見出し画像

クールダウン


 ちょっとしたら消すかもしれないです。消すかもしれないけど今は書きたいきもちなので書いてみます。書くことがひとつケアになる。(だからこそ書くことをどまんなかに置ききれない生き方をしてるんだろうなぁ。こういうことに気がつくから書きたいし…。ぐるぐる。)
 自分のケアを兼ねているから、しぜんと、なるべく、きついことを避けた書き方をしていて、それを読んであとのじぶんも気持ちが落ちつく、みたいなところがあります。
 なるべく落ちついているのが落ちつく(へんな言い方だけどそのままにしときます)から、そういう選択…ゆっくり歩くとか、あったかいものを飲むとか、ゆっくり食べるとか、よくねむるとか、本を読むとか、かわいいものややさしいものを眺めるとかをしています。もちろん、きついことはみてるししってるしかんじているしおもうしわきあがることもあるけど、何よりそれをぶつけることでなんにもうれしい気持ちにならないからどうにかケアしたいとそこに注いでいるだけです。いつだってぽわぽわなわけじゃないし、「無垢なひと」のイメージがつきがちで、そこが生きるなかで苦しくなりがちなポイントだなぁ、とこうやって書いてて思いました。ずっとだな。はたして。配慮の結果を相手がどう受けとるかは自由なのでしかたないのかなぁ。しかたない、っていうの、ちょっとさみしいんですけど。

 それで、ダンスって、一見派手にみえるんですが、音にむきあってからだをていねいに動かしてみるっていう側面もあるんです。いきなりなんでダンスの話か、といえば、わたしがダンスする、となるとだいたいイメージがあんまりつきづらいみたいで、わたしもそこの説明がうまくできなくて…、というのが割と頻繁に起こるんです。なかなか、どうしたものかなぁ、ダンスなぁ、めちゃくちゃきもちよいのだが…。
 なんの話だろ、じぶんのことをわかってもらいたいのも少なからずあるけど、同時に、ひとにはそれぞれ色んな面があるはずだから想像しようとするっていうのを忘れたくないなぁ。忘れるけど…。

 あついですね。
 挫折のはなしをしいたけ.さんがされてて、あー、むちゃせんとこ、とおもったのでした。それと、むちゃを(しらずしらずでも)強いたくないな、とあらためておもったのでした。
 あちこちできらきら輝くことがあるから、わたしも輝いてたいなってやっぱりおもっちゃうんですが。もちろんそれでわくわくうきうきたのしいパワー!となりハッピーに過ごせることもあります。とはいえ、わたししかわたしのいろんなことはわからんし、それに合わせたいろいろをやれるのはわたしだけなんですから、無茶はするもんでないなぁ、と。

 書くの、そういえば、何回も、きつくなるときあって、それでもやってるので、ちいさなちいさな形であってもやりつづけてるので、そういうことなんだろうとおもってます。
 わたしができるのはへなちょこ英語へなちょこフランス語ですがそれでもみえるひろがりと人の心のゆきかうところが確かにあって、それはなんか、勝手に決まってきた国とか時代の違いもすんなり超えていったりするんで、そういうの、やっぱりおもしろいなぁと思います。今のところその感じたことをぜんぜんうまく伝えてゆけてないので、なんだかわたし長年なにやってたんだろみたいな感じありますけど、ちょっと、まぁ、ぼちぼち、やります…。

 ぼちぼちやればいいかぁ、というのと、日々の生活の、こう、押し寄せてくる波とに揉まれています。そのなかでなんとか息継ぎをするためにこうやって書いている。
 時間がかかる。なぁ。とにかく今日は寝ます。まず毎日をこつこつやります。しなないための選択をして生きてるだけです。めちゃくちゃ濃くて暗いところ、ひとそれぞれあっておかしくないので(わたしはある)、わりとそこが生きつづけるためのセンサーになってたりするので、まぁ、追いすぎず、けど目を背けることもなく、やっていきたいです。
 わたしがいま思いうかぶひとたち、どうかどんな選択であってもいいので、生きつづけてくれてたらいいな、とおもいます。わたしもどうしても人に会えなかったり外に出られなかったりシンプルにお金のやりくりが下手だったりでうまくいかないことありまくりなので、まぁないとはおもうんですが、わたし含めだれかに気をつかってつらくなるよりは、のびのびみんな生きててほしいです。しぬほどきれいごとだし、会いたいひとには会えるならいつだって会えたらハッピーですが、みんな生きててほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?