
世界の現状は米国およびEUにおいては、特に生成AIの発展は、その暴走を予想すると非常にリスクが高いので、これを規制する必要があるという立場で、実際に先頃もロンドン郊外でAIサミットが開催されている。
無論、生成AIの無制御な進展はいずれ人類を脅かすリスクとなり得る可能性は充分あるだろう。
しかし、現在のところ我が日本は「生成AI」について徒に過度な規制を掛けるのでは無く、「生成AI」と共存して、その発展を人類のために資するような方向に向けることを考えて、対処して居るようだ。
映画「ザ・クリエイター」では欧米を代表する国として米国、特にロサンゼルスおよび米国人が登場し、この国はアンドロイドの(AIシミュラント(模造人間))→ https://youtu.be/p49QwFIafC4?si=jhTQiGjdvDYHLobt を奴隷のように人類に奉仕させるためにのみ製造して酷使し、都合が悪くなったときは、これらを簡単に破壊、滅失させようとする。
それに対し人類に酷使されながらも、それに抵抗し、ヒトと共存しようとする国として、ニューアジアなる国が存立しており、その中心には日本が存在し、その周りにはタイ、ベトナム、カンボジア、ネパール、インドネシアなどを含んで構成されている(その昔の大東亜共栄圏とは似つかぬものだが)。
そしてこのニューアジアでは、AIシミュラント(模造人間)である(マヤ)=ニルマータ(黒幕のクリエイター)とホモサピエンスのジョシュアとが愛し合って生まれたAI搭載超進化型のアルフィーと呼ばれる可愛い女の子まで存在し、仲良く共存している。
ニューアジアのリーダーとしてホモサピエンス国と戦うハルンも、あらゆる意味で殆ど人間と変わらないアンドロイドのAIシミュラントであって、その役を渡辺謙が演じている。
東京の夜景や、日本人にとっても懐かしい東南アジアの棚田をバックに超進化した武器を使用して、ホモサピエンスとAIシミュラントたちが闘いを繰り広げる訳だが、印象的なシーンとしてはハルンとアルフィーが「自分たちは人間では無いから、天国には行けないね。」と語り合うシーンやホモサピエンスの戦闘員ジョシュアは、アルフィーが自分の娘であることを知って、最後にアルフィー=アルファ・オー(ニューアジアを戦争に勝たせることが出来る兵器)を破壊せよという命令に違反し、自らの生命を犠牲にして娘アルフィーを助けるというシーンがあり、これが唯一ホモサピエンス国が「人間らしさ」を感じさせるポイントであるとも言えようか。
このことに関連して、ギャレス・エドワーズ監督は、「物語にはどんな想いを込めたのでしょうか?」というインタビューワーの質問に対してこう答えている。
「エモーショナルであって欲しいね。(中略)爆発とか、宇宙船とか、僕が映画で好きなクールなものが全て入っているしね。でも、一番重要なのは、子どものAIロボット(アルフィー)と兵士(ジョシュア)の関係だと思う。(後略)
また筆者にとって特記すべきは、作品中でドビュッシーの「月の光」が効果的に利用されており、感性的に大いに納得出来るところだ。
実は高校3年生のときに観た映画で、その後の自分の芸術的好みを決定的に形作ったとも言える映画がある。
それはジェニファー・ジョーンズとジョセフ・コットン主演で、米国作家ロバート・ネイサン原作に基づく「ジェニィの肖像」という映画である。(これについてはJタウンネットでライターをしていたとき、そこのブログに詳しく書いた。)
この映画の中では、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が主要な映画音楽として利用されていて、時空間を超越する重要なキー・シンボルとして使用されており、それ以来筆者の音楽的嗜好はドビュッシーを中心とする印象派に取り憑かれてしまい、今に至っている。
「ジェニィの肖像」はSF的と言えば、そう言えるかも知れないが、時空を超えた男女の愛をテーマにした壮大なロマンスであるのに対し、「ザ・クリエイター」はCGを駆使したバリバリのSF映画である。
対照的とさえ言える映画同士の中で、ドビュッシーの音楽が効果的に利用されているというのは、大きな驚きであると共に筆者にとってはまた、大いなる喜びでもあった。
いずれにせよ、現在およびこれからの世界を想像させ、彷彿とさせる、CGを自在に駆使した印象深いSF映画であった。(11月30日イオンシネマ「字幕版」にて鑑賞)
*(オマケ) この映画を吹き替え版で観てしまうと、ニューアジア国ではリーダーの渡辺謙が短い戦闘用語などには日本語をそのまま使っており、アルフィーやジョシュアとは英語で会話しているのをハッキリ区別出来なくなってしまう。
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