PLAY WORKという考え方
まずは自己紹介
北陸人材ネット代表取締役社長の山本 均と申します。
これまでは弊社のぽんぽこさまがおひとりでFACEBOOKを更新なさっていたのですが、「お前もやれ!!」とのありがたきお言葉をいただきまして今期から週替わりで社員みんなで担当することになりました。(妙に丁寧な言葉遣いをさせていただいておりますが決してぽんぽこさまが恐ろしいわけではございません・・)
恐れ多くも栄えある第1回を私が仰せつかることになりました。
微力ではありますが、少しでも皆様のお目汚しにかなうよう頑張ります。
さて、いきなりですが、いま実は北海道を車で一人で旅をしつつ、時々こうやってPC開いて仕事しています。8月10日過ぎまでこんな感じ過ごす予定です。
さてわが社は現在フルリモート、フルフレックスOKです。なので社員もこんな仕事ができる環境になっています。
北海道移動中はメールの返信したり、SNS更新したり、書き物書いたり(今回は遠隔授業もやったっけ?)、して過ごしています。もちろん行きたいとことに行き、観光もし、おいしいものも食べています。
移動中(といっても運転しているので朝とか夜とか)にいくつか読もうと思った本があり(実はそれを忘れてしまい、釧路郵便局の局留めにして送ってもらうという・・)ます。
PLAY WORKとは?
その中の1冊が「PLAY WORK」という本です。
著者のピョートルさん(勝手にさんづけ??)はグーグルの企業文化を作るプロジェクト(アリストテレス)に参加、その後独立して自分のビジネスをなさっている方ですが、この方の著書は共感できる部分がとっても多くてぜひ機会があればおあいできなかなあとか思っていたりしています(てな話をいろんなところで言いふらしていたら、知人がお知り合いですよ~という話があってちょっとドキドキ)。
さて書かれている内容は、簡潔に言うと仕事を遊びのように楽しもう!ということでそのために必要な個人として心構えや、組織風土のつくり方などがとても分かりやすく書かれています。
組織の在り方についてはほかの著書でも触れられており、わが北陸人材ネットの組織作りにもかなり取り入れさせていただいているのですが、今回取り上げたいのは個人として仕事を遊ぶのように楽しもうという部分です。
遊ぶように働く価値
要はやらされ感でやる仕事より、自分自身が楽しんで取り組む仕事のほうが価値を生み出すし、これからAIにとってかわられない仕事としてこうしたアウトプットのほうが人間の労働の価値の中心になるだろうということでしょうか?
何よりも取り組んでいる本人が楽しいのでストレスも少なく、成長も実感できるしいいことづくめということが書かれています。
考え方には100%同意しますし、これからの働く方としてもその通りだと思います。
「ねばねば」でなく「わくわく」で働こう!
この言葉は私はいろいろなところで話している言葉ですが、おそらく
PLAY WORKと同じ意味だと理解しています。
こうした考え方が広がればもっと柔軟な働く方と様々なイノベーションを生みだすことになるだろうなと思うのですが、実際のところ日本ではあまり普及していないなあと感じています。
自分自身もこうしたことを発信することにちゃっとためらってしまう時があって、そういう時には「あの人は変態だからしょうがない」と思ってもらうように心がけています(自分の中では変態は最高の誉め言葉なので「ヘンタイサイコー」なんですけど・・)。
しかしこういうことを話す際に自らが「ヘンタイ」の殻をかぶらないと伝わらない部分があることに日本の就業感における閉塞感があるように感じています。
なぜ日本人はPLAY WORKが受け入れにくいのか
自分が考えるに課題は二つ
一つは日本人は単一民族であるがゆえに同質性を無意識に他者に求めてしまい、非同質的なものに対してネガティブにとらえてしまう傾向が強いこと。あいかわらず、非同質なるものに対してNG的なレッテルを張ってしまう雰囲気が日本社会にはあります。最近はSNSの普及でむしろそれが顕著になっている気すらします。忖度という言葉の裏側にはそうした同質を強いる風土があるように感じています。私「ヘンタイですから」とカミングアウトして初めて一定の層から「あの人は普通じゃないよね」、という認知を受けるというこのあたりの雰囲気を変える必要があるだろうなあということですね。新卒の就職でいうと誰でも知っている大きな会社、大きな組織に入社できる権利と手にすることが勝ち組とされるみたいな文化で、これは転職時にもそのまま続くと「より給料が高くて、休みが多くて、有名で、安定している会社に転職したい」という話になるわけです。しかし、趣味や遊びの世界でそんあ単一的な嗜好にならないですよね。PLAY WORKで考えると遊びと同じようにワクワクする仕事は人それぞれ違うはずなんです。
やっかいなポジティブねばねば
もう一つが実は私たちの世代(50歳後半)の成功者といわれる人のほとんどが「わくわく」でなく「ねばねば」で生きてきて周囲から成功したと思われている人であること。
「ねばねば」にはやらされ感という受け身で苦役的なイメージを込めているつもりですが世の中には「ポジティブねばねば」とでもいうべきタイプの方がいらっしゃいましてこういう人が大きな組織で出世したりしているように思います。
「ポジティブねばねば」タイプとは周囲の期待に応えることや誉められることがモチベーションの源として頑張れるタイプ。いわゆる優等生タイプです。これは一見悪いことではないようにも感じるのですが、周囲の期待がないことはやりたくなかったり、打たれ弱かったり、あと環境変化のスピードにについていけない、あるいは自己否定を伴いようなイノベーションを嫌う、さらにAIと仕事が競合してしまう可能性があるように感じます。でも先述したように私たちの世代までの日本人で「ポジティブねばねば」タイプの人が勝ち組ロールモデルだったりするのでなかなか「それはあかんやろ」といえなかったりするわけです。
人生100年時代を生きる
ライフとキャリアの視点でもうひとつあるのは人生100年時代を生きるということでこれからは定年後の第二の人生なんてないということです。体と気力が続く限りはある程度は働き続けることが必要になってきます。苦役的な労働を働くこととしてとらえてしまうと、人生がめっちゃ暗くなってしまいます。ライフキャリアの距離をもっと縮めてPLAY WORKを意識した働き方を志向していく必要があるのかなあと思っています。
人生を楽しむように仕事を楽しむ!そのために自分らしさにこだわって生きる!!
まとめるとこんな感じでしょうか??
そんなあなたらしさにこだわる人生の選択のお手伝いにかかわっていければと良いなあと思うし、私はそこでキャンディケートの方と話をして予想もしなかった新たなキャリアを見つけることにワクワクします。
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