怠惰と挫折
観たアニメについて、noteに書こうとした。しかし、全く書けていない。理由は2つある。まずは、自身の怠惰である。怠惰な人間であるという、生来の気質の為だ。これには、ほとほと手を焼く。大学が忙しいとか、そんなモノは理由にならない。
だが、言い訳をひとつさせてほしい。それは、「アニメの感想文って難しいのでは…」と思ったことだ。氷川竜介が繰り返し主張していたことだが、アニメにはアニメにしか生じ得ぬ特別な効果がある。そのためには、技術論への接近が不可欠だというのだ。自分は、近頃のマイブームとして、新海誠監督のゲームオープニングムービーや監督作品を鑑賞している。それもあって「言の葉の庭」について、書いてみようと思った。しかし、書けないのだ。あらすじや、それに対する感想、主人公の葛藤について主に書く。それは、別にアニメの「言の葉の庭」でなくたっていい。ノベライズ版の感想でも同じものは書けてしまう。早い話が、映像そのものに対するアプローチが全くないのだ。あまりにも狭い物差しで測っている。アニメの感想文を書く、ということはそのままの意味であり、実行は至難の業だ。縦糸のみを語るのはよくないんじゃないのか。アニメというメディアの特殊性を知っていなければ、その作品がアニメでなければならない理由もわからない。そしてその物語も、アニメの上にある物語なのだ。それがわからなければ、アニメの感想文にはならないのだと、様々な人の文章を読んで、そう感じる。
自分は一度、「装甲騎兵ボトムズ」の主人公であるキリコについて、監督の高橋良輔と関連づけた文章を書いたことがある。悪いクオリティではなかったと思っているが、そのテーマ設定の際、アニメ・ボトムズということに対しては、無自覚であった。自覚的にストーリー以外のセクションを切り捨てたわけではないのだ。知識を蓄えた上での自覚的な文章を書いてみたいと思う。藤津亮太の文章はその気配を強く感じる。彼のような評論が書けたら良いんだろうな、といつも思う。
しかし、アニメの技術論は面白いが難しい。というよりセクションが多い。神村幸子の「アニメーションの基礎知識大百科」を読んでいるが、読むたびに、情報過多で頭がパンクしそうになる。だが、それでも叩き込める限りは叩き込みたいと思っている。
こう思うきっかけになったのは、前述の新海誠と出崎統だ。2人の作品の共通項は、映像詩である、という共通点がある。ああなるほど、この2人を語りたいなら技術論は必須だな、と思うに至ったわけだ。縦糸ではどう足掻こうが、限界があるのだ。「劇場版エースをねらえ!」のお話について語ったとしても、それは、山本鈴美香の原作について語ることになりかねない。お話の展開こそ違えど、だ。なんなら、「エースをねらえ!」には実写版も存在している。だから、アニメの技術論は必要なんだなと思えるのだ。
と、偉そうなことを言ったところで有言実行できるなんて思っちゃいない。すぐにはできやしない。だが、研鑽を積むことで、そうなりたいと思っている。岡田斗司夫の言っていた「オタク道は辛いものである」という言葉の意味の、そのほんの一端を垣間見た気分の、今日この頃である。
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