コロナ禍でみえてきた日本社会の残念な構造
こんにちは
コロナ禍でのあまりにディスリばかりのメディアの情報に、ちょっと心がすさんでいる今日この頃です。
なんでこんなしょぼい世の中になってしまったんだろうと思ってFACEBOOKとtwitterにこんなことを嘆いてみました
インド変異種の脅威が迫るなか、今日本ができる最も効果的な対策は1日でも早く、1人でも多くの人にワクチンを接種することではないのか?しかし、マスコミも野党も政府の非難ばかり。今は足の引っ張り合いでなくまずは全ての人達が手を取り合ってオールジャパンで危機を乗り越えなければならないはずなのにどうしてこんなに情け無い国になってしまったのだろう、、
てな事を考えていたらこの10年で起きた日本の名門企業の凋落パターンと同じだと気づいてしまった。自分の権益拡大にとらわれて内部抗争を繰り返しているうちに外部の環境変化に取り残されてしまい会社自体がダメになって行くという、、(5月28日)
これについていろいろ知人からコメントもいただきまして、そのあともいろいろ考えていたのですが、あ、これってこういう事か!!
という気付きを自分の中で得ることができました
今回はこれについて書いてみます。
はい、ご紹介したいことはこれです。
「成功循環モデル」
マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム元教授が提唱していたものだが、「成功循環モデル」とは、組織に成功をもたらす基本的な考え方であるとされています。
組織における「関係性の質」→「思考の質」→「行動の質」→「結果の質」
という関係性があり、それぞれがそれぞれに影響を及ぼすという考え方です。組織のリーダーは常に結果(数字)を出すことを求められてるので結果の質にこだわりがちなのですがそこにのみこだわりすぎてしまうとかえってうまくいかないという視点でこの「成功循環モデル」について語られることが多いように思います。
成果を出し続けることのできる組織を作るには実は「関係の質」を高めるところから始めるとよいとされています。「関係の質」を高めるとは、集団の心理的安全性を高めること、そのためには相互理解を深め、お互いを尊重し、何でも思ったことを言いあえるような関係性を構築し、そして組織の目的な課題に一緒に考える場をつくります。「関係性の質」が高まると自分の思ったことが組織の行動と意思決定に影響するのでメンバーは組織の行動に対して当事者意識(自分事としてとらえる)ようになります。また所属しているチームを大事にしたいと思いが高まってくるとこのチームをもっとよくしたい、チームのパフォーマンスを上げたいと考えるようになります。つまり、そこで「思考の質」が変化します。
「思考の質」が変化すると、それがそのまま行動の質にも変わってきます。自分で考えたことをやってみたいという想いが強まり、チャレンジを奨励するような心理的安全性が担保されていれば、皆、自発的に行動するようになります。つまり「行動の質」が変わります。その結果として組織としてのパフォーマンスが向上しますので必然的に「結果の質」が向上し、チームとして高い成果が得られるようになります。そうすることでチームに対する、信頼関係が高まり、「関係の質」がさらに向上する、という循環の構築(グッドサイクル)を目指すとよいという事でしょうか?
さて一方「関係の質」の大切さを理解せずに、「結果の質」だけを求めていると、メンバーとの信頼関係を築けず、どんなに努力しても組織として結果を出せないという状況になります。
結果が出ないことでその理由と原因とその失敗の犯人捜しに拘泥してしましまう。→そうするとお互いに余計なことは言わないとか、疑心暗鬼になったりしてしまい、関係性の質が悪化する。
そういう組織の中では、余計なことをして失敗したときに責任を追及されるのが嫌のなので余計なことはしないで言われたことを言われた通りにやればよいと考えるようになる。常に他人からの評価と責任回避の言い訳を考えないといけなくなるので受け身的な思考になってしまう。つまり「思考の質」が低下します。
そうするとできるだけ責任をかぶりたくないので自分さえよければという行動しかとらなくなって行動も消極的になってしまう。「行動の質」がどんどん低下するわけです。
そして組織メンバーの「行動の質」が低下するので「結果の質」もさらに悪化、そしてまた関係の質が悪くなるというバットサイクルに・・
いかがでしょうか?今回のコロナ禍をめぐる政府の対応、メディアや野党の発言や言動を見ているとまさしくこのバッドサイクルそのものになっていると感じませんか?
この国をもっとよくするために
日本は民主主義国家であり、言論の自由が保障されているわけですから、それ内容が誰かを貶めたり、傷つけたりしない内容であればどんな発言をしてもよいと思います。特にメディアや野党は独裁政治にならないためにも常に政府に対して批判的な目を向けることも重要な役割だと思います。
いかし今のスタンスではまさしくバッドサイクルそのものです。
なにをどのように変えればよいのでしょうか?
政府に対しては何を批判しても許されるという姿勢は改めるべきでは??
丁度大坂なおみ選手の全仏オープン取材後インタビュー拒否事件がありました。そこでふと思ったのことなのですが、取材を受けることは必要だと思っています。なぜならそうやって大会に関する情報をメディアに出していきその情報で大会に対して興味を持つことを増やすことがスポーツビジネスとしてのより大きな成長につながるわけです。そのスポーツビジネスでお金を稼いでいる立場にある以上、そこになんらかのかかわりを持つことは必要じゃないかということだと思うのですが、だからといってそれこそそのスポーツに全く関係のないことや人間性の尊厳にかかわることまでこたえる必要はないんじゃないかということを本人は言いたかったんではないでしょうか?
でも人々から注目されることでお金を稼いでいる以上はそうした好奇の目にさらされることも仕事のうちだという人もいます。一体どっちが正しいのか?私の見解を言わせていただくとやはり関係のないことまで答える必要はないと思っています。それは前回のNOTEでも書きましたが、注目を浴びてその期待に応えようとすればするほど人は呪われてしまうからです。
さて話を戻しますがそういう意味ではやはり政府に対して何を言ってよいということではないのではと思います。
しかしまあ、スキャンダラスなコピーにはどうしても注目が集まってしまいがちなのも事実。NPBの試球式の女性タレントの記事にはいつも世の中の半分の生き物は引っかかってしまいます(笑)
「初音ミク ノーバン投球!!」
うーーんうまく表現できませんけど、スポーツマンシップというかフェアプレー精神みたいなものが改めて問われているのではないのでしょうか?
フィードフォワードなコメントを!!
「過去と他人は変えられないけど未来と自分は変えられる」という言葉があります。私がとても好きな言葉なのですが、フィードフォワードとはまさしくこの未来に対してのコメントであり提案です。
上の図はフィードバックとフィードフォワードの違いをまとめたものですが
これって成功循環モデルのグッドサイクル、バッドサイクルにすごく似ているような気がします。グッドサイクルの組織はフィードフォワード的な発言が多く、バッドサイクルの組織はフィードバック的な発言が多いような気がしています。
フィードバックはNGなのか??
ということではないと思うのですが「良薬は口に苦し」という言葉にも表れているように時には聴き手によって厳しい言葉が含まれることがあるのは事実です。さらにフィードバックにも気づきと学びは多いのでそれらに対しても謙虚に耳を傾けることができる聴き手の人間性(度量の大きさ)が問われます。この人間性を磨くことも決して悪いことではないと思うのですけど、今の情報の氾濫した世の中はかってないほどの質と量のネガティブっぽいフィードバックが入ってきます。これらすべてに対処できるような人間性を養うなんて無理!!というのが本当のことなんではと思います。
ちょっとずつでも意識を変えていければ・・
人の上に立つ人はすべての部分において人より優れていないといけないととか有名税なんだからそういう事にも耐えるのも仕事のうち、とか言われていますけどそんなこと言っていたら政治の仕事には優秀な人材が入ってこなくなってしまうと思うのです。その結果私たちの国がどんどんダメになっていくのはとても悲しいことです。ちょっとでも変わったことをやったり目立ったりするとたちどころにネガティブフィードバックにさらされてしまうので少しでも目立たないように生きていかないといけないみたいな雰囲気が様々な可能性と未来を奪ってしまっているとするととても悲しいことだと思います。
皆さんはどう思いますか??
あ、参考にさせていただいたブログはこちらです。
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