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高度経済成長の呪い

昭和30年代から二十年近く続いた高度経済成長によって、日本は先進国入りを果たした。日本人の所得は一人当たりで10倍以上に増え、生活水準も大幅に向上した。この高度経済成長は現在では、日本人一人一人が努力したから成しえたものとされている。だが、それが異常なまでの努力信仰を生み出しており逆に日本人を疲弊させる結果となっている。

そもそも高度経済成長は、日本人が努力した結果起きたものなのかというと主要因はそこではないという話になる。菅前首相のブレーンの一人でもあったデービッド・アトキンソン氏はこの点について指摘している。
当時、日本は一定の教育を受けた安価な労働力が豊富に存在しており高度経済成長の主要因はここにあるとしている。また、この時期は円が固定相場制であったことも大きく影響している。それに、戦前の経済水準に戻るだけでも高い経済成長率となるのは必然だったと語っている。

この時の日本人は、長時間働けば働くほど給料も増えるのでより仕事に打ち込むだろうことは想像に難しくない。しかし、当時の労働者層はこの時期を振り返ったとき、がむしゃらに働いていた記憶が色濃く残っているため、今の経済成長のためには努力あるのみという考えに至るのだろうと思われる。

そして、現在の失われた30年から脱却を目指す話で企業の経営者たちが一様に努力という主観的な経験を第一に語るのは残念と言わざるをえない。この努力信仰はもはや呪いの域に達しており、経済成長を目指すうえでは大きな障害になってくる。本来、システムを変えなければ解決しないところを個人の努力で補おうとするのだから。

昔の事をデータではなく個人の記憶や経験に頼ってしまうのは世の中にたくさんあるし、むしろそっちのほうが良い場合もある。しかし、高度経済成長のような国全体の話となってくるとやはりデータをもとに議論を進めるべきで、客観的な情報を重視する姿勢が努力信仰の呪いを解くための最善策だと思う。

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