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読んでいる本の話を書く


 読んでいる本の話をするのがへただなぁ、あんなに繰り返し読んでいるのになぁ、と何度も思っています。
 一度書いてみることにします。そうしたら少しは話せるようになるかもしれない。

「違うこと」をしないこと 吉本ばなな

 どういう流れで手に取ったのかあいまいですが、手に取った当時は相当「違うこと」をしていました。
 広い目で見れば全体は「違うこと」ではなかったのですが、もうその当時には「違うこと」になってしまっていました。それなのにそのやめ方が全くわからなかった。今もまだまだ生きるのに手探りだけれど、あの時は探ることすらおぼつかず、鈍ってしまった勘も頼りにならず、そんななかで度々かばんにひそませて読んでいた本です。
 吉本ばななさんの小説やエッセイを、それまでにも何冊か読んでいました。登場人物の言葉選びや見ているもの、感じていること。それらはあたたかくも厳しくも、奇妙でもあり、その全てが胸のうちに安らぐ居場所を作ってくれました。彼らのようでありたい、彼らのような人と共に過ごしたい、少なくとも彼らはこの中にいる。特に『ハゴロモ』は、川の風景と、ほどけてゆく記憶と、ひとびとのやさしさがいつだって沁みて呼吸がしやすくなるので、どうしようもない日には御守りのように持ち歩いていました。
 その、小説や他のエッセイで読んでいた底に流れている大事そうなことを、すくいあげてひとつのわかりやすい粒として、よく伝わるようにインタビューやばななさんだけの言葉や読者からの質問に答える形などでまとめてあるのが、この『「違うこと」をしないこと』なのだと思います。
 あまりにインパクトの強いインタビュー内容だったので、最初のうちはなんというか、おそるおそる読んでいた気がします。自分の理解から遠く離れたことに対して、どうしても興味より先に恐怖が立ってしまうんです。それがどれだけ人間にとって、自分にとっていいことだとしても。だから、今みたいに、ばななさんの言いたい事を読み取りつつ、自分の感覚と照らし合わせてほどほどに内容との距離を取りつつ、言葉に向かう、というのができるまでに、しばらくかかった気がします。
 それでも、繰り返し読んでいて、そのタイミングが自分にとって大事なときで、電話をする時に膝にのせて表紙のおはぎの絵を眺めながらなんとかして話をしていました。弱くて、弱くて、負けそうな時に、「ここで負けたら、それこそだめだ」と、癒されながら踏ん張っていました。
 

大事なことを伝えたい相手に対しても、ちゃんと自分の意志が純粋に伝えられなくなってしまう。
(第二章 対談 吉本ばなな+白井剛史(プリミ恥部))

 今は今で、勘によるところというか言葉にするのが難しいところが大きくて、説明するのに時間がかかります。それに、「違うこと」をしないっていうのも、決して楽ではなくて、むしろ全力です。だから起伏も大きいし、自分でさえ日々予想外だったりするので、はたから見れば「なんでそんなことを?」というような選択をしていると思います。
 ただ、楽しいので、まあいいかな!という気持ちです。
 だから、もしもばななさんの本を他にもすでに読んだことがあって、ばななさんの言いたいことや「ここぞ」という細かい現実での選択の場面での助けがほしいかも、という時には、本屋さんで手に取ってみてください。


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