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ぐるぐる

また夜中に思考がぐるぐるしてきてしまったので、
日記を書く。自分は、40代で亡くなった母親がどうやったらそうならなかったのか、ということをずっと考えながら生きてるんだと思う。

母親に囚われすぎだというのは自分でもそう思う。

少なくとも母親と離れて暮らすまでは母親の期待を裏切らない選択肢を取って生きてきたに過ぎなくて(もちろんその範囲で自由な選択はしてきた)

離れて暮らすことになったらこの家族でいる必要ある?みたいに思ってて、でも毎日一生懸命家のことやっていつか家を出られる日を夢見るしかなくて(これは父の期待に応えてたのか?)

それで母が亡くなって。

私、母が亡くなってずっと苦しんでたけど、たぶん母があのタイミングで亡くなったおかげで解けた呪縛もあるんだろうと今では思う。

私は子どもが好きだった。
子どもが好きだったし、先生になりたかった。

ずっと教育学部とか教育大学をめざしてて、ある日母に言われた「〇〇、心理学勉強してみない?」

言われたのはその一言、たった1回だけだった。
理由も言われてない。だけど、親の期待に応えるのが当たり前な私はそれで進路を変えた。

もちろん人の気持ちにも興味があったし、文系で目指せて、自分の取りうる選択の中で母の病気に役に立つ方法を見つけた!と思った。文系だし、医者になるとかは全然考えてなかったけど、カウンセラーにはなれるらしい。

そしてセンター試験が終わって、前期試験の対策をしていた頃、母が亡くなった。

なにもできなかった。なにもしてあげられなかった、間に合わなかった。そんな気持ちだった。

だけど、もう試験は目の前で、それを頑張ることしか自分にはなかった。

受験があって、母の火葬には行かなかった。厳密に言えば、行きたいから日程を変えて欲しいと言ったが、願いが届かなかった。それに、受験をさておいて火葬に行く、という選択を自分が取れなかった。母を見送ることより、母の期待に応えること、自分の人生を前に進めることを優先した。

でも、ほんとは誰かに言って欲しかった。受験なんて行かなくていい、なにより優先すべきなのは母を見送ることだって。

今でもその選択は間違ってなかったと思うけど、後悔はしている。私のだいじなだいじな分岐点。

結局その日の試験は落ちたし、第1志望には通らなかったけど、進路は決まった。

心理学を学ぶ。もう母は亡くなっちゃってるけど。知りたかった、何が母をそうさせたのか、何をすれば良かったのか、自分の悲しみはどう対処すればいいのか。なんで私はあの時火葬に行かずに受験を選択したのか。

それから、子どもについても学んだ。生育環境が如何にして子どもに影響を与えるのか。母の私に対する暴力や暴言はなんだったのか。正解は、なに。

自分の中である程度の答えは出て、卒業した。
カウンセラーは向いてなさそうで、ならなかった。
先生にも、ならなかった。

大人が子どもに与える影響の大きさを知って、怖気付いた。それから、初めてレールから外れてみたくなった。全然知らない社会に飛び込んで、自分がまだ知らない自分になってみたかった。

地元を離れて社会人になって、自分で選択できるようになった。初めて自由を手に入れた。いつ家に帰っても良くて、いつ寝てもいつお風呂に入っても良くて、とりあえず仕事だけ頑張ってれば社会の一員として認めてもらえて。仕事は辛いことも多かったけど、自由だし、ひとつの事だけ頑張るのは楽にも感じた。

学生の頃は勉強も部活もバイトも家事も全部頑張らなきゃいけなかったけど、仕事一つだけ頑張れば良くて、家事も一人分で良くって。

仕事は正直、春入社してGWには帰省するくらいメンタルやられたけど、父に「ほら大変だろ(無理せず地元帰ってこい)」みたいに言われても、仕事だけは辞めちゃいけない。仕事が私に自由をくれる、と思った。

その後大体ずっと仕事だけやってたけど、自分で家庭作る、30までに子ども一人産むって決めてたから、結婚した。

家庭作るって決めてたのは、自分でやってみたかったから。なんか上手くいってなかったうちの実家。自分だったらどうやれるのか、知りたかった。子どもは好きだし欲しかった。

子どもが生まれて、さらにいろんなことが見えてきた。
大学で学んで出した答えなんかより、たくさん。しかも深い納得を伴って。

まだ答えが見つかってない疑問もたくさんあるけど。たぶん何度母に生まれ変わっても、あの歳で亡くなったんじゃないかと思う。詰んでた。

子どもを3人じゃなく2人まで、仕事は正規で続ける、それを叶えてくれる人、自分の人生を歩ませてくれる人をパートナーにする。これが今私が決めてる、母と同じ歳で亡くならない選択。

私、しにたくないんだろうか。実家にいる頃はよくしにたかった。誰かころしてくれと思っていた。痛いのは嫌だけどって。

たまに今でも一思いにやってくれないかとか思うことはある。ただ、子ども守んなきゃいけないし、守ってしぬならいいけど、自分で亡くなって自分と同じ思い経験させるのはなぁって思う。

母親に自分でしなれるのは、まじでダメージでかい。
全世界に拒絶されたみたいな感じ。
あぁ、私の存在を持ってしても、生きるって選択肢になんないんだ。私がどれだけ頑張ってもだめなんだ、って無力感。なんか、まだ上手く言語化できてない、このダメージの大きさ。

それを味わわせたくはないなって思う。それだったら、そっといなくなる。全然訃報なんか届かないところでそっと消える。

まぁでも今日は消えようとは思わないかな。明日はどうか分かんないけど。

心の穏やかで安定している母親になりたい。
こんなに毎日乱れて、それを子どもに見せている自分、やだな。

夫は好き。子どもも好き。で、仕事もしてて。
ただそれだけじゃ満足できない。

もっと愛されたい、もっと成功したい、もっと良くなりたい。頑張って頑張って上昇気流みたいにぐるぐる回って天まで昇っていく。それが人生のイメージ。どこかでフッとこの焦燥感が消えてぼけた可愛いおばあちゃんとかになれたら、その方が幸せかもしんないけど。

何が幸せなんだろう、どうやったら幸せになれるんだろう。なんで現状で幸せ、これ以上いらないって思えないんだろう。

欲深い。煩悩まみれ。心に平安が欲しい。
今日も眠れない。




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