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偶発性に開かれた心

この前、電車の中ですっごい美人な人がいた。私は思わず『めっちゃ美人やな』と言ってしまった。
すると彼女は隣の車両に逃げていくように去ってしまった。

あっ、そうか。ここは日本か。

と、なんだか寂しい気持ちになった。

日本やからしょーがないか、、、。

??

いやいや!それでも少し違和感がある。

今日はこの違和感を考察してみよう。

事実として、私はたしかに、知り合いでない人を褒めてしまった。言語によって。

彼女は『めっちゃ美人やな』という言葉をみて、電車の中で知らない自分に声をかけてくる人=おかしい人 or ナンパ=無視していい=関わらない方がいい

と、思ったのだろう。

隣の車両に避難するように逃げていく彼女を後ろ姿を見ていると透明なボディーブローを食らった感覚になった。

他者からの関与を強烈に切り捨てるあの感覚は非常に鈍くするどかった。
ケーキを差し出したら、叩かれて、ケーキが地面に落ちて潰れてしまったような感覚。

この一瞬の出来事は、普段から彼女が使っている感覚そのものを表しているし、日本の現代問題の象徴している。

病的にまで知らないからの関わりを拒絶する。

もらった気持ちや、人柄ではなく
そこに現れた言葉のみをみる。

相手の背景や、無視された人の気持ちを考える能力が全く欠けているのだ。

その人の人柄を見れるようになるにはトレーニングがいる。
普段から、知らない人と話したり、偶然出会う人に可能性を見るような、偶発性(たまたま性みたいなもの)への寛容さが足りない。

分からないものに開かれた心。
彼女にはそれがなかった。故に言葉だけをみて拒否したのだ。

そのような彼女の対応からは
決まったもの、予測できる人や事にしか心を開かない、合理性の極みの乾いた匂いがした。

といいながら、もしかしたら彼女は
スーパー心優しいひとで、昨日みたドラマでナンパ師のような人がめっちゃ悪い役で出演するドラマを見たのかもしれない。

たまたまそうで、明日出会っていたら
笑顔で返してくれる人だったかもしれない。

彼女を一瞬のできごとで決めつけることは出来ない事を承知の上で、偶発性に開かれた心の大切さをありありと感じた日だった。

そんな事を思いながら、景色を見ていると完全に乗り過ごしていた。

電車のニュースで香港では大規模なデモが起こっている。

次のニュースでは芸能人の不倫報道が

見える景色には広がるビル街

ここは一体どこで

私は一体誰なのだ。

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