いとなみ


 いきなり寒い。


 先月の終わり頃、美術館で絵をみた。
 会期が終わる週の、火曜日に。

 梅雨の頃から始まっていたはずだ。始まる前に街中の掲示板でポスターを見つけていた。

 生活をして、続けていくだけで、ずいぶん大変で必死だ。
 スーパーに行ったら、最近よく買っているチーズが思いのほか高くておどろいた。量と味、少しの違いなら、とそのスーパー自社ブランドから出ている似た商品を買った。60円安かった。
 帰ってきて食べてみたら、けっこう違った。
 買う頻度を落として、もとのチーズを買えば、いいかもしれない。


 今はもういない人が、ここではない土地で、描いた、絵。
 展示のテーマは「愛」だった。


 ばかみたいだ、ばかみたいな、ことばかりだ。
 展覧会のチケットは2100円で、図録は2800円だった。


 70ほどの、作品が、並んでいたそうだ。
 ひとつを見て、「これが『愛』を描いているのなら、『愛』を信用したい」と思った。
 もうひとつ気になっていた、ある作品と、描かれていた題材がつながっていた。


 図録を買ったのはやりすぎだったか、と、バスに乗って家の最寄りの停留所で降りた時に思った。
 エコバッグに入れた図録が重かった。
 エコバッグを図録に使ってしまったので、一旦家に帰って図録を置いてから、もう一度外に出てスーパーで買い物をした。


 「これは愛だ」と、言ってしまえるほどの、迫力と質量を、与えられた絵が、現実にあると肌で知って、「これは愛です」とは、わざわざ言葉にすることはないであろう、日常の、些細な出来事を過ごしている。


 愛はとくべつだと思っていた。
 どちらかといえばそのものがとくべつなのではなくて、そのきらめきがとくべつなのかもしれない。
 そのきらめきは、普段みえない。


 今朝、セーターに袖を通してみた。
 洗って少し崩れた形を、からだに沿わせてととのえて、ふと思いついて耳飾りを持ってきた。
 今年の6月かそれくらいに買った耳飾りだから、このセーターと合わせられるのは、この秋冬が初めてだ。
 藍色の毛糸が上半身をおおきく包んで、左右の首元に水色が揺れている。
 どちらもこれまでにみたことのない表情をしていた。


 いくら寒さを感じても、実際外へ出るにはまだ、このセーターの厚みは早い。
 耳飾りをはずし、セーターを脱いで、着替えた。袖がきゅっと締まって、肩から肘のあたりはふんわり広がっていて、それでいて布地はしっかりとしていてガシガシ着ては洗える、そんなトップスに着替えた。
 ジーンズを履いて、いつものスニーカーを履いて、いつものバッグを持って、いつもの指輪をした。
 近所のスーパーへ向かう。


 絵をみていた。
 足元の、花をみていた。


 60円に迷う人間と、絵をみていた人間とが、どちらも等しく、優劣なく、ひとりの人間であることに、とまどっている。


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