見出し画像

兄とおかんと俺と犬、そして大仏

夜の11時を過ぎた頃に家の電話がなった。当時は、まだまだ据え置きの電話機が主流だった。そしてこんな時間にかかってくる電話といえばあまり良いことではないことの方が多かった。案の定、電話を切った後におかんが言った。

「婆ちゃんいよいよかも…。」

1.運転
婆ちゃん家までは暗く狭い山道ばかりで1時間半ほど。高速道路なら1時間ちょいで行ける。下道と高速道路でさほど時間差がないのは高速道路の入り口までが我が家から遠かったからだ。

そして、おかんは電話を切ってから二言目を放った。

「運転いける?」

当時、免許取りたての兄に不安げな顔でおかんは聞いた。
気弱な兄は細い声で「まだ高速はちょっと…。でも下道ならいけるかも」と暗いくねくねとした山道を選んだのだ。

そしてこの兄の選択が、この物語の始まりとなる。

2.出張
我が家は、おとん、おかん、よっつ上の兄、そして俺の四人家族。おとんの仕事は、車の部品を販売する会社勤めのごくごく平凡な一般家庭だった。おとんは真面目で優しく、そしてあまり話さない大人しい性格であったが、俺はこんなおとんが大好きだった。
そして運転好きのおとんは休みの度によく日帰りであちこち連れてってくれた。高速道路で2~3時間範囲の所を中心に連れてってくれた。少々運転が荒い所もあったが無事故無違反の超優良ドライバーなのである。

しかし、こんな時に限って、おとんが出張でいない。出張なんておとんの仕事人生で今から思えばこの1回くらいしか思い浮かばないくらい数少ないのに今日に限っていないんだ。本来ならおとんの運転で婆ちゃんのいる所まで家族四人でピュッといけるのに。

3.病院
正確には婆ちゃん家に行くのではなく、婆ちゃん家近くの病院へ行くわけだ。出張でいないおとん以外の三人は着替えを済ませ、当時飼っていた桜文鳥に「行ってきます」を伝えると、おかんは、俺に言った。

「お兄ちゃんの横に乗ったって」

正直、勘弁してくれと思った。兄の運転に乗るのは、助手席に乗る親父の横で仮免の練習をする兄の運転時に後ろの座席に乗ったとき以来だ。

そんな不安を俺が抱いているとも知らず、エンジンをかける兄。その横に俺。そして助手席に乗る俺の後ろにおかん。遂に車は深夜に出発した。

4.犬
特に三人は会話もなかった。婆ちゃんのこともあったが、それ以上に兄の運転が怖かったからだ。運転中にラジオを聴くのも危ないからと、おかんがラジオを切ってと言った。俺はなんでやねんと思った。静まる車内。響くエンジン音。辛い。もちろん、婆ちゃんの心配もあるが、この空間がただただ辛かった。

そして家を出発して10分ほど走ると、あっという間に真っ暗な山道が広がった。ここからは、ほぼ山道が続くのだ。
深夜0時頃、兄の走る車以外、他に何もない、誰もいない。
そしてそれから5分、10分とさらに車を走らせた頃、兄の運転する車の前方に、車と同じ進行方向へ走る犬がいるのが見えた。俺は兄に言った。
「前に犬おるで、気つけや」。

5.対向車線
ハイビームで照らすと数メートル先に中型犬を確認できた。そしてあっという間に追いついた。首輪は無さそうだ。野良犬かな。腹へってんのかな?そんな俺たちの心配も関係なく、俺たちの進行方向である走行車線の真ん中をただひたすら走る犬。
兄は、スピードを落として低速運転。まるで俺たちの車が道先案内人であるかのようにその犬を照らし車は超低速で進む。危ないから一度止まろう、という話にもなったが、万が一後ろから車が来たら逆に危ないからと、しばらくは低速運転で進み、犬が避けてくれるまでそのまましばらくゆっくりと走行することにした。そしてさらにしばらくすると、犬は対抗車線へ進路を変えた。山側へ進んでくれたのだ。ホッとした。そのまま大人しく山へ入ってくれと願った。
だがしかし、運悪く対向車線から車がカーブを曲がりながら犬へ突っ込んできた。俺は思わず車内で大きな声で叫んだ。「危ない!!!」

6.震え
『ドンッ!』

車の窓は閉まっていたが、とても鈍い音がした。

俺たちの車は止まった。ガードレールすれすれに道の邪魔にならないように。そして車を降り、三人で犬に近づく。犬と正面衝突した車も道の邪魔にならないように山側すれすれに車を停めた。ぶつけた運転手はまだ若い女性だった。震えた両手で口元を抑えながらすすり泣くような声で、俺たちに話しかけてきた。「どっ…どうしたらいいんでしょうか?」

対向車線の真ん中でピクリとも動かなくなった犬。震える女性。そして俺も膝がガクガク震えていた。

そしておかんが言った。

「こういう場合は警察でいいんじゃないでしょうか」

そのおかんの言葉に被せてくるように、【パァァァァァーーン】と、耳を劈く甲高いクラクションが山道で鳴り響いた。

7.ヤクザ
クラクションを鳴らした車はハイビームのまま俺たちの車のすぐ後ろでとまった。そして『ガチャ』っとドアのあく音がしたかと思えば、間髪入れずに『バンッ』とドアの閉まる音と共に、いかつい顔にパンチパーマのおじさん(ヤクザ)が「邪魔じゃゴラァ、どこに車とめとんじゃ!」と言わんばかりの顔で俺たちの目の前に現れた。しかし、俺たちのその異様な雰囲気に気付くと、おじさん(ヤクザ)は動かぬ犬に目をやり「なんや?犬ひいてもうたんけ?」というような顔で何も言わず、後ろを振り返り自分の車に戻っていった。

耐えた。俺は正直、そう思った。

何を言われることなく、何もされずに済んだ。おじさん(ヤクザ)よ、早くこの場から立ち去ってくれ!俺はそう思った。

8.トランクルーム
おじさん(ヤクザ)は、運転席に乗り込んで帰るのかと思いきや、自分の車の後ろに回り込んだ。『カチャッ』とトランクルームをあけ、すぐさま『バンッ』と閉めた。そしてトランクルームから取り出した軍手らしきものをはめながらこっちへと近づいてくる。まるで「犬ひいたんはしゃあない、けど、こんな山道の暗い所で車とめやがって、こいつら!」と、まるでサスペンスドラマでよく観る犯人が被害者に近寄って来るシーンのように。

「こっ…殺される!」その時は何故か本当にそう思った。緊張と恐怖で逃げることも出来ず、ただただおじさん(ヤクザ)が近づいてくるのをその場で立ちすくむことしかできなかった。

9.シャコタン
きっとこんな山道を走ると地面すれすれに落とされた車体は真っ暗な山道に火花を散らしながらまるでゴーストライダーのようにここまで走ってきたに違いない。挙げ句の果てに、ドライバーはいかつい顔にパンチパーマ。鬼に金棒とはこのことだ。

そして俺は思った。こんな近くでヤクザを見たこともなければ、目の前で犬が事故にあうシーンもみたことなかった。なんで高速道路いかんかったんや。今になって高速道路を選ばなかった兄を恨み始めた。

そしてヤクザのことで頭の中がいっぱいだった俺は、ふと若い女性の存在を忘れていたことに気付いた。すると若い女性は、警察に犬とぶつかった事実を震えた声で電話してた。電話に夢中でヤクザの存在に気付かない若い女性。「おい、お姉さん!ついでにヤクザも来たのでスグに来てください!」と警察に言ってくれ、と俺は叫んだ。心の中で。

10.大仏【最終章】
軍手をはめながらゆっくり俺たちの方へ近づいてくるヤクザは立ち止まることなく犬の方へ歩み寄った。そのままその場でしゃがみこみ、両手を合わせおじぎする。両手にはめた軍手でそっと犬を抱きかかえ立ち上がると、山側へ行き、優しく土の上へ寝かせた。俺はその背中を見てヤクザがまるで「これでもう大丈夫だ」と犬に語っているかのように思えた。

その瞬間、俺の中で何かがスパークした。

パンチパーマに見えていたはずのあの髪型が今や大仏にしか見えない俺がいた。

そして無言のまま、おじさま(大仏)は自分の車に乗り、小さく『パァ~ン』とクラクションを鳴らし立ち去って行いった。結局、おじさま(大仏)は一言も話さず立ち去って行った。

かっこいい。ただただかっこよかった。
俺もこんな大人になりたいと思った。
そして俺はこの時、本気で思った。人は見た目で判断してはいけないと。

おわり

#創作大賞2022

最後までお読みいただきありがとうございました!また会える日を楽しみにしております!みんなに幸あれ!