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ドン・ノーマン: 21世紀のデザイン、論争、AI、難問、そして遺産

26,605 文字

ようこそ、みなさん。わたしはフェリックスいうて、今日の司会を務めさせてもらいます。adpisの共同創業者兼CEOやねん。世界中からご参加いただいてる皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今日はほんまに特別なゲストをお迎えしとるんです。デザインとテクノロジーの世界の真のパイオニアやねん。ドン・ノーマンさんや。ドンさんは、ユーザー中心設計っちゅう概念の生みの親で、その考え方は製品の作り方や体験の仕方を完全に革新してしもたんです。
ドンさんの代表作「誰のためのデザイン?」は、デザイナーやエンジニアにとってバイブルみたいな存在で、直感的でありながらアクセシブルなデザインの重要性を説いとるんです。
アップルの元幹部としても、世界で最も有名なテック製品のユーザー体験を形作るのに重要な役割を果たしはりました。ニールセン・ノーマン・グループの共同創設者としても、デザインのイノベーションの限界を押し広げる活動を続けとられます。
ドンさんの仕事は時に大きな論争を巻き起こしたこともあるんですが、それについても触れていきたいと思います。でも、同時にめっちゃワクワクすることも生み出してきはって、この業界への影響は否定できへんのです。
ドンさんのビジョンは、テック業界やデザイン業界を変えただけやなくて、私たちが日常生活でテクノロジーとどう関わるかも根本的に変えてしもたんです。「誰のためのデザイン?」を読んだことある人なら、ドアの見方まで変わってしもたはずやねんて。
せやから、みなさん、ドン・ノーマンさんをお迎えしましょう。ドンさん、ようこそadpisのグループセッションへ!
ドン: ありがとう。ええ紹介をしてくれはって。
フェリックス: ドンさん、今日はほんまにお越しいただいて光栄です。これはadpisの歴史の中で最大規模のセッションになりました。おめでとうございます。そして、みなさん、今日この記念すべき機会に参加してくれはって、ありがとうございます。1万2000人以上の方が今回のセッションに登録されたんです。
まずはドンさんのことからお聞きしたいと思います。ドンさんは面白いことに、キャリアの中で何度も引退されては復帰されてきました。トム・ブレイディみたいやね。今、何にわくわくしとられるんですか?
ドン: それは簡単や。問題は、わくわくすることが多すぎるってことやねん。だから、集中せなあかんのや。全部はできへんからな。引退すると、実はええことがあるんや。新しいプロジェクトを始められるからや。自分で決められるし、誰かのために働くわけやないから、人の言うこと聞かんでええねん。自分のやりたいことができるんや。
めっちゃ忙しいけど、忙しすぎるくらいや。でも、やっとることは全部ほんまにやりたいことばっかりやねん。
最後の活動について触れてへんかったけど、それが実は最新の本なんや。もっと大事なんは、その本がきっかけで始めたデザイン賞のプログラムやねん。
引退すると、人によってはそれがすばらしいって思うかもしれへん。ゴルフしたり、泳いだり、リゾート行ったりできるって。でも、しばらくすると退屈になって、人生で何をしたらええかわからんようになる。そして、多くの人が亡くなってしまう。生きる理由を持つのは本当に大事なんや。
わしは忙しくしとるのが好きなんや。まだ若いしな。アメリカの基準でいうと88歳、アジアの基準やと89歳か90歳くらいやけど。まだまだ時間はあるし、忙しくしとるのを楽しんどるんや。
フェリックス: ドンさん、みんなドンさんのこと大好きやし、時間を割いてくれはって本当にありがとうございます。88歳でもまだまだ若々しいですね。みんな、ドンさんに追いつこうとしとるとこです。
ドンさんがおっしゃってたように、今は本とか、プログラムとか、賞のことに集中されとるんですね。新しい場所にも行かれとるみたいやし。今の人生のこの段階で、何かテーマとか原則みたいなもんがあって、それに基づいて何に集中するか決めとられるんですか?
ドン: わしの人生哲学は、常に大事なことをしながら、同時に人生を楽しむことやねん。今回引退したとき、5回目の引退で、カリフォルニア大学からは2回目やったんやけど、「次は何をしようか」って考えたんや。
周りを見渡すと、世界にはほんまにいろんな新しい危機があるんやな。戦争、飢餓、洪水、火事、気候変動、政治問題、世界中で移民問題もある。
わしの本は全部、物事をより使いやすく、わかりやすくすることについて書いとるんやけど、それだけやと、これらの大きな問題は変えられへんと思ったんや。
せやから、世界が直面しとる大きな問題に対して、わしに何ができるかを考えたんや。全ての問題を分析して学んだ結果、わしが付け加えられることはあんまりないって気づいたんや。ほんまによくわかっとる人たちがたくさんおるし。
じゃあ、解決策は? でも、また見渡してみると、ええ解決策はすでにあるんや。でも、なんでそれを実行せえへんのか? 国連は気候変動に対処するために28年間も会議を開いとるのに、結果はほとんどゼロやねん。なんでやろ?
それは人間の行動の問題なんや。そこでわしは「あっ」と思ったんや。わしには電気工学の学位が2つあるから、テクノロジーのことはわかる。心理学の博士号もあるから、人間のことも理解しとる。ビジネスの幹部もやったし、今はデザイナーや。
もしかしたら、この背景が、人々が問題に取り組まへん理由を理解するのにちょうどええんちゃうかって。それが今、わしを動かしとる原動力なんや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。気候変動のことや、ドンさんの仕事、そして「より良い世界をデザインする」っていう本についても、もっと深く掘り下げていきたいと思います。
でも、まずは大きな視点からの質問をさせてください。ますます複雑化する政治の世界で、同時にどんどんデジタル化・ネットワーク化が進む中で、デザインの役割がどう進化していくと思われますか? デザイナーやリーダーの役割はどう変わっていくんでしょうか?
ドン: デザインは、全ての職業の中で最も重要なものになり得ると思うんや。なぜかというと、デザインは人間の理解とテクノロジーの理解を組み合わせるからや。人々のためにデザインし、社会のためにデザインする。そして、テクノロジーを理解する。テクノロジーは基本的に人間が作り出したものすべてを指すんやからな。
人工物は全部テクノロジーって呼んどるんや。だから、デザインはあらゆる分野をリードする立場にあるはずなんや。政治から政府、企業の組織、もちろん製品やサービスの開発まで。でも、実際はそうなってへんのや。なんでやろ?
それは、デザイナーが会社や大学の中間レベルにいて、他の人に言われたことをせなあかん立場やからや。なんでデザイナーが会社のCEOになれへんのか、あるいは会社の最高デザイン責任者になって、何をするかを決める立場に立てへんのか。
それは、デザイナーが自分たちの使う手法にあまりにも夢中になりすぎて、その方法論やスキルから離れたがらへんからや。でも、そんなんじゃ世界をリードできへん。ゼネラリストにならなあかんのや。歴史も政治も経済も、いろんなことを理解せなあかん。
だから、デザイナーの教育に欠陥があるんや。特に伝統的なデザイン学校ではな。多くがアートとデザインの一部やけど、違うんや。デザインはアートやないし、アートはデザインやない。
デザインは重要な問題に取り組んで、その根本的な問題が何かを理解しようとすることや。症状だけやなく、根本的な問題に対処せなあかん。症状に対処するだけやと、問題はまた戻ってくるんや。
また、人々にとって正しいことをしとるかを確認して、植民地主義者にならんようにせなあかん。
わしは20年間、人間中心設計を教えてきたけど、それは間違いやったんや。なんで間違いやったかって? 4つの基本原則があって、それ自体は全部大事で正しいと思うんや。わしが教えとる人間中心設計の中で間違っとるものはないんや。
間違っとるのは、カバーしてへんことや。物理的なデバイスを作るとき、材料を採掘して環境を破壊しとる。材料を製造に使えるように精錬するときも環境を破壊しとる。製造過程でも環境を破壊しとる。
世界中の多くの国で低賃金労働者を使って、人々の生活を破壊しとる。そして、めっちゃ素晴らしくて美しい製品を作るんやけど、美しくすればするほど使いにくくなることが多い。
簡単に修理できへんし、2、3年ごとに買い替えるように設計されとる。その結果、大量の電子ゴミが出るんや。小さくて細かい部品にしてるから、分解して再利用するのも難しい。
インドなんかでは、電子ゴミの山が燃やされて、空気を汚染しとる。これは、わしらのやり方が原因なんや。
物理的な製品から離れていくって考えるのは間違いやと思う。常に物理的な製品は必要やし、実際、デジタルなものを開発すればするほど、物理的なものも増えるんや。だって、デジタルなものって物理的な製品の上で動いとるんやからな。
デジタル製品も人々の生活を台無しにしとる。意図的に中毒性を持たせて、大事なことをせずに延々とスクロールしたり、写真や動画、テキストを見続けたりしてしまう。中毒性があるから罪悪感を感じながらもやめられへんのや。
こういうことを全部やめなあかん。なんでデザイナーがそれをできへんのか。
最後にもう一つ。デザイン教育を変えなあかん。デザイナーをもっと幅広く教育せなあかん。描画スキルだけに集中するのはやめよう。
現代の世界では、全てに描画スキルが必要ってわけやないからな。新しい下水システムとか、新しい医療システムとか、新しい教育システムとか、新しいサービスを作るときに、描画スキルって関係あるか? デザイン思考のスキルこそが大事なんや。
まだまだ話せるけど、他の質問に答えていこうか。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。そこにはたくさんの重要な点が含まれてますね。最初にドンさんをお招きしたとき、W・カッシュと私はドンさんについてたくさん読み、ビデオも見ました。今日こそ、ドンさんの考えと、その理由を本当に理解できるプラットフォームやと思います。
ドンさんは、デザインが今世紀で最も重要な仕事の一つになり得るって言われました。問題解決に役立つ可能性があるのに、デザイナーがその役割の重要性に気づいてへんのかもしれへんって。ただ美しいものをデザインするだけで、中途半端なところにとどまっとるんちゃうかって。
去年のconfigでの会話でも、ブライアン・チェスキーが言うてましたやん。43,500社のうち、デザイナーがCEOになっとるのは1%未満やって。なんでそうなんでしょうか? デザイナーやデザインリーダーのスキルセットに何が足りんのでしょうか? ただのデザイナーを超えられへんのは、なんでなんでしょうか?
ドン: それは一部、クラフトスキルを教えとるからやと思うんや。クラフトスキルだけやと、世界がどう動いとるかっていう重要な部分が抜け落ちてしまう。
また、アートをベースに教育されることが多いんやけど、アーティストは管理とかビジネスとか政治が嫌いなんや。でも、世界を変えたいなら、好きか嫌いかは関係ない。ビジネスがどう運営されとるか、ビジネスを続けるために何が必要かを理解せなあかんのや。
利益を出さへんと、世界最高の会社でも消えてしまうんや。だから、経済学や財務、スプレッドシートについて理解せなあかん。会社に違うやり方をすべきやって説得したいなら、「今のやり方は間違っとる」なんて言うてもダメや。
「こういう提案があるんやけど、これは会社の役に立つと思うんです」って言わなあかん。環境を破壊せずに、循環型経済ってやつで全てを再利用するような製造方法に変えたいなら、会社にはお金がかかるんや。
それを実行するのにもお金がかかるし、もしかしたら2、3年ごとに新しい製品を買ってもらわんと商売が成り立たんかもしれへん。だから、ビジネスのあり方自体を変えなあかんのや。
会社が世界のためにも、会社のためにもなることをどうやってできるか、細かいところまで示せるようにならなあかん。でも、今のデザイナーにはそのスキルがない。教えられてへんのや。
でも、多くの国で新しい学校が出てきとるのを見るとうれしいわ。シンガポールに行ったときに、ポリテクニックでほんまに素晴らしい新しい教え方をしとるのを見たんや。
インドでも、少なくとも3つの主要な学校のアドバイザーをしとるし、他にもたくさんの新しい学校が始まっとる。政府の学校やなくて、多くは私立やけど、リベラルアーツって呼ばれるものを教えとる。
幅広い基礎を学ぶんや。だから、デザイナーになったときに、歴史や政治、経済も理解しとる。その上で、違う分野の人たちと協力して働くことも学んどる。今日では、違う分野の人たちは互いに話をせえへんし、嫌いなことも多い。
デザイナーの教育の仕方を変えなあかんのや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。デザイナーがビジネスや政治、そしてデザインを超えた広い範囲のことを理解すべきやって言うてはりますね。そして、最も根本的なレベルで変える必要があるのは、教育から始めるべきやということですね。
ドン: 問題は、世界の仕組みそのもの、経済システムが壊れとるってことなんや。権力を持っとる人は裕福な人たちで、その富や権力を失いたくないんや。だから、今やっとることを変えたくないんや。お金を減らすのが怖いからや。
でも、そんなに金持ちなんやから、ちょっとくらいお金が減っても大丈夫やろ? でも、彼らにとってはお金の問題やない。権力を失うのが怖いんや。でも、権力を変えるリーダーになれば、まだ力強くおれるのに。
もちろん、ええ会社もあるし、ええ人もおる。全部のビジネスがアカンわけやない。でも、全体的に見て、西洋の経済システムは間違っとる。それでも、世界中に広まってしもたんや。
フェリックス: そうですね。きっと多くの人がそう思うと思います。でも、同時に反対する人もおるでしょうね。この話題についてはもっと深く掘り下げたいと思います。ドンさんの本でも大きく取り上げられとるし、今日のトピックの大きな部分になると思うんで。
最近の人工知能の発展について、そして人間性についても少し話したいと思います。ドンさんは、ユーザー中心設計のパイオニアですよね。アップルのフェローとしても、ユーザー体験の分野で計り知れない貢献をされました。
この先10年で、AIや機械学習が台頭する中、ユーザー中心設計の原則がどのように進化していくと思われますか? デザイナーの中には、AIによって自分たちの仕事が変わる、あるいは数年のうちに置き換えられるかもしれないって言う人もいますが、AIの台頭によって、ユーザー中心設計はどう変わっていくんでしょうか?
ドン: まず、「ユーザー中心設計」って言葉から始めよか。確かに、わしがその言葉を使い始めたんや。「ユーザー中心システム設計」って本を書いたんや。研究パネルと研究チームで一緒に書いたんやけどな。
ユーザー中心システム設計は、UCSDっていう略語になるんやけど、これはわしの大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校の略称でもあるんや。でも、人を「ユーザー」って呼びたくなくなって、「人間中心設計」って言い始めたんや。
よく「ユーザー中心設計と人間中心設計の違いは何?」って聞かれるんやけど、違いは単にその一語を変えただけなんや。
でも今日は、「人類中心」って呼びたいんや。なぜかっていうと、わしが開発しとる製品やサービスを使う個々の人だけに焦点を当てるんやなくて、もっと広い視野を持ちたいからや。
それが昔ながらのデザインやったんや。会社をより豊かにして、より多くの機器や製品、サービスを売れるようにするのが目的やった。それはそれでええんやけど、世界を破壊しながらそれをやりたくないんや。
人類全体、生きとる全てのもの、そして生命を支える生態系のことを考えなあかん。それが人類中心設計なんや。
それに、植民地主義者になっちゃあかん。イギリス人がインドに来て、「お前らは自分で統治できへんから、わしらが統治してやる」って言うたみたいなことをしちゃあかんのや。
人間中心設計をする人たちは、基本的にこんな感じで考えるんや。「インドに住んどる人たちがおるな。何か助けになることができへんかな」って。で、なんかええアイデアを思いついて、インド人にあげちゃう。そんなんアカンのや。
誰だって、何が自分にとってええかを他人に言われるのは好きやない。せやから、こうすべきなんや。その土地に住んどる人たちのところに行って、自分たちの問題が何かを知っとる人を見つけるんや。
そこに住んどる人たちは自分たちの問題をよく知っとるし、すでに取り組んどるんや。デザイナーは本当にええファシリテーターになれるんや。手伝えるんや。なぜなら、その人たちは資源がないから、症状にしか対処できへんかもしれへんからや。
根本的な問題に取り組むリソースがないんや。基本的に、根本的な問題はほとんどの場合、政治的なもんなんや。だから、政治的な問題を解決するのを手伝えるし、もっとリソースを集めるのを手伝える。
下水システムやきれいな水のシステムを作るんやったら、衛生や水に関する科学的な知識が必要やろ? そういう専門家を連れてきて、助けてもらえるんや。ただし、何をすべきかを言うんやなくて、手伝ってもらうんや。
その専門家の一人が人工知能になるんや。AIの世界で何が起こっとるかを判断するのは、まだ早すぎると思う。まだ1年くらいしか経ってへんからな。5年後には、今とは全然違うもんになっとると思うで。
ジャーナリストは欠点を見つけて、それについて書くのが大好きや。確かに、多くの欠点があるし、深刻なもんもある。でも今、世界中で何千人もの人がそれらの欠点を最小限に抑えたり、なくしたりしようと頑張っとるんや。
これからどんどん変わっていくし、仕事にどう影響するかって? 仕事は大きく変わるやろうな。でも、技術の歴史を見ると、新しい技術が導入されるたびに、わしらの生活や仕事、物事のやり方は変わってきたんや。
ほとんどの場合、良い方向に変わってきた。必ずしもそうやないこともあるけど、ほとんどの場合はな。今回も同じやと思う。でも、変わる仕事の種類が違うんや。
昔は、技術によってわしらは速くなったり、強くなったり、交通や通信が良くなったりしたんや。でも、高レベルの仕事の性質は変わらんかった。主に低レベルの肉体労働の仕事を置き換えてきたんや。
でも今日は違う。今日は、あらゆる種類の仕事を置き換えとる。でも、仕事を置き換えるべきやないんや。実際にどう使われとるか、何が強みなのかを見てみると、AIはわしらの生活をより良くする素晴らしいツールとして扱うべきなんや。
わしらがよりええデザイナーになれるようにしてくれるんや。なぜなら、デザインの多くは地道な作業やからな。細かいことを気にせなあかんし、いろんな小さなことを心配せなあかん。
AIを使えば、そういう小さなことは任せられる。わしらは「この問題にどうアプローチするか」「どう説明するか」を考えられるんや。
生成AIツールを使うとき、問題をどう説明するかが大事なんや。答えが返ってきたときに「これやない、違う。理解できてへん」って言えるんや。
現代のAIはパターン認識なんや。過去に存在したパターンを認識して、それを新しい方法で組み合わせるだけや。でも、自分が何をしとるかを理解してへん。道徳的な価値観もないし、倫理も理解してへん。人間がどう働くか、何を大事に思うかも理解してへん。
単に過去に起こったことを理解しとるだけなんや。普通は印刷された世界のことやな。今日では「出版された」世界って言うべきかな。ビデオや音声も含むけど。
本当の意味での知能やないんや。AIの「A」は「artificial(人工)」やってことを忘れんといてな。人工的なものはほんまに役に立つけど。わしは「Things That Make Us Smart(賢くなれるモノ)」って本を書いたんやけど、AIはわしらをより賢くするのに使えるんや。
でも、使い方を学ばなあかん。AIと戦うんやなくて、理解しなあかん。勉強して、練習して、毎日使って、遊んでみて。何が得意で、何が苦手かを学ぶんや。
でも、AIが出した結果をそのまま受け入れるんやなくて、ラフなアイデアとして捉えて、優れたデザイナーとしてそれをもっと良くしていく。そういう風に使うべきなんや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。AIについてとても楽観的な見方をされとるんですね。わしら全員にとって、勇気づけられる話やと思います。
ドンさんが言われたように、AIを恐れるんやなくて、パートナーとして積極的に活用していくべきなんですね。この1年ほどでAIが日常生活に浸透してきて、ChatGPTとかいくつかのAIツールで人生が変わったみたいに感じる人もおるかもしれへんな。
デザイナーとして、AIの専門家として、この初期段階のAIで一番驚いたことは何ですか? 何か予想外のことがありました?
ドン: 実はな、わしはAIの専門家なんや。1970年代からAIの学術誌に論文を発表しとるんや。わしの研究室で最初期のニューラルネットワークの一部が開発されたんやで。わしが開発したわけやないけど、同僚のデイビッド・ルメルハートらがな。わしはたくさん論文を一緒に書いたんや。
認知科学のプログラムを始めて、ポスドクの研究員たちにわしらの知っとること、興味があることを教えとったんや。そしたら、そのうちの何人かが「それは間違うとる」って言うてきたんや。
わしは間違うとると言われるのが好きなんや。だって、もし間違うとるんやったら、知りたいし、やり方を変えたいからな。そうやって学ぶんや。デザインの仕事でも同じことが言えるな。成功したデザインよりも、失敗したデザインから学ぶことの方が多いんや。
成功したら「ほら見て、わしはなんて天才や」って思うだけや。でも、天才やなくてラッキーやっただけかもしれへん。失敗したら立ち止まって、なぜ失敗したのか考えなあかんのや。
とにかく、わしらは「パーセプトロン」って呼ばれる、基本的に1層のニューロンのセットについて話しとったんや。これはめっちゃ欠陥があって、あんまりできることがなかったんや。
そしたら、わしのポスドクの一人、ジェフ・ヒントンが「いや、違う。今はもっと現代的な方法があるんや」って言うてきたんや。それで、わしの同僚のデイブ・ルメルハートとすぐに、隠れ層って呼ばれる3層のニューラルネットワークを開発したんや。
今日のニューラルネットワークは基本的にそれと同じなんやけど、層が巨大になっとるんや。隠れ層が1つやなくて、何百層、何千層もあるかもしれへん。めっちゃ大規模なんや。
ジェフ・ヒントンは今や、現代AIとディープラーニングの父、祖父って呼ばれとるんや。GPTのTransformerの部分にも一部関わっとるんやけどな。
最近、Googleで会ったときに「現代AIが動くようになった理論的なブレイクスルーは何やったんや?」って聞いたんや。そしたら「あんまりなかった」って。本当のブレイクスルーは、今日のコンピューターが昔のより100万倍以上パワフルになったことやって。
テクノロジーのパワーが、人類の歴史を通じて他の人が作り出した全ての文章や作品を読んで経験することを可能にしたんや。それがデータベースになっとるわけや。
わしらは皆、現代のディープラーニングニューラルネットワーク、大規模言語モデルのパワーに驚いたんや。だって、それまで大規模言語モデルなんてなかったからな。コンピューターにそんな能力がなかったし、誰もこのシステムを作るのに10億ドルも使えへんかったんや。
世界最高のAI専門家たちも含めて、みんなが驚いたんや。でも、最初はめっちゃ素晴らしく見えるけど、詳しく調べていくと、時々でっち上げをすることがあるって気づいたんや。
人間のことや人生のこと、政治のこと、その他いろんなことを本当には理解してへんのや。だって、理解力がないんやもん。単に過去のパターンを見つけて、それを組み合わせて質問に答えようとしとるだけなんや。
素晴らしいか? そうや。パワフルか? そうや。役に立つか? そうや。
例を2つ挙げるわ。1つ目は、機械との対話の仕方が変わるってことや。メニューを見たりコマンドを入力したりするんやなくて、会話型のインターアクションになるんや。
「もっとゆっくり運転して」とか「観光ルートを取って。景色を見たいんや」とか、そんな感じで話しかけるんや。あるいは「この手紙を書こうと思うとるんやけど、うまくいかへん。もうちょっとくだけた感じで、もっとフレンドリーにしてくれへん? 今のは文句言うとるみたいやわ」みたいな感じでな。
結果を見て「まあまあやけど、ちょっと違うな」って思ったら、自分で修正するか、もう一回やり直してもらうんや。新しい人を雇ったときと同じで、指示の仕方を学ばなあかんのや。
タスクをお願いして、うまくいかへんかったら、なぜそれがこの会社に合わへんのか、なぜこのニーズに合わへんのかを説明せなあかん。AIも同じやねん。
最後にもう1つ。説明書みたいなもんが変わるんや。例えば、わしは新しい車を買ったんやけど、電気自動車で、めっちゃ自動化されとる。400ページもあるマニュアルがついとるんやけど、そんなの誰が読むねん。クレイジーや。
こういうマニュアルはなくすべきや。その代わりに、マニュアルに書いとる内容、つまり各コントロールが何をするかっていう情報を大きなデータベースに入れて、それを大規模言語モデルに入れるんや。
そしたら、マニュアルはなくなる。マニュアルはそれぞれの小さなものが何をするかを教えてくれるけど、それはわしらが知りたいことやない。わしらが知りたいのは、このタスクをどうやってやるかとか、うまくいかへんときにどうしたらええかや。
それがこれからのやり方になるんや。AIになったマニュアルに質問するんや。「これ以上変更できへんみたいやけど、何が起こっとるんや?」って聞いたら、教えてくれる。あるいは「今までやったことのない新しいタスクをしたいんやけど、このシステムでできるって聞いたんやけど、どうやったらええ?」って聞いたら、教えてくれるんや。
これで多くのことが変わるんや。デザイナーであるあんたらが、こういう新しい会話型インターフェースの開発をリードすべきなんや。やろうとしとるタスクに関連する特定の情報に基づいた新しい会話をな。
大規模言語モデルだけに頼るのはやめよう。それらは読んだ全てのものごちゃ混ぜになっとって、あんたらが本当にしたいことには関係ないんや。本当に役立つ重要な情報を与えるんや。
ちなみに、わしらがやったことは公平やないし、たぶん違法やと思う。他の人の絵画やアートワーク、音楽、文章を全部取り込んで、コンピューターに突っ込んだんや。許可も得ずにな。
これはやめなあかん。ちゃんとした方法でやることを学ばなあかんのや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。これを声に出して言える場所ができて良かったです。きっと多くの人がドンさんの考えを学べると思います。めっちゃ興味深いですね。
ドンさんの研究室からAIが進化してきたって話、AIがパターン認識の機械やって話、そしていつかそれ以上のものになるかもしれへんって話、全部めっちゃ面白かったです。
AIの神様とも言えるジェフ・ヒントンさんがドンさんの研究室出身やっていうのも驚きました。すごい伝説的な研究室やったんですね。ドンさんみたいな素晴らしい発明家や人材を生み出してきたんやから。この歴史的な背景を教えていただいて、ありがとうございます。
ドンさんが過去に書かれたもの、特にシンプルさと機能性についての考え方についてもう少し掘り下げたいと思います。これもデザイナーにとってはめっちゃ大きなトピックですからね。
ドンさん、あなたの仕事がデザイン業界に与えた影響は否定できませんが、同時に論争も巻き起こしましたよね。特に、デザインにおけるシンプルさと機能性のバランスについてです。
アップルのデザイン哲学、つまり美しさを優先する考え方について、公に批判されましたよね。「シンプルさが常に答えではない」っていうタイトルの記事も書かれました。
この課題について、デザイナーやリーダーはどう考えるべきでしょうか? シンプルさと機能性のジレンマに直面している企業に、どんなアドバイスをされますか?
ドン: シンプルさと機能性の間に問題はないと思うんや。でも、複雑さは世界にあるもので、シンプルさは頭の中にあるものやってことを覚えといてな。
人々は「シンプルさっていうのは、全てのボタンやコントロールをなくすことや」って言うけど、それは間違いや。実際、ボタンやコントロールを増やすことで、使いやすくなることもあるんや。
ウェイターがオーダーを取るときのことを考えてみ。今はハンドヘルドコンピューターを使うやろ? めっちゃたくさんのカテゴリーがあって、一見複雑に見える。でも、実際には使いやすいんや。
お客さんが欲しいものには、ほとんど全部ボタンがあるからな。何かを入力する方法を考えるんやなくて、ただ正しいボタンを見つけて押せばええだけや。システムを使い続けてると、すぐにボタンの位置を覚えてしまう。
それに、普通はコマンドを書き込める場所もあって、「ホットソースなし」みたいなことも書けるんや。
シンプルさっていうのは理解することなんや。わしの台所を例に出すわ。わしの台所は使うのがめっちゃ簡単なんや。でも、あんたがわしの台所に来て料理しようとしたら、大混乱やで。どこに何があるかわからへんし、めっちゃ複雑に感じるはずや。
なんでわしにとっては簡単で、あんたにとっては複雑なんやろ? それは、わしと妻が、使うときに便利な場所に全部置いとるからや。ナイフを1か所にまとめて置いとるんやなくて、使う場所によって違うナイフを置いとるんや。
この場所ではこのナイフが要る、あの場所ではあのナイフが要るってわかっとるんや。全てのものを、わしらの使い方に合わせて配置しとるんや。
だから、まず皿を洗うときに、どこに戻せばええかがわかりやすい。次に、何かが必要になったときに、どこにあるかがすぐわかる。
新しく来た人には理解できへんけどな。わしが他の人の家に行って「ほら、新しい料理の仕方を教えたるわ」って言って料理しようとしても、できへん。何がどこにあるかわからへんからや。
わしには複雑で、そこに住んどる人にはシンプルなんや。この教訓は、全てのものに当てはまるんや。
昔、たぶん「誰のためのデザイン?」にも書いたと思うけど、現代のバスを見たことがあるんや。めっちゃたくさんのコントロールがあって、運転手に「これらをどうやって覚えるんですか?」って聞いたんや。
そしたら運転手は「問題ないよ。全部あるべき場所にあるからね」って言うたんや。「あるべき場所にある」っていうのは、運転手がやるべきタスクのことを考えたら、ちゃんと理にかなった場所にあるってことなんや。
例えば、前のドアと後ろのドアを開けなあかんやろ? そのコントロールは、運転手がドアの方を向いたときに、ちょうどええ場所にあるんや。ドアのコントロールは、バスの中でのドアの位置に合わせて配置されとる。他の全てのものも、運転手が使う必要がある場所に配置されとるんや。これがええデザインなんや。
問題は、アップルがすごいインダストリアルデザイナーに夢中になってしもて、そのデザイナーが見た目をシンプルにすることを信じすぎたことやねん。見た目をシンプルにするのはええけど、それが使いやすさの邪魔になったんや。
次に、「言葉は醜い」って考えて、言葉をなくしてしもた。そのうち、アイコンにラベルをつけへんようになって、最後にはアイコンすらなくなってしもたんや。
今、アップルのiPadや携帯を使おうと思ったら、ジェスチャーの仕方を知らんとあかんのや。右上から触って、半分くらいまで下に降ろさなあかんかもしれへん。あるいは、下から上に半分くらい上げるか、全部上げるか、半分上げて指を止めて、左か右にスワイプせなあかんかもしれへん。
左右どっちにスワイプするかなんて、誰が覚えられるねん。わしには無理や。しかも、覚える方法もないんや。ラベルもないし、思い出すヒントになるようなものもないからな。
これはクレイジーやで、ほんまに。確かに美しいけど、わしには使えへん。人々は画面の周りのベゼルを薄くしたがったんや。ディスプレイの周りに分厚いベゼルがあるのが嫌やったんや。
でも、これはタッチセンサー式のディスプレイやねんで。電話がかかってきたときに、わしが電話を取ろうとすると、指が画面に触れてしまう。そしたら、何かを触ってしまうんや。何を触ったかなんてわからへん。
そしたら、電話は変な状態になって、電話に出られへんし、電話がどこにいったのかもわからへんようになるんや。なんで電話を取るだけで、何か変なことが起こるんやろ? それは美しいからや。小さくて、大きな画面があるからや。
ジャーナリストはそれが大好きや。たとえ自分たちも同じ間違いをしとるはずやのにな。
だから、人々の使い方をほんまによく考えんとあかんのや。使いやすいものを作るっていうのは、美しくて賞や称賛をもらえるものを作ることとは違うんや。
見た目がええからって、ええデザインに賞をあげるなんてクレージーやで。ちゃんと機能せなあかんのや。人々にとってうまく機能せなあかん。人々が理解できなあかんのや。
そして何より大事なのは、何か問題が起こったときや。問題は必ず起こるんや。何が悪かったのか、どうすればええのかを理解できるようにせなあかん。
ほとんどのデザイナーは、全てがうまくいっとるときに使いやすくすることばっかり考えとる。でも、デザインの難しいところは、何かがうまくいかへんときに使いやすくすることなんや。
フェリックス: その通りですね。シンプルさは頭の中にあって、ボタンの数やクリック数にあるわけやないっていうのは、めっちゃ面白い考え方です。バスの運転手の例えもめっちゃわかりやすかったです。
最近のApple Vision Proの発表を見とって思い出しました。わしはまだ使うたことないんやけど、テレビで見た限りでは、たくさんのジェスチャーを覚えきれへんなって思いました。ドンさんが言うてはる例の一つかもしれませんね。
ドン: そうやな、こういう種類のバーチャルリアリティの問題は、新しい世界に入り込んで、全てがコンピューターで作られとるから、従来の物理的なコントロールがうまく機能せえへんことなんや。
キーボードは使いにくいし、そもそもキーボードがない。あるいは、あってもよく見えへん。アップルはその解決策として、バーチャルな世界と現実の世界の両方を見られるようにしとるんやけどな。
ジェスチャーを使う理由の一つは、わしらがいろんなことをしとるからや。でも、バーチャルリアリティやオーグメンテッドリアリティの新しい研究を見とると、AIについて言うたのと同じことが言えるんや。
バーチャルリアリティは20年か30年以上前からあるし、オーグメンテッドリアリティは比較的新しいけど、まだ学んどる最中なんや。まだ変なジェスチャーを使うとるってことは、アップルが開発したジェスチャーの中には本当にええのもあるけど、みんなには合わへんかもしれへん。
でも、わしらは学んどるんや。時間が経つにつれて、みんなが使えるように変わっていくと思う。AIが5年後には今とは全然違うものになるって言うたのと同じように、アップルやフェイスブックのメタの製品も変わっていくやろ。他のブランドや会社も出てくるやろうしな。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。Apple Vision ProとMeta Questについては、二つの異なる考え方があるみたいですね。
ここで一つ強調しておきたいんですけど、ドンさんをただのデザイナーやデザイン思想のリーダーって呼ぶのは、ちょっと公平じゃないと思うんです。未来学者やテクノロジストって感じがしますね。正直、今のデザイナーと話してても、そんな感じはせえへんのですよ。
これはほんまに言っておきたかったんですけど、ドンさんのこの好奇心、新しいテクノロジーへの興味ってどこから来とるんですか? AIやVR、ARの話をしてても、人間中心設計以外のトピックにもめっちゃ詳しいですよね。
ドン: そうやな、わしは電気技術者として回路を設計することから始めたんや。それからコンピューターを設計したくなったんやけど、時期が早すぎたんや。
基本的に、コンピューターはあんまり存在してへんかった。主なコンピューターはレミントン・ランド・ユニバックって呼ばれるもので、めっちゃでかくて高価やった。実際に中に入って作業せなあかんくらいやったんや。
メモリは1000ワードしかなかった。ほんまに初期のコンピューターやったんや。マシン語でプログラミングしとった。初期には高級言語なんてなかったからな。
わしは昔からずっとこの世界におったから、いろんな革命を経験してきたんや。情報処理革命、コンピューター革命、通信革命、新しい材料の現代革命、小さくてパワフルなバッテリー、至る所にある電気モーターとかな。
わしの車を見てみ。きっと100個以上の電気モーターがあるはずや。100個以上のCPUがあるのは間違いないな。めっちゃ複雑なもんや。
たまたまわしは、そのすべての背景知識を持っとるんや。幸いなことに、その背景知識を最新の状態に保てとるんや。だって、人生の中でずっとテクノロジーに関わってきたからな。
でも、産業界の幹部としても働いたから、産業界でやることが学校で学ぶこととどれだけ違うかも理解できたんや。学校で教えとる人のほとんど、教授のほとんどは、人生で一度も会社で働いたことがない。
だから、世界で何が大事かを教えるときに、実際のところを知らへんのや。ビジネスの教授のほとんども、ビジネスで働いたことがないから、実際どう動いとるかを知らへんのや。
産業界に入ると、人々が... わしが産業界に入ったとき、「わしは専門家や。『誰のためのデザイン?』って本を書き終えたとこや」って言うたんや。
当時は『日常的なものの心理学』って呼ばれとったけど、同じ本やねん。「わしは何が起こっとるかほんまによくわかっとる」って思っとった。アップルとか、最初の「見たままが得られる」メニュー駆動型コンピューターを開発したゼロックス・パロアルト研究所とかにコンサルティングしとったからな。
わしはそれを使っとったから、もう準備できとると思っとったんや。でも違うた。わしがやった素晴らしい理論や研究は、まあ素晴らしかったけど、役に立たへんかったんや。
人々が質問してきたとき、わしは「ええ質問やな。そんなこと、研究しようと思ったこともなかったわ。だから答えられへん」って言うてたんや。
物事を実際にやることと、根本的な原理を理解することの間には大きな違いがあるんや。両方とも必要やけどな。
わしの人生で一番価値があったのは、産業界と学界を行ったり来たりすることやった。大学で働いて、基本的なことを研究して、理解と知識を深めようとする。でも、会社に行って、実際に使える製品を作るために何が必要かを発見する。
この二つは補完し合うんや。行ったり来たりすることで、めっちゃパワフルになる。お互いに情報を与え合うんや。
もう一つ言うとくけど、わしらの教育システムは専門化しすぎとるんや。専門を学ぶんやけど、その専門が細分化されすぎとる。例えば、コンピューターサイエンス学科におったとしても、その学科の他の人が何をしとるかさえ理解でけへんくらいや。
理論家とソフトウェア開発者は、ほとんど重なりのない全く別の世界におるんや。これは全ての分野で同じことが言える。専門化しすぎて、学科内の人でさえ他の人が何をしとるかわからへんのや。
これはクレイジーや。だって、何かを作るときには専門家にはなれへんのや。ゼネラリストにならなあかん。これらの異なる分野を横断せなあかんのや。
でも、そんなことは教えてへん。デザインではたまに教えることもあるな。「工業デザイナーとグラフィックデザイナー、インタラクションデザイナーが一緒にプロジェクトで働かなあかん」って。それはええし、大事なことや。
でも、マーケティングの人や経済学の人、財務の人、営業の人も連れてこなあかんのや。その分野の人たちとも一緒に働くことを学ばなあかんからな。自分の専門分野の人だけやなくてな。
そうやな、でももう一つ言わせてもらうわ。人のことを学びたいんやったら、心理学者や社会学者、人類学者から学んだらあかん。そこからは、人間の特定の小さな部分しか学べへんのや。
人のことを学びたいなら、小説家を見つけるんや。小説を書いとる人や。小説家は人間のことをほんまによく理解してなあかんのや。だって、物語を書いて、読者に「ああ、こんな人知っとるわ」って思わせなあかんからな。
小説をよく読んでみ。人がどう体を掻くか、道に迷ったときどうするか、そういうことが全部書いてある。小説家こそが人間を理解しとるんや。
わしはSTEM教育に反対なんや。STEMは科学、技術、工学、数学のことやけど、わしはそれら全部で訓練を受けた。でも、人間はどこにおるんや? STEMには人間のことが何も入ってへんのや。
デザイナーとして、人間を理解せずにどうやって物をデザインできるんや? 人文科学を取り入れなあかんのや。
世界の歴史を知ることがめっちゃ大事やって、わしの本でも書いたんや。今日のわしらの行動や、わしらが作るもの、わしらの考え方は歴史に基づいとるんや。
必ずしも正しいやり方やないかもしれへん。単に昔からそうやってきただけかもしれへんのや。「いつもこうやってきた」って聞いたことあるやろ? それは変化を起こすええチャンスなんや。いつもやってきたやり方を変えるチャンスやねん。
物理科学では、何かを測るとき「測れへんものは理解でけへん」って言葉があるんや。これは物理学者のケルヴィン卿が言うたんやけど、それは違うんや。
ケルヴィン卿が本当に言うたのは「物理科学では、何かを測れへんってことは、それを理解してへんってことや」やねん。でも、社会科学ではそういうものは測れへんのや。
物理科学では、何かを10回落としたら、10回とも同じように落ちる。ニュートンの運動法則が毎回同じように適用されるんや。でも、人を10回落としたらどうなる? そんなことできへんやろ。人は許してくれへんで。
フェリックス: それはめっちゃ面白い点ですね。ドンさんの本にも書いてあったと思うんですけど、人間の行動が一番難しい問題を解決するって。テクノロジーでも経済でもなくて、人間の行動が一番難しいって。
もうちょっと詳しく教えてもらえますか? 人間の行動がなんでそんなに複雑で、他の問題よりも難しいんですか?
ドン: それは、みんながそれぞれ違う人間やからや。自分の目を通して世界を見とる。自分の歴史や経験に基づいて見とるんや。そして、他の人とは違う価値観を持っとることが多いんや。
人々が集まると、よく議論になって意見が合わへんことがある。コミュニティのために何かしようとして、「あんたらが必要としとることをするわ」って言うても、彼らは自分たちが何を必要としとるかで意見が合わへんのや。
だから、一緒に仕事をするのがめっちゃ難しいんや。でも、多くの場合、人々が言うとることは、自分の視点から見たら正しいんや。
だから、それぞれの人の視点を理解せなあかんのや。みんなが自分の視点からは正しいってことを理解できたら、それぞれの意見を受け入れる方法を見つけられるかもしれへん。
あるいは、みんなが納得できるような妥協点を見つける方法があるかもしれへん。みんなが望んでたことを完全に手に入れられへんかもしれへんけど、十分近いところまでいけるかもしれへんのや。
その上、わしらには違う文化もあるからな。東洋の文化は西洋の文化と違う。よく「アジアの文化はヨーロッパの文化と違う」って言うけど、それは考え方としてあんまりええとは言えへん。
まず、アジアにはたくさんの国があって、それぞれが違うんや。ヨーロッパにもたくさんの国があって、国の中にもたくさんの文化がある。
インドや中国みたいな大きな国の中には、たくさんの違う文化があるんや。シンガポールみたいな国を見てみ。シンガポールは違う国から来た人たちを一つにまとめとるけど、シンガポールは世界で最もうまく統治されとる国の一つなんや。
それは、小さな島で一つの都市やからな。そのおかげで物事がずっと簡単になるんや。でも世界では、違いを理解して、それと一緒に働いて、それを受け入れることを学ばなあかんのや。
フェリックス: ありがとうございます。結局のところ、デザインを超えて、人間の本質を理解することが大切なんですね。人間の真実とか、そうでないものとか。
ドン: いや、それはデザインを超えとるわけやないんや。優れたデザイナーはそれを考慮に入れて、理解せなあかんのや。だからこそ、デザインを超えとるわけやないんや。
デザインが最も重要なトピックの一つやって言う理由の一つは、わしらは考えるだけやなくて、実際に行動する人間やからや。わしらは変化を起こして、人々の生活に違いをもたらすんや。
それはつまり、伝統的にデザインって呼ばれとるもの以外のことも理解せなあかんってことなんや。まあ、ほとんど全てのことについて何かを理解せなあかんかもしれへんな。
フェリックス: つまり、デザインはこれらのことを全て含んでいて、歴史的にはそういう風に考えられてこなかったけど、これからはそういう風に考えるべきだってことですね。デザインは人間の本質を理解することを含むべきだって。
ドン: デザイナーが違いを生み出せへん問題なんて、わしは見つけたことがないんや。わしらは「いつもこうやってきた」なんて言わへん。「本当の問題は何なんや? 解決しようとしとる本当の問題は何なんや?」って聞くんや。
「欲しいものを言うんやなくて、本当に解決したい問題は何なのか教えてくれ」って言うんや。そして、それを解決する方法がないかを考えるんや。
多くの場合、人々が過去にやってきたこととは全然違うやり方になるんや。なぜなら、わしらは一歩下がって、この全体的な問題を見るからや。
人々に何が欲しいか聞くと、普通は今のやり方や今のツール、デバイスで困っとることを教えてくれるんや。でも、それが解決策やないんや。
その解決策は、それをより良くすることやないんや。解決策は、一歩下がって「そもそもなんでそれをせなあかんのか? 本当の目的を達成するのに、他のやり方はないのか?」って考えることなんや。
それがデザイナーのすることなんや。問題を新しい視点で見るんや。問題解決のやり方は、ビジネスやエンジニアリングなど、多くの分野で教えとる。彼らは問題解決がめっちゃ上手なんや。
でも、「これは正しい問題なんか?」って立ち止まって考えへん。優れたデザイナーは常に「これは正しい問題なんか?」って聞くんや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。ドンさんの仕事、特に「より良い世界をデザインする」って本についてもう少し聞きたいんです。
この本の多くは、持続可能性や、もっと意味のあるものをデザインすること、そしてもっと意味のある人生をデザインすることに焦点を当ててますよね。
ドンさんは世界の多くのことが間違ってる、政治的にも環境的にもって話をされました。でも同時に、ドンさんがこれまでに共有してきた仕事の中には、それと矛盾するものもあると思うんです。
この新しい考え方、持続可能性についての新しい考え方の枠組みに踏み込んで、この本を書くことになったきっかけは何だったんですか? 環境の視点からも、人生の視点からも、とても刺激的な内容だと思うんです。
ドン: わしはいつも学んどるんや。わしの人生の原則の一つは、常に学び続けることなんや。毎年新しいことを学ぼうとしとる。
そうやな、10年前や20年前に言うたことが間違っとることもよくあるんや。何かが間違っとると気づいたら、やっとることを変えるし、言うとることも変えるし、もっと難しいけど、信じとることも変える。
根本的な信念を変えるのはもっと時間がかかるけどな。でも、わしは変わってきたんや。めっちゃ大きく変わったで。
最初は電気技術者で、人間が邪魔になると思っとった頃からな。「わしのデバイスは、人が間違って使わんかったらもっとうまく動くのに」って思っとったんや。
でも、今はそんなこと言わへんやろ? そうや、わしはいつも新しいアイデアに対してオープンなんや。好奇心旺盛やし、新しいことを学ぼうとしとる。
間違っとるって言われるのが好きなんや。特に、知的に言われたときとか、本当に間違っとるときはな。そうやって学ぶんや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。わしらも今日、ドンさんから学んでますね。これは大きな本で、全ての点には触れられへんと思います。でも、みんなに読んでもらいたいです。あらゆる面で刺激的な内容やと思います。
ドンさん、この本を書いてて、一番大きな気づきや驚きは何でしたか? 研究したり人と話したりして、「より良い世界をデザインする」っていうトピックで一番驚いたことは何ですか?
ドン: 一番驚いたのは、わし自身が世界の歴史についてあんまり知らんかったってことやな。世界の歴史について学べば学ぶほど、世界がいかに人工的で、変えられるものかってことに気づいたんや。
最初はこう言うたんや。「窓の外を見てみ」って。今わしが座っとる場所がまさにそうなんや。あんたには窓は見えへんけど、わしには見える。南を向いとるんやけど、ヤシの木や鳥、動物が見える。
後ろには山が見えるし、ミッションベイっていう有名な水路も見える。そこではみんなマリンスポーツを楽しんどる。これ全部人工的なんや。
動物は本物やけど、わしは急な山の... まあ、急な丘の上におるんや。ここに家を建てるために、平らにせなあかんかったんや。ヤシの木は全部人が植えたもんや。
人工的に植えたおかげで、動物たちの素晴らしい住処になったんや。ウサギやタカ、コヨーテ、ハチドリ、いろんな動物がおるんや。
レクリエーションエリアは昔は沼地やったんや。それをレクリエーションエリアに変えたんや。山はメキシコにあるし、本物やけど、国っていう概念は人工的なんや。人間が作ったもんや。
メキシコとアメリカの間の境界線も人工的なもんや。今日では政治的にめっちゃ難しい場所になっとるけどな。アメリカは昔、力ずくでメキシコから奪ったんや。
ある本を読むように言われたんや。「綿の帝国」っていう本やった。わしは「なんで綿のことなんか読まなあかんねん。綿なんか興味ないわ」って思うたんや。
でも、それを勧めてきた人をわしは信頼しとったから、結局読んだんや。それは全部、イギリスがどうやって綿の貿易を支配したかって話やった。
インドやインドネシアで綿を栽培して、インドに持って行って... 産業革命が始まったばっかりやったからな。綿を持って行って、布に加工して、それを売るんや。
でも、すぐにイギリスは1700年代の世界の商業を支配するようになったんや。主な理由は、世界最強の海軍を持っとったからや。正しいからやなくて、単に力があったからや。
やがて、イギリスに近いところに移したくなったんや。そうすれば楽やからな。それで、当時のアメリカに移ったんや。でも、アメリカでは綿を摘みたがる人がおらんかったんや。
せやから、彼らが作っとった繊維、布をアフリカに持って行って、アフリカの国々と奴隷と交換したんや。アフリカの国々は常に戦争しとって、捕虜になった人たちが奴隷になったんや。
その奴隷をアメリカに連れてきたんや。それがアメリカに奴隷が入ってきた経緯なんや。全部経済のためやったんや。経済が全てを支配して、世界中を変えてしもたんや。
みんなの日常生活や、商業の影響を理解するために、こういうことを学ばなあかんかったんや。わしは綿のことを理解せなあかんとは思ってへんかったけど、世界で何が起こったかを理解するには必要やったんや。
今日、わしらは世界の貧しい国々を搾取しとる。汚い仕事をさせて、ほとんど給料を払わへん。アメリカやヨーロッパの人々には高い給料を払わなあかんからや。それは世界にとってええことやないんや。
わしの一番の驚きは、今日の問題を理解するのに、歴史がこんなに大事やってことやったんや。本の中でもいろんな参考文献を挙げとるし、わしが大事やと思うことをまとめとるから、それが始めるのにええ方法かもしれへんな。
わしだけやないで、他にもこういうことをしとる人はおるんや。
本を書くだけやなくて、他に何ができるかも考えたんや。「わしはどんなデザイナーなんや」って聞かれたら、やっとわかったわ。わしは教育者なんや。わしが一番得意なのは、人々を教育することなんや。
じゃあ、わしは何をデザインしとるんや? デザイナーをデザインしとるんや。でも、デザイン自体からは答えは得られへんって気づいたんや。デザイナーはデザインを作って、他の人に実行してもらうことが多いからな。
大事なのは、あんたがデザインしたものやなくて、人々がそれをどう使うかなんや。だから、世界に違いを生み出す実践者を評価したいと思うたんや。
誰かを評価したいと思うたら... 世界中に、有名な人が重要な仕事をしたときに賞を与えるのがあふれとるやろ? でも、すでに有名で、いろんなことをしとる人が賞をもらっても、何も変わらへんのや。
もちろん、うれしいやろうけど、これからすることは変わらへん。だから、わしは経歴に関係なく、年齢に関係なく、社会に利益をもたらす仕事をしとる人に賞を与えたいと思うたんや。
でも、証拠がなあかんのや。まず、キャリアの初期の人でなあかん。人生で初めて、2回目、せいぜい3回目くらいにそういう仕事をしとる人や。60歳やったとしても、その分野に入ったばっかりやったら、まだキャリアの初期やねん。
そして、自分のしとることに対して何らかの証拠がなあかん。どんな問題に取り組んどるかって? 国連が持続可能な開発目標っていうのを17個挙げとるんやけど、最初の16個が世界が直面しとる主な問題について語っとるんや。
その16個のどれかに取り組んでくれ。だって、16個それぞれがめっちゃでかい問題やからな。飢餓とか、十分な教育とか、十分な医療とか、きれいな水とか、仕事とかな。全部でかい問題や。
そういう問題に取り組んでくれたら、わしは評価したいんや。だから、ドン・ノーマン・デザイン賞っていうのを作ったんや。
まず、違いを生み出しとる、キャリアの初期の人に賞を与えるんや。一番必要としとるときに、「あんたはまだ始まったばっかりやけど、わしらはあんたにめっちゃ可能性があると思うとる」って言うてあげられるんや。
これで、仕事を終わらせるためのお金をもっと得られるかもしれへん。
次に、こういう人材を育成しとる教育機関も評価したいんや。最初のは競争やけど、2つ目はちゃうんや。こういうことをしとる教育機関は、全て平等に評価されるべきなんや。
今、申し込みを受け付け始めたところなんや。DND(ドン・ノーマン・デザイン賞の略)のウェブサイトに行ってもらえれば、応募できるで。
予想もしてへんかったような人から、めっちゃすごいアイデアが出てきとるんや。世界中から応募が来とるで。
フェリックス: すごい賞ですね。うちのチームも応募させてもらいます。
ドンさん、そろそろ時間が迫ってきたんですけど、あと2つくらい大事な質問があるんです。よろしいですか?
ドンさんは社会の幸福と地球の持続可能性について多くを語ってこられました。デザイナーはどうすれば、目の前の経済的なニーズに応えつつ、長期的な持続可能性や社会の幸福にも貢献できるんでしょうか?
ドン: できる限りのことをするしかないんやけど、将来何が起こるかを予測するのは難しいんや。あんたがやったことが、どんな風に使われるかを予測するのも難しい。
自動車が最初に発明されたとき、3つの違う動力源があったんや。電気と蒸気とガソリンエンジンや。みんな、電気か蒸気になると思っとったんや。
でも、そうはならんかった。その一因は、石油会社がビジネスを欲しがったからや。
それに、自動車は世界をきれいにすると思われとったんや。当時の世界の道路は、基本的に馬糞だらけやったからな。全ての交通手段が馬やったし、馬はトイレのしつけができへんからな。本当に不衛生やったんや。
道を横切るのも大変やった。自動車はそういうのをなくすと思われとって、実際そうなったんや。でも、世界中に何十億台もの自動車ができるなんて、誰も想像してへんかったんや。
自動車の排気ガスがいろんな問題を引き起こすなんて。肺の病気とか、もちろん気候変動もな。当時は誰も予見できへんかったんや。
コンピューターが最初に開発されたときも同じや。めっちゃ高価で、ほんの少数の人しか使わへんと思われとった。コンピューターがこんなに小さくなって、一般的になるなんて誰も思ってへんかったんや。
今や、ほとんどの家に何百台ものコンピューターがあるんや。隠れとるけどな。全ての家じゃないけど、多くの家にはな。自動車にはもっとたくさんのコンピューターが入っとる。
今日では安いし、多くのデバイスに欠かせんものになっとるからな。
物事がどう使われるか、うまく使われるかどうかを予測するのはめっちゃ難しいんや。ソーシャルメディアの一部は最初はめっちゃ素晴らしかったんや。でも、世界中に広まって、もっと多くの人が使うようになると、嘘やゴシップ、有害で危険な情報を広めるのに使われるようになった。
誰もそんなこと予想してへんかったんや。将来何が起こるか知るのはめっちゃ難しい。できる限りのことをして、何が起こるか予測しようとするけど、みんなが素晴らしいと思って、良いことに使うつもりで作ったものが、結局悪いものになってしまうこともあるんや。
それを避けるのは不可能なんや。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。できる限りのことをして、トレードオフを考慮して、あとは宇宙に任せるしかないって感じですね。
ドン: そうや。でも、だからこそ倫理も理解せなあかんのや。道徳も理解せなあかん。これも複雑なもんで、実際、文化によって倫理観や道徳観が違うんやけどな。
でも、人間にとって公平なことは何かを本当に理解するために、できる限りのことをせなあかんのや。
フェリックス: それは面白いですね。「公平」って言葉を使われましたけど、ある人にとって公平なことが、別の文脈では別の人にとって公平やないかもしれませんよね。それをどう考えればいいんでしょうか?
ドン: そういうことを心配しとる人はたくさんおるんや。哲学者もそうやし、社会科学者もそうや。医療の世界でも同じやな。
ヘルスケアの人たちは、倫理や道徳についてめっちゃ訓練を受けとる。これも場所によって、国によって、文化によって違うんやけどな。
人間の行動について話すとき、簡単な答えなんてないんや。だって、わしらは本当に複雑な構造を持った、複雑な考えや思想を持った存在やからな。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。最後の質問です。オンラインでもたくさんの人が聞いてきた質問なんですけど、意味のある質問やと思うんです。
わしらは21世紀に生きとって、いろんなことが変わってます。21世紀に必要不可欠で、根本的で、変わらない、デザイナーにとっての重要なスキルって何だと思いますか? 世界に意味のある違いを生み出すために。
デザイナーだけやなくて、人間全般にとってもそうかもしれませんが。
ドン: 全てが変わっとるんや。まず、人々の生活の仕方に大きな革命がいくつかあったんや。
文字の発明は全てを変えた。これは世界で最もパワフルな革命の一つやった。それから、算術の発明や、違う移動手段の発明、最初の蒸気機関の発明もな。
これらは、それまでできへんかったことを可能にした。大量生産を可能にしたんや。
そして今日、わしらは新しい革命を迎えとる。新しい種類の材料が出てきとる。時には強くて、時には軽くて、時には安くて、時にはその全部を兼ね備えた材料やな。
新しい製造方法も出てきとる。付加製造っていうんやけど、一般的には3Dプリンティングとして知られとる。でも、必ずしも3Dやないバージョンもたくさんあるんや。
新しい材料を加えて欲しいものを作るんや。これは、従来の製造方法ではできへんかった、真ん中に穴が開いたものを設計できるってことや。
今まで考えもしなかったような変な形のものを作れるんや。それが今までのどんなものよりも強くて軽いんや。
それに、新しい種類の材料もあるって言うたやろ? その中には生分解性のものもあるんや。寿命が尽きたら、自然に分解されて、本当に良い肥料になったり、他の目的に使えるものになったりするんや。
それから、新しい種類のセンサーや通信デバイス、計算デバイス、新しい移動手段もある。ドローン革命はめっちゃワクワクするやろうな。
基本的に全てが変わっとるんや。そうやな、わしらの生活を支配する、もっともっとパワフルなコンピューターもあるし、もちろん人工知能もな。
だから、学校に行って卒業して「よっしゃ、これで人生に必要なことは全部わかった」なんて言えへんのや。常に新しいことを学び続けなあかんのや。
一番大事なのは、一生涯を通じて新しいことを学び続けることや。これは誰にでも当てはまることや。デザイン職だけの話やないんや。
でも、デザイン職では特に大事なんや。だって、わしらは全てのこの新しいテクノロジーを使って、人々や社会のために新しくてワクワクすることをするからな。
でも、この素晴らしい新しいデバイスを作りながら、世界を破壊してへんかめっちゃ気をつけなあかんのや。
物を作って、製造して、配布する方法を全く新しくせなあかんのや。デジタルなものも含めてな。いわゆる「実体のない」ものも含めて。だって、それらも全て実体のある物理的なものの上で実装されるからな。
だから、常に学び続けてな。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。このセッションで触れられへんかったことで、何か言いたいこととか、最後にアドバイスしたいこととかありますか?
ドン: もちろん、触れられへんかったことはたくさんあるわ。だって、わしは世界全体のことを話そうとしとるんやからな。世界はめっちゃでかいで。でも、ええ仕事ができたと思うわ。あんたはめっちゃ洞察力のある質問をしてくれた。ありがとうな。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。今日のセッションの後、ドンさんの仕事についてもっと知りたい人や、ドンさんの活動を追いかけたい人は、どこで情報を見つけられますか?
ドン: わしのウェブサイト、jnd.orgやな。J&Dは「just noticeably different(かろうじて気づく程度に違う)」っていう心理学用語の略や。それか、わしらの賞のコンペティションのウェブサイトやな。
残念ながら、わしはソーシャルメディアはあんまり使わへんのや。主に使うのはLinkedInくらいやな。プロフェッショナル向けのものやから、わしはそれを楽しんどるんや。他のものの中では、ここが一番やな。そこで見つけられるで。
フェリックス: ありがとうございます、ドンさん。これらのリンクは全て、みんなに共有させていただきます。
ドンさん、今日はこの重要なトピックについて、そして洞察について話し合えて本当に光栄でした。とてもオープンに共有してくださって。ドンさんの洞察は、人類とデザインの未来を理解する上で、本当に計り知れない価値があります。デザインは世界に大きな影響を与えますからね。
今日、わしらと一緒に時間を過ごしてくださって、本当にありがとうございます。そして、毎月このグループセッションに参加してくれるみんなにも感謝します。本当にありがとうございました、ドンさん。
ドン: 2つ言わせてもらうわ。まず、あんたはめっちゃええ司会者やった。ありがとう。
次に、わしの目の隅で、チャットがずっと新しい質問や新しいことで盛り上がっとるのが見えとるんや。わしに質問やコメントをくれた人たち、ごめんな。わしはそれらを読めへんかったんや。質問に答えるのに集中しとったからな。
チャットを同時に追うことはできへんかったんや。
フェリックス: わかりました。いつかドンさんにそれらの質問を届けられたらええですね。
ドンさん、本当にありがとうございました。良い1日を!
ドン: ありがとう。

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