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呪いの言葉にご用心!!

「呪い」、今回はちょっと物騒なこの言葉をテーマに掘り下げてみます。

皆さんはこの言葉にどんなイメージをお持ちになりますか?

「呪いの言葉」ってどちらかというと他人をねたんだり、うらやましく思ったりというところの感情に近い部分から発せられる言葉のイメージなのかなあと思うのですが、今日はそうではない「呪いの言葉」について書いてみたいと思います。

1.親の子供にかける「呪いの言葉」

大学でキャリア教育や就職支援の仕事をしていた時に実は「呪いの言葉」に苦しめられている学生がかなりいました。

どんな状況かかというと親の期待にこたえる形でそれまでの人生を頑張ってきた学生が大学で様々な経験や出会いを通して自分のわくわくに気づき、それが親の望みと異なる方向であることが判明したときに、それまではプラスのモチベーションとなっていた親の期待がまさしく「呪いの言葉」となって本人を苦しめるという状況です。

具体的には、地元に残ってほしい、自分の近くにいてほしいという親の期待に応えて地元の大学に進学し、地元に残れて安定した職業だからという理由で公務員の勉強をしていた学生が、様々なインターンシップや友人との交流を通して、自分はスタートアップで社会起業的な仕事に打ち込んでみたいと思い始めているけど、親にそんなことを言おうものなら真っ向から否定されてしまうことが目に見えていて、もやもやしてしまうみたいな状況ですね。

あるいは、そこまで自分のわくわくに気づけなくても、誰かの期待や望まれる役割を演じ続けることが自分のすべてあるというという固定観念に縛られてしまい、ある日その役割を演じ続けるというモチベーションがぷっつり切れてしまうみたいな状況(いわゆるバーンアウト)に陥ってしまうみたいなケースもあります。

こういう「呪いの言葉」が厄介なのは、そういう期待をかけている親には自分が呪いの言葉をかけているという自覚が皆無であるケースがほとんどであるという点です。むしろそれが子供に対する愛情であるという風に思い込んでいるケースすらあります。

「お前は世間をわかっていない、世の中は、自分のわくわくに向き合って生きるなんでそんな甘い世界ではない」みたいな感じで説教したり

「俺にも夢はあった、だけど俺はお前たち子供のためにそれをあきらめて頑張ってお前たちを育ててきたんだ、人生とはそういうもんだ」みたいな人生訓を話す人もいるみたいです。

これを書いている今年58歳になるヤマキンも実は40年くらい前には同じようなことを言われていた記憶があったりします(笑)。ヤマキンの場合はそれが20過ぎに反抗期みたいな形で爆発して5-6年親と断絶状態になりましたがw

どちらかというとまさしく子供にそういう事を言ってしまう世代に近いのでもしこれを読んでいる親世代の方がいらっしゃるのであればぜひ一言申し上げたいことがあります。

そろそろ「子離れしませんか??」

貴方の子供はあなたの愛情に育まれて立派に成長しました。もしかしたらすでにあなたの期待を超えているかもしれません。そんな子供のこれからの未来に親がしてあげることは、信頼してあげることと、応援してあげることだと思います。自分の支配下に置いて言う通りに従わせることでは決してないということです。

そして皆さんが子離れすることで皆さんの子供はきっと「呪いの言葉」から解き放たれ、より前向きに、わくわく自分の人生を過ごすことになり充実した人生を送る可能性が高まると思います。

2.上司が部下にかける「呪いの言葉」

今度は会社の中での話です。これもおそらく悪意はないのですが、上司が飲み会なんかで話す「しごとってのはなあ・・」みたいな内容ですね。

いやこれって別に呪いの言葉じゃないのでは?」と思われる方も多いのではないでしょうか?人生の先輩として後輩に助言するという点では、OJTとしても有意義なのではということですね。過去の経験の蓄積をより効率的に組織に伝承するという点でも有効性は高いしそうしたやり取りの中でその組織の持つ企業文化を語りついでいるともいえると思います。

でもこの10年くらいで企業社会を取り巻く環境変化のスピードが著しく上がっており、かつコロナ禍のようなかって誰も経験したことがないような状況ではだいぶ有効性が薄れてしまっているように感じます。変化の激しい世界では「これまではこうだった」という経験則が通じにくくなっています。そしてこうした変化には現場にいる若い人のほうが敏感に反応します。そんなかで悪戦苦闘している状況で「俺が若いころは‥」みたいな話をされても益することは少ないだけでなく、場合によってはそれを強制するような雰囲気になってしまいかねません。特に日本企業の場合は上司と部下の関係性においてはどんな状況においても一定の命令的なニュアンスが含まれているために、酒の場とはいえ上司が言ったことは一定の強制力があり、それがおかしいとわかっていてもやらざるを得ないという葛藤に苦しめられている若手社員が多いのではないのでしょうか?

過去の成功体験に基づく自慢話を自腹で飲み代まで払わされて聞かなあかんというのはきっと優秀な若者には無駄というか苦しみにしかなっていない気がします。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2104/22/news064.html)

「うっせえわ」もたぶん本音なんでは??

年下の部下を持つ管理職の皆様へ

残念ながら皆さんがパワハラに耐えて習得したOJTスキルは残念ながら今の時代にはそぐわないものが多いようです。「俺が若いころは・・」で始まる話はほぼ呪いの言葉になってしまうようです。押し付ければ押し付けるほど優秀な若者から愛想をつかされ、まじめな若者を苦しめます。過去の成功体験は捨て、目の前の事態にどのように立ち向かうかを仲間として一緒に考えましょう。


だいぶ長くなったのですがもうちょっと書いてみたいことがあるので、「呪いの言葉」次回に続けます・・

次回は「経営者が苦しむ呪いの言葉」について書いてみようかと・・・



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