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今できること



 そういえばこの1ヶ月は展示らしい展示を見に出かけていない。
 日記をぱらぱらめくって、この1ヶ月どうして過ごしていたのかを思い出す。

 左腕にやけどをした日。今ではずいぶん薄れてきて、少なくとも表面はなめらかだ。
 さいきんでは指のつけ根のささくれが気になって、今朝、ドラッグストアでハンドクリームを買った。もともと他に目当てがあり、ハンドクリームを買うつもりはなかった。ひとまず、夜眠るとき、ないよりはあったほうが気持ちが落ち着くので、小さいチューブで「しっとり」と書かれた、200円くらいのものを買った。


 季節が着実に移ろっている。
 この1ヶ月のあいだに、墓参りをした。あのとき既に立秋を過ぎていたから、心持ちは秋へ傾いていたが、空に広がる雲は高く積んでいたし、日中は家の中にいると暑い空気がこもってクーラーをつけないではいられなかった。

 死ぬ、生きる、20数年生きてきたらしい私の、からだは確かに今ここにあって、空気を吸って吐いている。
 ここにいない人もいる、私が知っている人で、もうここにいない人もいる。
 これから、ここから、いなくなっていって、同時に、ここに、だれかが、やってくる。
 そうやって私もやってきた。今では20数年いるけれど。もとはここに、いなかった。
 すごく普通のことだ。

 展示らしい展示を見に出かけていない、というのは、嘘だった。見に行った。
 1ヶ月を振り返るきっかけにはなったけど。

 好きなアニメの、あるキャラクターを、気付かぬうちに好きになっていた。あ、結構好きなんだな、と、そのアニメの展示から帰る時にじわじわ実感した。
 そのキャラクターはずいぶん気持ちの悪い見た目になってしまうし、言ってしまえば彼の原動力は恐怖で、恐怖のあまり身につけた力だったから、相手に恐怖を与える手段のひとつとして、そういう見た目になったのだろう。
 「こわい」という感情のループから逃れられないところまで来てしまった彼の、その根っこにあった純粋な死への恐怖が、すごく素直だと思った。
 詳細には描かれていない彼の純粋さを、想像させるほどの、声と、絵と、相反するグロテスクさだった。

 ここまでこの流れで書いていて、ふだんのゆるゆるとした話ぶりと比較して、自分でもずいぶん突然なかなかパンチのあるキャラクターの話をしてしまったな、と思っている。

 そういえば最近は、私にしては珍しく動画を観ていて、その動画をやっている人はしゃべりの達者な人でかつ言語感覚が近しいけど圧倒的に先をいっていて、気付いたら声を出して笑ってるし自分の持ってない視点に出くわすと思い切り食らっている。
 でも、その人がある動画で、「外国語をできる人は言葉に幅がある」という感じのことを言って、羨ましがっていて、それだけで私が外国語を地味に地道にやり続ける理由になるなと思った。

 そうして改めて、フランス語と日本語を交互に見比べながら、本を読んでいる。ライフワークってひょっとしてこういう感じなんじゃないか、と、ライフワークがよくわからないながら思う。
 言葉に幅がある、という言葉の意味もよくわからないまま、勝手に意気込み、本をひらいてみて、ひょっとしたらその流れで本をひらくのは、違ったのかもなと感じながらも、その流れで本をひらいたから気付いたことが確かにあった。

 時々英語で話すことがあって、話す内容はある程度固定されていて話題は限られているのだけれどそれでも、英語にしようとすることでかえって日本語のもとの語がもつ意味を考え直すことになったりする。
 なめらかに口をついて出る母語の言い回しや慣用表現、ちょっとした相づちやあいさつは、語そのものの意味よりもその発話ややりとり全体の雰囲気で成り立っている。
 気がついたら英語でその、グルーヴとでも言おうか、感じが巡っているときがあって、むずむずする。

 英語で発話しているときは自分がその本人だしライブだから、ノっている感覚はあれど、そこにどんな言葉が実際に交わされていたかなんて流れていく。

 フランス語が放つ光の色や加減と、日本語のそれとは、やっぱり違う。でも、私の母語は日本語で、いきなりフランス語で文学作品を読もうとしても、文中のグルーヴをつかまえることが、まだできない。
 母語で読んで、情景を立ち上げて、フランス語原文で読んで、その言語がもつ色や光を補って、「ん、この日本語訳だとなんか、シュッとしないな」とか、そういう感じを拾っていく。

 さっき焼いたばかりのバナナケーキを、はやく切りたいなあと思っていて、そちらにもう意識が持っていかれている。はやく切りたいから、後片付けもどんどんやった、洗い物をして、あらかた乾いたから布巾で残りの水気を拭いて、元の場所に片付けて、ケーキを型から外して、ケーキクーラーの上にのせて、冷蔵庫で冷やして、オーブンレンジを拭いて、うろうろしている。

 掃除機をかけて気を紛らわせて、写真を撮って、切った。案の定ちょっとはやすぎるのでぽろぽろ崩れる。こういうところだよ、とどきどきする。上にトッピングで載せたかりかりアーモンドの硬さとケーキの固さが全然違うので、ケーキナイフに当たったアーモンドがぐりぐりと動いてしまう。落っこちたアーモンドはもとのくぼみかあるいはケーキが焼けて膨らんで生まれた亀裂に埋めておく。

 上は焦げなかったけど、中、もう少し火を通してもよかったかも。しっとりと言えばしっとりだけど、もったり、という感じでもある。バナナの水分がけっこうあるのを忘れていた。
 金型で焼いたのも久しぶりだし、最近焼いていたものよりオーブンの温度が高かったので焦げてしまわないか心配で、つまようじを差して生地もついてこなかったからオーブンから出してしまった。側面と底、もっとしっかり焼けているほうが好き。
 味はおいしい。

 というか、自分で作ったやつ、冷静に食べられない。おいしい、けど、もっとこうしたかったな~、となる。
 あー、そうなると、お菓子屋さんに行って、好きなケーキ買いたいなあと思うんだな。
 そうして、またあとから、自分でも作ってみる。

 なんにも、とりとめの、ない文章だけれど、載せてみよう。
 そうしてまた読んでみよう。
 それだけが今できること。

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