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15期 じょりーん

お疲れさまです!じょりーんです!

みんなCEはどうでしたか〜〜楽しんでもらえたかな?いよいよ下駄っぱーずの早稲田祭も始まったんだなという実感がひしひしと湧いてきている、、


CEも最後の正規練も終え、あっという間に引退ブログも最終日を迎えたみたいです。私がみんなに何かを発信するのも最後だね、たぶん。

初めに言っておくね、長いです。

そしてFDとしてみんなに残すものを!とかそういうのでは全然なくて、読んで得られるものがあるかはわからないし、ほぼ自分語りというか自分の日記みたいになってるから、本当に暇な時に一読してくれたら嬉しいなって感じです。


①伝播TIME

②マリアス、22下駄っぱーずを振り返る。

③最後に。


の3本立てです。引退前に読む人は、③だけ読んでください!マジで長いし途中つまんないと思うので!!


①伝播TIME


まずは、伝播タイムで話したことを改めてここにまとめます。

私は伝播タイムで時間をもらった時、下駄っぱーずにおいて為される決断についてみんなに話しました。下駄っぱーずにいると、いろんな場面で決断が為されるよね。私は特に三役という役職柄、いろんな局面でいろんな判断をしてきたから、そこで感じてきたこと。


それは、「物事の決断は、必ず誰かが何かのために為したものである」のだと忘れないでいてほしい、ということ。


これは、お互いがより思いやりを持つことにつながる意識だと思います。下駄っぱーずにいる以上いろんな決定事項が流れるわけだけど、その全てにはちゃんと過程があって、考え抜かれているはずなの。決断の結果ではなくて、その過程を理解して認めることが頑張っている人に対する敬意、というかその人に対する思いやりです。当たり前だけど三役とかに限った話ではなくて、担当だったり曲リだったり、先頭に立って進めてくれる人がいなければ団体として成り立たないわけで、その人たちが必要のない苦しさを感じるのは違うと思うのね。その人たちの物理的な大変さは変えられない部分もあるけど、それ以外の面は周りが思いやりを持った行動を取れるかどうかで変わってくると思うから、こうやって書いてます。そして、そういう理解とか敬意を伝えるのは「言葉」です。良くも悪くも、言葉でしか伝えられないわけ。心の中で何を考えていようとも、発するのは、受け取るのは、言葉です。それってどういうことなのか、それぞれ考えてみてもらえたらいいなと思います。


ここでちょっと寄り道。「物事の決断は、必ず誰かが何かのために為したものである」ということを忘れないでいてほしいと書いたけど、私にとっての「何か」とは。

それは紛れもなく、22下駄っぱーずでした。下駄っぱーずという団体に所属する一人ひとりでした。

みんなが私の原動力だったから、22下駄っぱーずをみんなにとって居心地の良い空間にするために、全ての決断は22下駄っぱーずのために為してきたつもりです。22がスタートを切る前から、どんな代にしたいか、それを表すテーマを考えるのはどうか、そのテーマはみんなで決めるべきなのか、三役はどうあるべきか、部署との連携はどう図るべきか、どの演舞に出演するべきか、五大演舞とは何か、リリースする隊列がみんなにどう受け取られるか、担当にどのくらい意見を出すべきか、コロナ対策はどうあるべきか…こうやって挙げていったらキリがないほど、いろんなことを考え続けてきた。でも、何一つ適当に決めたものはなくて。この決断によって22下駄っぱーずがどうなるか、それを一番の軸にして考えてきて、いろんな意見があることは百も承知で、考えられる反応や結果やその人の気持ちや周りの人の気持ち、全てのパターンを考えた上で、毎回一つの決断を為してきました。その決断をしたら誰がプラスに受け取るのか、逆にその決断のせいでマイナスを被る人はどう思うのか、何度も何度も考えた。だから、必ずしも喜ぶ人が多い方を多数決的に選んできたわけでもないってこと。


たくさん会議をしてたくさん話し合って、どんなにその決断に時間をかけても、どれだけの可能性を考えても、決断は最終的には一つしかできなくて、みんなに伝えるのはその結果だけ、理由をいったとしてもその過程全てを毎回伝えることも難しい。だから、その結果を受け取ったみんなは、「もっとこっちの意見も考えて欲しかった」とか「決められちゃった」とか「自分だったらこうするけどな、」というのがあったと思う。

そう感じることを良くないことだと否定するわけじゃない。100人もいる団体でそれだけの意見が出せる環境は、むしろ大切にしてほしい。ただ、意見を言い合うことを大切にしてほしいからこそ、みんなには一つひとつの決断にも、多くの時間や葛藤を経て行われているということを理解していてほしいなと思うの。下駄っぱーずって、誰もが先頭で引っ張っていく立場になる機会があるよね。少なくとも下駄のお仕事をしてくれている人って、根本的には下駄を良くしたいと思っている人なわけで、下駄っぱーず(というか人生、笑)って本当に決断の連続で、そういう中でその人なりの最善を選択しているはずななんだよね。だから、あなたが、他人によって為された決断に対してふと感じたデメリットやら懸念やらはきっと、もう既に考えられているものであることが多いと思う。だから、何気なく発するネガティブな一言が、その人の努力や時間を一瞬で払い去ってしまうこともある。みんな頑張りたいと思っているはずなのに、仲間同士で、知らぬ間にそのモチベを削り合ってしまうのは本当にもったいないし良いことない。だから、決断の過程がしっかり存在しているってことは本当に、忘れないでいてほしい。


その中で、やっぱり違うと思うことだったり譲れないものがあったりして言いたいことがあるなら、それは伝えるべきだと思う。だってその人が思い至らなかった思考や方法が、他の人に指摘されることで初めて明らかになるかもしれないから。大事なのは、しっかり言葉を選ぶこと、その人に対する礼儀を忘れないこと、思いやりを持つこと。それは忘れないでいてください。言葉で言うと軽くなってしまうけど、あたたかい団体であるためには、大事なことだから。このことは全員が心に留めておいてほしいな。


これは、三役という役職をやらせてもらって、一番感じてきたことだったから、みんなに伝えました。大きな決断をすることは、それはそれは、ものすごいプレッシャーです。だって決断する時点ではそれが正解かわからないし、物事が終わってそれが正解かどうかわかることもあれば、決断を終えてもそれが果たして最善だったのかわからないままなお、悩み続けることだってあるから。たくさん考えるからこそ、わからなくなる。でもたくさん考えているからこそ、何気ない一言でそれを否定されたりマイナスな言葉を間接的に聞いたりするのは、やっぱり、どうしてもしんどい。最初に書いたように、先頭に立って進めてくれる人たちが、なるべく必要のない苦しさを感じないように、みんなが思いやりを忘れない団体であってほしいです。


②マリアス、22下駄っぱーずを振り返る。


次は、自分自身の振り返り!


まず、22下駄っぱーずって何個演舞に出たんだろう?その時あったいろんなあれこれ、自分はどういう感情だったっけ?ていう部分を振り返ってみようと思います!統一感はない、思ったことを書く、ただの自分の振り返り日記。特に面白くないです笑笑



○放研イベ【Switch O’n】

→22下駄っぱーずのスタートをきった演舞。今思えばここが息吹納めだったらしい。21が終わって本当に間もないタイミングで迎えた演舞だったから、正直自分自身、一つの渉外演舞という重みを理解しきれてなかったなあと思う。大変だったという記憶よりも、良くも悪くも、一参加者として振る舞っていた気がする。


○富士急演舞【共喜乱舞】

→1月にテスト休みを迎える前に、22の勢いづけのために、一度多くの人が出演できる演舞がほしくて何十箇所に電話をかけてメールをしてようやくお声がけをもらった演舞。このタイミングで部署との連携の大切さを痛感するなど、とてもいろいろなことを学んだ。真冬の富士急での息吹衣装×下駄はもはや寒いなどという次元を超えていたね、あ、伝説の大コケええじゃ@大久保は富士急の練習です。


●新歓パフォ【春疾風〜今、成すとき〜】

→22下駄っぱーずとして初めての五大演舞。テーマや隊列の三役チェックも確立してなかったから、いろいろ模索してた。お披露目の場所も悩んだし、当日は何テイクも撮ってどれにするか悩んだし、大変だったね。(@各位ありがとう)だけどこのお披露目がやっぱり自分にとっても22にとっても原点であって、全ての土台になってるなあと思う。


○チアホリック【Look at ME】

→渉外演舞で初めて湊を踊った!本番の床がそれはそれはスベスベでどうしようかと思った。練習は雨?とかでできなかったりしてイレギュラーだったけど、必死に頑張ってくれた16期2人の担当姿が印象的な演舞だった。


○RiDE2022【点火】

→こんなにガッツリと他団体さんとコラボしたのは初めてで、今でも挨拶するくらい、ブリピンさんと仲良くなれたのが嬉しい。早稲田のパフォサー同士の繋がりを持つことの楽しさを知った演舞でした。RiDEという公演自体も、パフォサー文化を感じられてすごく嬉しかったなあ、あべくんお疲れ。


○Y163【BE A HERO】

→憧れだったワイ!横浜ってやっぱり自分のホームってこともあってテンション上がるし、この時は後ろにビジョンもあってすごく未来のくま前(というか過去のくま前?)が想像できた本番だったなあ。初めて湊の大隊列も、なんだかおのを想像してしまった。ちなみに私はステ下だったんだけど、目の前にいたおじさまと目を合わせながら湊を踊った記憶。


●単独公演【▷PLAY】

→私たちにとって、引退というブランドがつかない単独公演は初めてだったから、最初はどんな公演になるのか、なんで他団体とコラボをするのか、オリジナルを踊るのか、わからない時期もあったのが正直なところ。でも確実に、この時期にこの単独公演があったおかげで下駄として成長できたことは間違いないし、下駄っぱーずという団体と他団体の繋がりを作ることができたのはすごく大きいことだったと今は思います。マリアスも思ったより広まったみたいでびっくり。


○WHK FESTA’22(SUMMER)【tivoにトキめけ下駄できらめけWHK FESTA’22】

→コロナになりました。17期と初めて同じステージに立てるめちゃ魅力的なステージだったのに、あと1日早くコロナになっていれば出れたかもしれないのに、無念です。そしてこの、コロナになったタイミングでおのやOCの隊列チェックなどもしていたそういえば、、


○OC【シェアハピ】

→15期から担当が2人でたということもあり、たくさん練習したこともあり、テスト休み明け一発目の演舞だったから、すごく個人的には節目となる演舞だったなあと思う。この渉外演舞がおの恋に繋がると思っていたから。結果的に、すごく22下駄っぱーずの夏を勢いづけてくれた演舞。


●おの恋おどり【燎を繋げ】

→今年こそなんの障壁もなく迎えられると思っていたけど、やっぱり神様は試練を与えてくるみたい。本気でおのに参加できない、参加しないという選択肢が出て、担当三役で完全に意見が一致したわけでもなくて。参加できたとしてもそれは想像していたものにはならないかもしれなくて、おのに参加する方向でいくという決断をするまでは、みんなも含めてそれぞれがすごく苦しかった期間だと思う。もちろん決断してからも不安は尽きなくて、本番を迎えるその瞬間まで、コロナのこともクオリティのことも、どうしたらみんなが少しでも安心できるか考え続けました。今考えたら22の中でも、一番怒涛の日々だった気がする。にいがたの隊列チェックとかもこの時期だったなあ。本番での思い出もそれはそれは濃くあるよ。


○万色祭2022(BANKARA FESTA)【祭り】

→この時期に、技術的にもさらに成長したい!教わりたい!と思って、散々迷った挙句コラボを第一希望で出した演舞。ガラサデも見ていてめちゃめちゃ出たかったけど、同じくらいコラボに出て良かったなあと思っている。バンカラさんと練習後にアリーナに残って教わって動画とか撮ったなあ。ここでも繋がりできたのが本当に楽しかったし、嬉しかった。


○ハマこい【GREATEST SHOWMEN】

→湊とええじゃを踊ったね。瀬山の(仮)引退公演でもあって、これも大事な節目だったなあと思います。ここでの思い出は、湊でパフォの動画で金子が太陽を出現させたタイミングとマジで同じようなタイミングで陽が出てきたことと、ええじゃで前のもんさんの足が顔面に当たったことです笑笑 レアでした。怪我はないです!(もんさんは悪くないですちな)


●にいがた総おどり【一歩一穂】

→担当さんと一緒に、にいがたという演舞の立ち位置を何度も考えた。引退公演とおの恋という初遠征に挟まれた、立ち位置の難しい演舞で、テーマの内容もなかなか伝えることが難しかった演舞でした。でもこの三人が担当だったからこそ、実現できたテーマであり本番だったなあと思います。担当の色がすごく見えました。そしてにいがた期間に早稲祭の隊列チェックもしてたのを思い出しました、怒涛!!


○前月祭2022【集え、今ここに】

→個人的には、去年乗ることができなくてとてつもなく悔しかったステージがこの前月祭だったから、「自分が代わりになれたんじゃないか」と誰にも思われないような踊りをしなきゃっていうプレッシャーのもとで練習してました。そもそも夏の練習がコロナで潰れたり、準備期間が本当に短かったりして、自分で納得のいかない踊りをする日々が続いたけど、やっぱり純粋に一下駄民として踊りを楽しめた演舞だったなあ。


○大隈LIVE【MATCH!!】

→たくさんの思い出が詰まった大隈講堂で、思い入れのある笑門来福という既存曲を踊る最後の舞台であり、最高の大隈講堂納めだった。内円&ぴとペアっていう隊列希望を出させてもらったんだけど、それは一年生の時のアリーナの笑門でぴとペアをしたから&一年生の時内円希望ばっかり出してたくさん踊ってきたから!自分の原点を、本当に最高の条件で踊り切ることができて、やり残したことはないと思える舞台でした。


○所沢キャンパス祭2022【昴】

→練習の理想形を見た、というか、担当の良さがすごく発揮された演舞だったなあと思うし、このとこ祭が本当に早稲田祭への良い架け橋を繋いでくれました。個人的にはOPの21KHB隊列が(隣に様子のおかしなピカチュウがいたということもあり)楽しかったのと、ええじゃで右に様子のおかしなドラえもんがいたのも爆笑が止まらず、とこ祭らしいステージを満喫できたのが嬉しかった!HINOTORIは本当に私、大好きな曲で毎回出てるのに毎回4列目だったから(これは本当になんでかわかんないけどずっとあゆれでぃレッツダンスで飛んでた)、今回最前をもらえてたくさん踊らせてもらえて、すごく嬉しかったです。


○ホッチポッチ【突き進め!!RAINBOWROAD】

→1日に演舞をハシゴするという決断を数ヶ月前にして、現実的なのかどうかわからなかったけど、結果的にやって良かったと思えた演舞でした。17期の担当デビューを見届けられたのも嬉しいし、同時にラスト渉外演舞ということも重なり、代替わりを感じたなあ。ロドリゲス?を認識できなかったのは心残り。


○第69回稲穂祭

→完全な振り覚えは当日というギリギリスケジュールで、TTも直前まで曖昧だったけど、頼もしい幹部のみんなが助けてくれました。幹部じゃなきゃできなかったねって感じの1日だった笑 頼もしいけど幼稚園児な幹部のみんなと、ラストくまこうでビバ早稲田できたのシンプルにアツかったありがとう。


●早稲田祭2022【憧れを、今こそ。】

→なんだかんだ、一番踊りに向き合った期間だったかも。自分の踊りを研究するだけじゃなくて、どうにか後輩たちに自分の何かを伝えたいと思ってたくさん自主練をしてもらいました。(私のせいでやりきれなかったみんな、本当にごめん。こだわり集、もし欲しかったらいつでも言ってください)自分がいた爪痕を少しでも残せたかなあ。伝えられたかなあ。



五大演舞、渉外演舞をこうやって並べて見るとすごくたくさんのステージを経験してきたし、それぞれの濃い思い出が最近のことのように蘇る。20と21では味わうことが叶わなかった、演舞に追われる日々。忙しかったけど、本当に充実していました。


引退ブログを書くにあたって、2年生の時に書いた折り返しブログを読み返してみたら、その内容が「私がみんなと作っていきたいこれからの22下駄っぱーずについて」だったのね。だから引退を控えた今、今度は「私がみんなと作ってきた22下駄っぱーず」について振り返ろうと思って、そしたらこんなにダラダラと思い出を書いてしまいました。笑


気になる人は22getalogの折り返しブログ(3/28の投稿)を読んでくれたらいいんだけど、せっかく字数制限もないし、どんなこと書いてるか、ここに軽く引用しておくと、


『みんなが心から楽しんで踊っていることがわかる演舞がしたい、1人ひとりが生き生きと踊っているところが見たい、みんなで熱くなる新歓パフォにしたい、単独公演にしたい、おの恋にしたい、にいがたにしたい、早稲田祭にしたい。もちろんその他の演舞も全部。22下駄っぱーずなら、それが手に届くところにある気がする。全員が難しいことを考えずに、ただ純粋に踊りを好きでいる団体。他の人に負けたくないという、貪欲さを持つ団体。自分が誰かに刺激を与え、周りから刺激を与えられながらぶつかりあえる団体。そういう、とにかく情熱に満ちた、行動的で野生的な団体です。「真の下駄民」になって、「真の下駄っぱーず」を経験して、私は引退したい。私が想像する「真の下駄っぱーず」は、本当にみんなが同じ熱量になって初めて経験できるものだと思う。そのために、私自身誰かを変える存在になって、みんなを巻き込んで夢を叶えたい。』


こんなことを書いていました。(あ、ちなみに真の下駄民っていうのは15期のtivoデビュー@水天宮で、中間の前の掛け声で言ってたやつだよ覚えてたよね!!?)


22下駄っぱーずが終わろうとしている今この団体を見て、やっと、ああしっかりと成長したんだなとちゃんと実感することができています。月日が流れるのが一瞬すぎて、目の前のことに追われていて、常に22のスタートと「今」を比べてきたわけじゃないから、やっとそのことに目を向けられた。当時からしたら「期待」の位置にあったものが、いつの間にか「日常」になっていたんだなあと感じます。自分自身が目指していたものが、わざわざ目標にする必要がないくらい、みんなにとっての当たり前になっていたんだなあと。みんなたくさん自主練して、たくさんの演舞に出て、オリジナル曲もたくさん踊って、いつの間にか上手くなって。先輩から吸収して、後輩に学んで、同期に焦って、そうやって刺激し合って、今まではポイントとして扱わなければならなかった部分がスルーされるくらい自然と揃うところがたくさん出てきたよね。最近は特に「その人の踊り」がよく見えるし、通しの時も、みんなすごい声出てるなあって思います。15期とかは思い出してみてほしいんだけど、20.21の頃って(練習場所がとやぱだったこととか、自分自身が一回生だったことは大きいと思うけど)名前呼びするにも掛け声を出すにも、周りのテンションを伺うことが多くなかった?こんなに周りを気にせず、というか周りも同じテンションだ!っていう信頼の上で全力で声出せたことって少なかったんじゃないかな?今となっては当たり前にしてる全力声出しも、「やらなきゃ」から「やりたい」に自然と意識が変わっていったことで気付いたら実現していたことで、それは同時に私の目指していた空間そのものでもあった。特にラスト正規練は、今までのどの練習よりもみんながあの空間を楽しんでいるように見えて、それがすごく嬉しかったし、幸せだった。みんなの踊っている時のキラキラした表情が、プライドをかけた表情が、ずっと脳裏に焼き付いています。本当に尊い空間をありがとう。


③最後に。


「溢れる愛よ、共に舞え」


22をどんな代にしたいか、22のゴールはどこか。叶えることが不可能ではないもの、でも叶えることが難しいもの。22 が終わる最後の最後に、達成したいこと。これを考え抜いた結果、辿り着いたのがこのテーマでした。例年とは違って、三役で決めたものだけど、フォームでみんなの気持ちを汲み取って、設定したつもりでした。でも最初はやっぱりいきなり三人が決めたように見えたと思うし、自分が思う22はこういうのじゃないと感じた人もいたと思います。このスローガンは常に掲げてきたけれど、この言葉が表す意味がふわふわしたまま、曖昧だった期間が長い人もいたんじゃないかと思います。私も正直、みんなが同じ熱量で、踊りに向き合う団体を目指してはいたけど、果たして本当に達成できるのか、そしてその感覚をはっきりと味わったことがなかったから、どういうのがゴールなんだろうって思っていました。ずっと目指すものが明確に見えていたわけではなかった。

でもそんな中で、私はおの恋でテーマが示すものが見えた気がして、それが一つの転換点でした。


おの恋が終わった夜、何だかその時感じたことを忘れたくなくて、日記を書いてたので、まあこんな機会だしそれも書いとこうかな笑


『ハートフル賞 受賞。こんなに諦めかけた状況が、これが正解だったのかわからないと何度も考えたあの選択が間違っていなかったと認められた瞬間だった。ステージ袖のみんなの表情、15期で頑張ろうって交わした言葉、袖からステージを見上げた景色、ステージに登った瞬間、マキちゃんが話した言葉。絶対にやり切るという気持ちはあったけれど、不安は何もなかった。隊列を間違えないようにしようとか、ここは手がどうとか、そんなことは全く頭になくて。ただ純粋に、照明を浴びて、目の前に広がるお客さん、センワリの背中、後ろを向いた時に見えた紫魂の文字、みんなの姿、ペアのあんちゃん、逆ペアのすな、ワルツで目を合わせたあべの表情、そして、思い入れのある湊という楽曲を全身で浴びながら、ただ見えるものだけを感じて踊りきった5分間だった。こんなに没頭できたステージは、初めてだった。いろんなステージを経験してきたけれど、今までで一番、みんなの熱量が一つになったと感じた演舞だった。下駄っぱーずのパフォーマンスは、他にも劣らず、魂のこもったものだったと胸を張って言える。それぞれがお互いのために、自分のために努力したこのステージでは、下駄への大きな愛を、プライドを、みんなと共に共有できたような気がする。溢れる愛よ、共に舞え。このテーマが行き着く先に見える景色が、わかった気がした。』


とまあこんな調子で半分寝ながら書いていた日記を見てもわかるように、すごくテーマを感じた演舞がおの恋でした。


でもね、テーマをそこで達成しきった!とは感じなかった。それはたぶん、みんなが同じものを捉えて、それを想像しながら踊っているわけではなかったと思うから。そもそも私たちの中におのを経験した人はいなかったし、今年はオンライン練習でぶっつけ本番だったから、全体で踊る感覚もそこで初めて得たわけで、大隊列で踊る空間や楽しさを知った上で本番を迎えたわけではなかったから。


だからね、22のテーマが本当に達成できるのは、やっぱり早稲田祭なんだろうなと思ってる。今から迎える早稲田祭は、何回も通したり空気感を練習で味わったりしてきたから。今までのどの演舞よりも、本番が想像できているから。本番ではじめてみんなの熱量が揃うようなステージではなくて、これまで過ごしてきた時間、練習してきた空間、みんなで等しく経験してきたものを捉えながら踊ることができる空間だから。自分の踊りとかプライドとかそういうものは大前提で、もっと仲間のためにとか、これまでの下駄生活とか、後輩への想いとか先輩への想いとか、憧れとか感謝とか、そういう想いが一番集うから。そんな舞台が、この早稲田祭という場にあると思うから。想いが乗ったステージって、本当にキラキラして見えるの。その1人ひとりが持つ想いが強ければ強いほど、全体が輝いて見える。


私はおのでテーマの完成形を捉えることはできたし、感じることはできた。最後のクマ前練習も、みんなの想いがのっていて、テーマが見えた通しだった。


でもまだ、ゴールに行き着いたとは思ってない。

「溢れる愛よ、共に舞え」

このテーマは、最後の最後の、本番という瞬間でやっと達成できるものだと思ってる。早稲田祭でやっと、テーマが表す景色そのものが見える、と。だからこそ、本番の空間を私は大切にしたい。きっと一瞬だろうけど、その一瞬を、私は一生忘れられないものにする。この2日間、そうやって踊りきれたら悔いはないです。


ありがとう、22下駄っぱーず。

最後に、大隈講堂前ステージから降りるそのときまで、よろしくね。


じょりん@下駄っぱーずにいれて幸せだったありがとう。これからも仲良くしてね。


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