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2本目

いやはやとてつもなく余韻これぞ余韻
好きな人との念願のコディリ、(ワイバンも一緒に見たがあろうことかコディリの時だけはぐれた)それもあって尚更______
サニーデイサービスがホンマにめちゃ良すぎて涙
なんか嘘っぽく聞こえる。
後ろの方が大型犬??といっていてそのたとえにオールドイングリッシュシープドッグが出てきました(これはあとから調べた)初めてのサニーデイのライブ、アウトローの長さに終わってくれるなと願うほどにほどだった。3人であの音はすごすぎた。そしてライブならではのアレンジというかなんというかほんとにMCもほんとにもうなんだよー。そうして曽我部さんのエッセイもしっかり購入。曽我部恵一バンドの方がやっているというカフェにも行かせて頂いた。
この日のライブを終えて最近就活で面接のことを考えている中で音楽聴くのが趣味って..と考えたけどそれは趣味になりうるという結論に至った。映画を見て感想を持って楽しむ的な映画鑑賞は趣味というイメージはある。それと似ていて音楽を聴くことも聴いて、どういう情景なのかな,こんな風な考え方したいな,生活の中でこれはあの歌詞の場面のようだなとか生かされているし、音楽に支えられる生かされる時もある。要するに立派な趣味だし、音楽の聞き方は自由だし自由だけど考えたり考えずに聞いたりするように色んな聞き方をする方が私は好きだしそのように歌詞を言葉としても聞いている人と私は話がしたい。そうそう言葉について私はとても考えたくて、福祉が今後の就職の進路なわけだけど言葉で人をどうにかする職でもあると思う。(言い方悪い)だから傾聴が大切だし、最近はそうやって人の話を聞くのが好きで、私とはーーみたいなことを考えて疲れたりしている。
そんなことはさておきお次のロングコートダディ、顔が裂けそうになるくらい笑った。スタバのベンティ見るともう検尿がよぎる。おっ不健康も使っていきたい。うんうん、笑うことは幸せです。そうしてコディリ。
りのちゃんがいなくなっての春、やるかなあと思ってたけどやってくれた嬉しかった反面もうりのちゃんじゃないという事実とサポートのふたりの存在について考えた。りのちゃんパートのところを東風さんやなかおさんが歌うわけだけどなんか今日はしっくり来なかった。前はなんとなく聞けてたし違和感なかったからそれが寂しかったりもした。なんだろうな。2人いるというわけでサポート感が物凄かったのだろうか歌上手くても、、と思ってしまうりのちゃんの時と何が違うんだろう。人が違うから声が違うというのは当たり前だがどこかふたりが他人事のように歌っている印象を受けたからだろうか。コディリは生活に寄り添ってくれていると思って聞いているのだがそこに変わりはないのだけれど2人の生活が伝わってこないというか。こちらが知ろうとしていないのがあるかもしれない。私は一体何について考えているのだろうか。バンドは家族でもお友達でもないけれどこでぃりはその存在を超えてなんか生活の一部みたいなとこがあるからかしらなんかもう色々あれこれ考えて聞いてしまう時がある。重い愛思い合い。それでもコディリを聴くし、日にちが経って落ち着くと変わることはいいことでもあるし、これからも聴くことに変わりはないからその変化にものんびりついて行きたいなとも思う。drizzleのリキー!が半端なく胸に響いたし、1日目のさよuならのあんたのために歌ったにも込み上げるものがあったし、ニシマさんの指ハートやデコルテはけしからんかったし(いい意味で)うんうん、とても濃いライブだった。
この日のライブは最後の響さんの歩きスマホなんかだめですよのお話、好きな人と生活を大切にしようのお話にまとめられたと思う。
話はかわりますがめっぽう春だったのに急に寒すぎませんか。気分と季節は変わりゆくねー

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