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現在一般社団法人事務局+さまざまな仕事をマルチにおこなう、のぶえさんの場合

取材:2024年4月


<最終学歴・職歴>

1977年生まれ
1995年9月 日本工学院専門学校中退
2000年11月 ソフトウェア開発会社入社 パソコンスクール部門にてPCインストラクター
2007年 結婚にともなう転居にて退職
2007年〜2010年 リモートでソフトウェア開発会社入社のwebページ作成補助
2010年 育児用品会社入社 接客・事務作業にパート勤務 (現在はリモートによる営業補助)
2013年 子育て支援のNPO 法人入会 事務局補助スタッフを経て、2022年より事務局業務を担当
2017年 個人事業開始 子育て支援活動
2021年4月〜2022年5月 和菓子店入社 パート勤務にて練り切り製造
2022年〜 教育系一般社団法人入社 学校訪問、事務局業務担当



<学生時代・アルバイト時代>

志望する大学に合格できずに浪人。1年浪人するなら、大学に行くよりも好きな演劇の勉強がしたいと思い、舞台芸術科のある専門学校に行きました。しかし、アルバイトのしすぎで体を壊して、1年半で中退することになってしまいました。

中退して実家に帰り、1〜2年アルバイトをしてお金を貯め、車の免許を取得。ヨーロッパに1週間くらいひとりで旅行に行ってみたりもしました。


<職歴1 ソフトウェア開発会社でパソコンスクールインストラクター>


旅から戻ってきて、就職活動を始めました。すると、パソコンスクールのオープニングスタッフの募集を見つけました。

当時私は、パソコンに触ったこともありませんでした。しかし、スクールだったらパソコンのスキルも必要だけれど、地域の人とうまくやるための接客スキルも必要だろうと考え、「接客できます」を売りにして、応募しました。どうにか採用してもらいたかったので、「パソコンのことは自分で勉強してできるようになります」くらいの大きいことを言って、結果、採用してもらいました。

自宅でも勉強して、半月から1ヶ月くらいで教える側になれました。初めのうちは初心者向けのクラスを担当して、だんだんとスキルが上がるにつれて、プログラミングやホームページ作成のような上級者向けのクラスも担当できるようになりました。

雰囲気もよく、居心地もよかったので、辞めたくはなかったのですが、結婚で引っ越しをすることになり、退職しました。

しかし、退職後、このパソコンスクールの会社から、ホームページなどを管理する仕事を在宅でやらないか、とオファーをいただき、3年くらい担当していました。当時はあまり一般的ではなかったのに、リモートで仕事をさせてくださったのはありがたかったですね。


<職歴2 育児用品会社にてパート勤務→リモート、およびNPO事務局補助→のちに事務局担当>


ソフトウェア開発会社の在宅仕事と入れ替わりで、育児用品会社の仕事を引き受けるようになりました。まだ息子が2歳か3歳になったばかりのころだったので、週に1日、保育園の一時預かりを利用して働くことにしました。幼稚園に通うようになってからは、週2〜3日、1日4時間くらい働いていました。

仕事の内容は主に、ホームページ関係の作業のお手伝いや検品、接客をしていました。パソコン関係のスキルがここでも活かされて、ネットショップに上げる画像の加工などを任されていましたね。あとは、この会社の商品のユーザーでもあったので、来店したお客さんの使い方相談に乗ったりもしていました。

2013年には、この会社の社長が理事長を務めるNPOの会員になり、赤ちゃんの抱っこやおんぶについて深く学ぶ機会を得ました。同時に、抱っこやおんぶの方法を、養育者や子育て支援者に伝える資格も取得。NPOの事務局補助として、イベントのスタッフや講座の講師業も務めるようになりました。2022年からは、こちらのNPOの事務局を担当しています。

2016年に家を新築し、夫の両親と同居をすることになりました。育児用品会社からは距離の離れた地域に引っ越すので、Web関係やパソコン作業を在宅で引き受けることにしました。


<職歴3 個人事業開始 子育て支援活動>


2016年、引っ越しと同時に、抱っこやおんぶを教えられる資格を活かして、子育て支援の個人事業も開始。

月に2回くらい自主開催の集合講座をやって、申し込みがあれば、プライベートレッスンも受けていました。

個人で講座を開催すると、広報や集客がうまくいかなくて挫折するケースをよく聞きます。私の場合は、うまくご縁がつながって、活動の場が増えていった感じです。

個人事業は徐々に軌道に乗って、コロナ前の2019年の年末ごろがいちばん盛況でしたね。でも、コロナになって人を集めるのがとても大変になって、集客疲れしてしまいました。結局、コロナが明けた今、集合講座はやっていません。ただ、自分の中でライフワークのように感じていたので、細々と活動は続けています。


<職歴4 和菓子店にて練り切り製造業務(パート)>


ある日、子育て支援活動で知り合った方にイベントに誘われ、地元の和菓子屋さんの練り切り講座に参加しました。実際にやってみたら、とてもおもしろくて、あっという間に練り切り作りにハマってしまいました。

毎日自宅で作った練り切りをFacebookにアップしていたら、地元の友人が、練り切りの作り手の求人情報を教えてくれました。この和菓子店の工場まで、自宅から車で片道1時間半もかかったので、その点で家族とは揉めました。でも、その時の私はとにかく練り切りが楽しくて、やりたい気持ちが強かったので、なんとか家族を説得して、和菓子店で働くことに決めました。

初心者だったので、早く技術が習得できるように、家でもよく練習しました。何回やっても、練り切りを作る作業は飽きなかったです。練り切りの場合、本当に自分が作りたい形を、具体的に考えてから作り始めないとその形になりません。練り切りをやってみて、「思い描く」の訓練になったような気がしますね。ここでの学びは、練り切りだけではなく、自分の今後の人生にもつながります。目標を決めて、その目標達成のためにはなにをすべきかをきちんと順序立てて考えるようになりました。

私に練り切りを教えてくれた上司との出会いも貴重でした。練り切りの話だけでなく、あらゆるお菓子の話も、モチベーションの話もしました。練り切りを習う環境としては、本当にすばらしかったし、人生観にまで影響を与える仕事でした。


和菓子店に勤めて1年が経つころ、知り合いから教育プログラムを提供する一般社団法人の事務局をやらないか、とお声がかかりました。その時はまだ練り切りの仕事をしていたのでお断りしたのですが、その直後に、練り切りの製造が中止になることを聞かされました。

オファーをいただいた時点で興味のある仕事だったので、もう一度紹介してくれた方に問い合わせて、担当者に会い、結果採用になりました。と同時に、和菓子店でのお勤めは辞めることにしました。


<職歴5 教育系一般社団法人にて学校訪問、事務局業務担当>


一般社団法人の仕事も主にリモートで事務局業務をおこない、研修や企業・学校訪問は実際に現地行く勤務スタイルです。この団体は、中学生や高校生の総合の授業で行う教育プログラムを提供する事業を行っています。

※総合の授業とは、生徒が自主的に課題を見つけ出し、学んだり考えたり判断したりしながら、課題解決のための資質や能力の育成することを目的とした探究学習の授業のこと。

具体的には、県内の中高生が、県内の企業の社員さんと一緒に話し合ったり、アイデアを出し合ったりする学校訪問の場をコーディネートしています。

ここに来て、やっと収入も一般的なお給料と同じくらいになってきました。子どもが生まれてから収入が安定するまで、10〜15年くらいかかりましたね。

収入が安定するまで時間はかかりましたが、その分息子と山や川に行って一生懸命遊んだので、子育てには、もう悔いはないと感じています。周りでバリバリ働いている人を見て焦る気持ちもありましたが、子どもとの時間が取れたこと、自分の興味あることにチャレンジできたことはよかったと思っています。夫が堅実に稼いでくれていたからこそ、これだけ好きにできたのだと感謝しています。

人生100年時代と言われていて、まだ半分。このあと楽しく生きるには、今踏ん張らないと思っています。そのためにも、「自分がなにをしたいのか。どこに向かっていきたいのか」の目標意識を大切にしたいと思っているところです。


<スキルや学歴や年齢関係なく(18歳くらいに戻ったつもりで)、これからやってみたい仕事>

18歳に戻ったつもりで考えるとしたら、脚本家や演出家です。演じるのも楽しかったですが、ひとつの役を演じていても自分の担当ではない役のことも考えていたので、全体を作る人になりたかったのだと思います。

今の自分から考えて、これからやってみたい仕事だったら、コーディネーターという仕事が気になります。誰かと誰かをつなぐとか、この仕事とこの仕事をつなげるという仕事はおもしろそうだな、と思います。

これからも「あなただから来てほしい」と言われる仕事をしていきたいです。自分の経歴がどんなふうに展開していくのか楽しみです。


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