影響をうけた人々

 僕は好きを極めた人に憧れる節がある。その人は、時に作家であったり評論家であったりライターであったりするわけだ。オタクという言葉に憧れに近い感情を抱くのもそういう自分の性格が出ている。そう思うようになったきっかけは数冊の書籍がきっかけだ。
 初めに上がるのは、池波正太郎の「映画を見ると得をする」だ。ここに「仕掛人・藤枝梅安」を入れてもいいと思っている。「映画を〜」に辿り着く起点に梅安がいるからだ。必殺シリーズと緒形拳に首ったけだったから、梅安の原作を読むようになり、梅安の人生の玄人さに触れたら、作者の池波正太郎も梅安のような人なのではなかろうかと推察するのは自然の摂理だ。果たして、そうだった。自ら映画狂を自称する彼のエッセイを読むと、「池波正太郎って理想的なオタクといえるのではなかろうか…?」と思うようになった。人生を極めている人、という印象があるからだ。好きなことも、仕事も何もかも高みに立っている。そして謙虚だ。自分にとってのオタクって「人生を粋に暮らす人」という価値観があるが、この辺が底にある。経験に裏打ちされた映画観は、自分の根底に流れている。とにかく、カッコいい。粋で着飾らない。そんな生き方に憧れている。だから、彼を知るにつれ、どんどん彼の小説よりもむしろエッセイを読むようになった。彼の生き様を参考にしよう、と考えたわけだ。そして「池波正太郎=理想のオタク?」と考えると、オタクってなんだ?とふと疑問が湧く。当然、真っ先に思いついたのは岡田斗司夫だ。オタキングを自称する彼の書籍を読んでみよう。そう思った。
 そこで手に取ったのが「オタク学入門」だ。これはこれで面白かった。オタクの概念ってふんわりしているけれど、語源の時代を生きた人の価値観は新鮮だった。また、個人的に大きかったのは、コマ送りとかそういった画面分析の手法を解説している箇所が面白かった。こんなことができるのか!と衝撃だった。このコマ送りをしながら、「蒼き流星SPTレイズナー」を観ると、あの素早いアクションの秘密に少し迫れるんじゃなかろうかとワクワクした。「2001年宇宙の旅」の特撮なんかについての解説もあり、玄人にとっては当たり前を柔らかく知ることができた。それは、素人の衝撃である。また、巻末の富野由悠季との対談も興味深い。富野由悠季の作品を作る際の価値観的なモノが語られていた記憶がある。富野ファンは必読だ。つまり、オタクのオタク観と作品の技術論の具体的な実施法と成果が記載されていたのが大きかった。
 最後の一冊は藤津亮太の「アニメと戦争」である。この本は、所謂アニメ評論だ。これがまあ面白い。自分はなんにせい、高橋良輔や富野由悠季、神田武幸といった面々の作品が大好きだ。他にも「ダンクーガ」とか「オーガス」とか「メガゾーン」とかね。そういった作品をひとつの流れとして編み上げるとどうなるか?といったものだ。勿論、ロボットアニメだけでなく、「火垂るの墓」なども含まれている。アニメの評論とはなんて面白いんだと思った。今まで見えなかった流れが見えた。その流れを探すのは楽しいんでないのか。そう感じた。
 その流れから、偶々の出会いを果たす。「WEBアニメスタイル」及び「アニメスタイル」だ。当時、ぴえろ魔法少女シリーズの虜だった自分は「魔法のスターマジカルエミ」を観ていた。そんな中、「マジカルエミ」について書かれた記事、ということで「アニメ様365日」に辿り着き、小黒祐一郎に辿り着いた。これが抜群に面白かった。画面の考察が自分にとってユニークだった。こんな見方がアニメにはあるのか!と衝撃だった。「マジカルエミ」の演出もそうだ。アニメスタイルの記事でガラリと見方が変わった。他にもある。「きまぐれオレンジ⭐︎ロード」だ。アニメと原作は違うんだよと意識するきっかけになった。原作の要素を拾い上げ、アニメとしてどのように再構成しているかを考察していた。これは意外と意識しないと分からない。原作再現度が高いと尚更だ。アニメスタイルを読むと、自分と全く違う視点を得られる。そうすると、他の作品を観るとき、豊かな視点を身につけることができる。そうして、アニメの豊穣な世界に接近してゆけるのではないか。読むたびにそう思っている。特に「中二病でも恋がしたい!」の石原立也監督へのインタビューなんか抜群の面白さだ。あんなインタビュー記事、他じゃ読めない。彼の演出論に斬り込んでいるため、京アニが好きな人はマストチェックだ。新海誠のインタビューも面白かった。彼の作品の特殊性がなんとなく理解できた。小黒祐一郎のインタビューテクニックと知識量の豊富さがあるからこそ成せる技だ。彼の知識量と審美眼に到達したいな…なんておこがましくも思っている。また、アニメスタイルが編集する資料集も素晴らしい。「22/7 あの日の彼女たち アニメーションノート」は衝撃だった。必要な資料がほとんど掲載されている。絵コンテを読みながら、他の資料も読み、画面を分析できる。これがすごく面白くて、演出に興味を持った。読みがいがあるなんてモンじゃない。ああこの人には到底追いつけやしねぇわ…と思った。小黒祐一郎は、脚本家もやっているというから驚きだ。しかも「はなまる幼稚園」を観れば分かるが、しっかり面白い。アニメ様というあだ名そのものが、彼を体現している。
 もう一つは、アニメ特撮研究家の氷川竜介の同人誌だ。「ロトさんの本」と言われているシリーズである。これは、武士でいう「葉隠」みたいなモノだった。アニメ評論やそれに近しい文章の書き方、それに伴う心構えを語った「アニメを語る技術」や「アニメ文章術」、「アニメ評論術 完結編」といったシリーズに影響を受けた。このnoteをはじめた直接のきっかけも氷川竜介の同人誌のおかげだ。「自分で動かなきゃ何も変わらない」「画面を解体することで分析する」「俺はこう観た」など色々な視点があった。それを読んで、俺もやってみようと。藤原忍みたく「やってやるぜ!」と決めたのだ。その答えがこのnoteだ。「俺は俺なりのやり方で、恋人にアタックしていこう!」と決断した。そのための具体論が、彼の同人誌から得たモノということだ。自分だけの価値を探す宝探し。そんなフレーズがあり、ワクワクした。ああそうか、俺の浪漫はここにあるんだ、夢に見た場所を目指して…といったものだ。百人百葉なモノがある。ならば、俺も俺の全てをぶちまけてやる。背中を押してくれた存在だ。自信を持てよと。お前の価値を見つけて見せろと。そのための方法論はいくつかは出しておくからと。まさに、井の中の蛙が大海に出た、そんな気分である。
 僕は自分の人生を豊かにしたい。いつもそう思って、精進したいと願っている。なかなかうまくいかない甘えがあるが、それでもだ。豊かにしてみたい。それが、僕の考えるオタク道とか生き方なんだろう。池波正太郎がその体現者であるように…


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